歴史の授業
ローラは歴史の授業を楽しみにしていた。
皺一つない白いローブを着てグレーの髪を生え際で整えた四十代くらいの男性が部屋の前に現れた時もとても嬉しかった。その教師は知的で聡明そうに見え、胸は期待で膨んだ。
「おはよう。ローラン。私が歴史学を担当するバーチャ・コーマス。この授業では歴史に対する敬意と好奇心をもって望んでもらいたい。いいかね?」
ローラも挨拶を返し、椅子に座る。バーチャも並んで椅子に腰掛けた。
「よろしい。では、人類と文明の起源から始めよう」
赤茶の分厚い本を手渡されたローラはわくわくしながら一ページ目を開く。途端、理解不能という顔をし、バーチャを見上げた。
「なにかね、ローラン」
「……この本の表紙に載っているネズミの意味を、お聞きしたいのですが……?」
バーチャの顔に得意げな表情が浮かび、そして哀れむような目つきをした。
「ローラン、君はいままで充分な教育を受けてこなかったのは仕方ない。だから私が呼ばれたのだろうが、まさかこのネズミの意味がわからないと?田舎者でも、少しの知恵はあるだろうと思っていたが……いやはや、ここまでとは」
顔が引きつっていくのを感じたローラは、なんとか無表情を保とうと努力した。
「君は字が読めないのだろうが、ここにはこう書かれている。すなわち、私たち人類の祖先はネズミに行きつくとな」
ローラの顔が強張ったのを、バーチャは感動と勘違いしていう。
「君が驚くのはよくわかる。私たちの祖先がネズミとはなんとも、おかしな話だと思うかもしれんが。よく考えればわかることだろう。この国では毎年十月にはラットレースが行われる。もっとも私はあの行事が大嫌いでね。どのネズミにいくら賭けるなど私の嗜好に反するのでな」
「バーチャ先生!」
ローラは耐えきれず声を張り上げ、バーチャは片眉を上げた。
「どうしてネズミなどが私たちの先祖だとお考えなのです?」
バーチャは嫌悪を隠さず、バカにしたような目つきをした。
「そうこの国で定められているからだ。他に理由などあるのかね」
ローラは愕然として、しばらく声がだせなかった。
「では、我々の祖先がネズミだということは今教えた。次に我々の進化の過程だが、ネズミがやがて二足歩行を行うようになり、道具などを使用するにつれて脳の発達を促したのだ。それが、この国のネズミと我々を分けたのだ」
テキストにはネズミの絵が載せてあり、矢印が二つに分離していた。一つは、ネズミ。もうひとつは人類とかかれてある。さらにネズミが二足歩行をし、鍬のようなものを手にしていたり、焚き火を囲んでいる挿絵が載せられていた。ローラは軽い眩暈を覚えた。
「さて、次のページを開いてみなさい」
手を動かす気分にもなれないがバーチャに促され、ようやく二ページ目をめくる。
「この地図はもう見慣れているだろうと思うが、ローランには初めてであろうから解説を加えるとしよう。これが、海球の世界地図だが、真中にある広大な楕円形の土地が我々の国『スペッターコロ』わかるな。
我々の国から陸地続きの国『ファンタジア』は、もともと一つの島だったが地殻変動により結びついた」
『ファンタジア』は『スペッターコロ』の尾ひれのようだと思いながらローラは考えていた。
「後は周りに無人島が点在してるということですが、この『世界』地図は、私たちの国が中心だとばかりに主張しているようですね」
バーチャはこめかみを押さえ、何がいいたいのかと聞く。
「私のなかの世界地図のイメージはもっと多くの国と人種であふれているというものなのですが」
「それは君の妄想であって、現実ではない」
五月蝿いとばかりに撥ねつけ、過去の調査隊の記録は緻密で正確だと付け加えた。バーチャは机を一定のリズムで叩き始めた。
「ローラン、君の学習態度には少々難があるようだ。君の愚見を露呈する場でなく史実に基づく高等なす歴史学の授業だ。それを肝に命じるように」
じわじわ染み出した絶望は確かなものとなり重みを増しはじめた。
「で、どこまで話したかな?」
「『ファンタジア』までです」
「うむ。『ファンタジア』だが、
人々は褐色の肌をしており、主食は主にフルーツや魚介類である。我々と交易のある唯一の国だ」
「唯一の国……?では世界には二つの国しか存在しないということですか?」
いまやバーチャはローラのことを睨みつけていた。
「そうだが?何か不都合でも?」
「先生はこの国の名前の由来をご存知ですか?」
「少なくとも――私たちが普段使っている言語でないことは確かだ。恐らく、ネズミ語かなにかだろう」
ローラは奇妙な顔をして、ネズミがしゃべったんですか?と聞いた。
「もう我慢ならん!ローラン、君には少しばかり罰を与えねばなるまい!」
ローラはバーチャの怒りように目を丸くし、息を飲む。
「罰を与えるのは私の役目ではない。今すぐに、城の外にあるローズ大聖堂へ行きなさい。そこでヨハネ・イスカリア法王様に会うのだ」




