国王
薔薇城のエントランスホールへ出て、大理石の柱の陰にガーネットは隠れた。傷つきやすいはずのマーブル柄の大理石に触れ、千年前と全く変わらないなと思う。
一輪の白薔薇を模倣したような容貌が一枚の大理石で造形されている事から薔薇城と呼ばれるようになったけれど、最初から城の形だったわけじゃない。
「天井にはガラスがはまっているの?」
ローランの声だ!
隠れんぼをするみたいにガーネットは顔だけでそっと覗く。
ローランの茶色い長い髪が降ったばかりの雨に濡れ、少し額に張りついている。
なんて可愛らしいの。実物はやっぱり違うわ!
「このガラスもこの城の謎とされている。塔を除いて城を覆っている屋根は一枚の、このガラスでできている。君の思っている通り、どれほど陽射しが射そうとも暑くもなく、寒くもない。この城が崇められる理由の一つだ」
月光のように美しいシルバーの髪が揺れた。遠くからでもゲッカ男爵の美しさは際立っていた。
「このお城に秘密の部屋はあるのかしら?」
ゲッカは不意を突かれたようにガーネットには見えた。
「なぜそれを?」
「本で読みました」
「驚いたな。文字が読めるのか」
「字だって書けますよ。正しい言葉遣いも出来ます。パパが教えてくれたので」
そうよ!ローランは賢いんだから!
「サリオットに読み書きができる者がいるとは思わなかった。君の父親は時計職人らしいが、何者だ?」
ローランもドキッとしただろうけど、ローランとは違う意味で私の心臓も騒がしい。ローランの父親、ニール・キーフブルクの正体。誰にも知られてはいけない秘密。
「まぁ、何者であろうと関係ない。君は自分の役割をこなすだけだ」
追及がない事にローランも安心したみたいね。
ゲッカに言われて泣く泣くローランを花嫁候補と認めたけれど。ローランをアランの暗殺に利用するのは、やっぱりやめて欲しい。甘いと怒られるかもしれないけど。
「ご機嫌いかがです、ゲッカ男爵」
アラン王子の花嫁候補の最有力候補と噂されているジュリアが、侍女とたまたま通りかかった。
ゲッカがお辞儀をし、ジュリアは会釈すると侍女を引き連れて退場する。
国王のところへ行くのね。
先回りして、私も参加しよう!
目を覆いたくなるほどの眩しい黄金の玉座に座っている国王陛下に、ずかずかと勝手に部屋へ入ったガーネットが声をかけた。
「私もローランに会いたいんだけどいい?」
「あなたの出番じゃないですよね?」
国王が苦笑した。
「ちょとスパイスが必要かなって」
国王は頭を抱えたように見えた。
「台本通りにやりましょう。うろちょろされるとやりにくい」
「でも、本当に本当に久しぶりなのよ?」
「私も同じです。余計なことを言わずに立っていてください。ライトで照らしているので姿は見えないはずです」
全く!つまんない男ね。
射す光がダイヤを透過し、七色に輝く王座へ入室したローランはしばらく惚けたようになり、ゲッカ様に小突かれるまで棒立ちだった。ローランは慌てて頭を下げる。
国王とのやり取りが終わり、お辞儀をしてゲッカ様と部屋を出ていくのを見届けて、国王の肩に手を置いた。
「台本がどうのこうのって言いながら、かなりアドリブかましてるじゃない」
「私の出番なんてほとんどないですからね。名前すらない、ただの国王ですよ」
国王は苦笑した。
「まぁ、そうね。後は裏方みたいなものだしね」
「むしろ裏方万歳です!私に表舞台は似合わない」
「その方がいいかも。主人公なんてなるもんじゃないわ」
国王は複雑そうな顔をした。
「代われるなら、代わってあげたかった」
でも、運命は私を選ばなかった。選ばれたのはスカーレットで、その娘ローランがやり遂げなければいけない。
「ガーネット様、お互いできる事をやりましょう」
ガーネットはまじまじと国王を見つめる。
「ずっと思ってたけど、セインってすごいわよね。私は報われない恋を忘れたくて、側にいるのが辛くて、逃げてしまった。でも、あなたは報われない相手をずっと想い続けて、彼を支え続けている」
「私は幼馴染でもあり、臣下ですから。ガーネット様とは立場が違いますよ」
「そんな事は関係ないわ。
それにあの時、ここに留まらなかった事をずっと後悔してる。私がいればあんな悲劇は起こらなかったかもしれない」
「それも……運命でしょう。あの悲劇があったからこそ、ローラン様は産まれたのですから」
確かにそうだ。
「ローランを憎いと思った事は?」
セインに聞いてみた。
「もちろん、スカーレット様を羨ましく思った事はあります。でも、産まれたばかりのローラン様を見て、なんと言うか感動したんです。
そこで気持ちが切り替えられたと言うか。ニール様を好きな気持ちは変わりませんが、絶対に叶わない現実を突きつけられて、自分の願望を手放しました。なので憎いと思った事は無いですね」
黒に近い深緑色の瞳に力強さを宿したセインをまじまじと見つめた。
「マイノリティは苦労する。だからこそ、そんな風に思えるのかもね」
「私以上にガーネット様も悩んだんじゃないですか?マイノリティとして」
「そうね」
始めはたった4人だけだったからね。スカーレット姉様、アランにブレイド。そして、私。
目醒めたあの日、ずっと暮らしてきた教会を外から眺めた時に自分はもうあの輪の中に入れないと感じた。
異質な存在だと。
あの心細い孤独感が蘇ってきた。セインが話はじめる。
「私は人の常識とか、当たり前の事が辛かった。だから、人間を捨てて良かったです。もう、人間じゃないからそんな事を悩まなくて済むし、感情の起伏も少なくなりました」
思わず吹き出してしまった。
「スーパーポジティブね!」
「はい。誰のせいでもないのですから、今やるべき事に集中しましょう」
ガーネットの胸がほわっと暖かくなる。
「ありがとう。セイン」
セインは力強く頷いた。
庭園でほんやり記憶を再生していたガーネットは、肌寒くなってきたと部屋へ戻るために立ち上がった。




