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主任と私  作者: まあく
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07.ビールダラダラ

「由香先輩、なんか怒ってません?」

「怒ってない」


 耳元の声に、低い声で私が答えた。

 怒ってないと言いながら、私は怒っていた。顔に出さないようにしているけれど、志保に気付かれてしまうくらいには怒っていた。


「いやあ、やっぱり主任は来てくれませんでした」


 笑うポジティブくんに、心の中でグーパンチする。

 パンチしてから、心の中で謝った。


 ごめんなさい。悪いのは私です


 三上主任という言葉に反応してしまった。自分でもビックリだった。


「前江。お前、長峰さんと笹山さんも来るってちゃんと言ったのか?」

「言いましたよ。でも、あっさり断られました。まあ、いつもことですけどね」


 三上主任の人付き合いの悪さは有名だ。

 まあ仕方ない。諦めて食事を楽しむことにしよう。

 私の気持ちが緩んだことが分かったのだろう。志保がそっと息を吐き出し、そしてメニューを開きながら言った。


「皆さん、最初はビールでいいですか?」

「おう!」

「つまみは適当に頼んじゃいますよ」

「おう、頼む」

「了解です。すみませーん!」


 志保が大きく手を上げて店員さんを呼んだ。

 志保も私も一人暮らし。夕飯は外食が多いし、誘われればこうして飲み会にも参加する。居酒屋での振る舞いにも慣れたものだ。


「瓶ビール二本、グラスは四つで。それと……」


 ビールは、ジョッキではなく瓶。最初の飲み会の時、私が志保に教えた。私も、今年退職した先輩から教わった。

 女性社員がお酌をするということではなく、互いに注ぎ合いながら飲む。これがうちの営業部の伝統らしい。


「で、今日は何の会なんですか?」


 注文を終えた志保が突撃くんに聞いた。

 この二人が私たちを飲みに誘うのは、珍しいことでもないが、そう多くもない。そして、誘う時には必ず何かの理由があった。

 突撃くんの顔がにやける。


「じつは、ついに例の食品機械屋さんの社長を口説き落としたのだ!」


 ふんぞり返る突撃くんに、志保が言った。


「もしかしてイエロー工業さんですか? スゴいですね!」


 身を乗り出す志保を、私が叱る。


「こら、こんなところで会社名を出しちゃだめでしょ」

「あ、すみません」


 しょげる志保の頭を軽く撫でてから、突撃くんに笑顔を向けた。


「おめでとうございます。ずいぶん長いこと通ってましたもんね」

「ふっふっふ。やはり営業の極意は突撃なのだよ!」

「そうっすよね。断られても怒鳴られても嫌がられても通い続ける。それしかないです!」

「嫌がられてもって言うのはどうかと……」


 何度か受けたことのあるクレームの電話を思い出しながら、私は苦笑した。


「ということで、営業部の女神二人に同席いただいて、今日は祝賀会だ!」

「おう!」


 ちょうどやってきたビールで乾杯をして酒宴は始まった。

 一課と違って、二課は新規顧客の開拓がメインだ。開拓した顧客は、最初こそ二課が担当するが、ある程度実績が上がると一課に移管される。この仕組みに疑問を持つこともあるが、これが我が社の方針なのだから仕方ない。


「ついにノルマ達成も見えましたね!」

「四ヶ月ぶりだな。はっはっは!」


 突撃くんとポジティブくんが楽しそうに笑った。

 この二人は、たぶん営業マンに向いているのだろう。とくに二課みたいな部署には必要なのだ。

 私としては、もう少し書類仕事を重視してくれると嬉しいのだが。


「猪野さん、今期は好調じゃないっすか!」


 笑うポジティブくんに、突撃くんが答える。


「まあな。でも、三上主任にはかなわないな。異動して早々契約取ってきてたし」


 突然気になる名前が出てきた。

 志保が突撃くんに聞く。


「三上主任って、一課のエースだったんですよね。どうして二課に異動になったんですか?」


 志保が入社したのは今年の四月で、主任が異動になったのも同じ四月。主任が一課だったことを教えたのは私だが、異動の理由は私も知らなかった。


「前の営業部長と喧嘩したからって噂だけど、詳しいことは誰も知らない。その部長も営業を外れて製造の現場に異動になったけど、やっぱり理由は分からん」


 二人の異動は突然だった。その理由についていろいろな噂が飛び交ったが、真相は不明のままだ。主任本人も、異動の経緯については一切語らなかった。


「じゃあ、松田部長もこの四月から営業部長になったんですね」

「そうだよ。松田さんは、昔一課の営業マンだったんだ。すごく優秀な人で、その腕を買われて各支社の営業支援に回されたって話だ」

「そうだったんですね」


 松田部長が優秀な営業マンだったことは私も知っていた。取引先の担当者と話をしていると、今でも時々”松田さんは元気か?”と聞かれるほどだ。

 その松田さんが部長になったおかげで、不倫疑惑という迷惑なトラブルに巻き込まれた訳だが。


「だけど、部長さんが営業を外されたのに、主任は営業のままってことは、悪いのは部長さんだったってことですよね」

「うーん、どうなんだろうね」


 志保の質問に、突撃くんが曖昧に答えてグラスを口に運ぶ。

 社会人一年目のくせに、志保はこういうところが鋭い。人事異動の裏側なんて、最近になるまで私は考えたこともなかった。

 ビールを一口飲んで、突撃くんが苦笑する。


「まあでも、俺は部長が替わってよかったと思ってるよ」

「どうしてですか?」

「前の部長は、プレッシャーがきつくてね」


 前部長は、声の大きな人だった。その声でしょっちゅう営業マンを怒鳴りつけるものだから、部長がフロアにいる時は私ですら緊張していたものだ。


「たしかに、あれはきつかったですよね」


 ポジティブくんが大きく頷く。

 それに突撃くんが突っ込んだ。


「お前はこたえてなかっただろうが」


 突撃くんが突っ込まなければ、私が突っ込んでいたところだ。

 不満げなポジティブくんを見ながら突撃くんがさらに言う。


「まあ、お前の場合は、上司が誰でも同じだと思うけどな」

「ひどい!」


 抗議の声を放置して、突撃くんが志保に向き直る。


「松田部長はいい上司だと思うよ。ちゃんと話を聞いてくれるし、言うことも一貫しているし」


 その通りだと私も思った。

 この人に叱られたなら仕方ない。松田部長はそう思わせる人だ。

 これで資料を自分で作ってくれさえすれば完璧なのだが。


「ということは、私はいいタイミングで入社できたってことですね」

「そうだぞ。平和な時代に生まれてよかったな」

 

 志保に答えて、突撃くんがグラスを飲み干す。

 それを見て、志保がビールの瓶を手に取った。


「どうぞ」


 ラベルは上向きで、右手で瓶を持ち、左手を軽く添えている。私が教えた通りだ。


「お、サンキュ」


 突撃くんがグラスを差し出した。

 グラスにビールが注がれていく。ビールと泡の比率は七対三。それを実現するのは結構難しいのだが、志保は上手に注ぎ終えた。


「笹山さん、ビール注ぐのうまいね」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうに志保が笑う。

 その志保が、笑ったまま突然毒を吐いた。


「それにしても、三上主任って本当に仕事できますよね。猪野さんと違って書類も完璧だし」

「ま、まあ、そうだよね」


 突撃くんの頬が引き攣る。

 そこに、無謀にもポジティブくんが参入してきた。


「僕も三上主任みたいになるよ!」

「前江さんには無理ですね」

「ぐはっ!」


 あのポジティブくんが撃沈した。

 志保の本領発揮である。キツいことを平気で本人に言ってしまうのだ。

 それなのに、なぜか志保は嫌われることがない。


「笹山さんには勝てないなぁ。今後とも、何卒ご指導のほどお願いいたします!」


 ポジティブくんが、志保から瓶を奪って志保に向ける。

 それを、志保が私の側にぐいっと向けた。


「苦労しているのは、私じゃなくて長峰さんですから」

「えっ、私は全然……」


 急に振られて焦る私に、ポジティブくんが言う。


「長峰さん、いつもお世話になっております!」

「ほら、猪野さんもですよ」

「お世話になっております!」


 突撃くんが別の瓶を持ち上げて私に向ける。

 二人から同時にお酌をされて、私は恐縮してしまった。

 満足げに頷く志保に目をやりながら、いっぱいになったグラスを慎重に口へと運ぶ。

 その瞬間、志保がとんでもないことを言った。


「でも、三上主任って、ちょっと気になりますよね」


 私の動きが止まった。


「なぞの理由で異動になった、もと一課のエース。私、三上主任とぜひお近付きになりたいです!」

「それは難しいかもね。何せあの人は……って、長峰さん!」

「先輩!」

「何やってんの!」


 ダラダラとビールをこぼす私を見て、三人が慌てておしぼりを手に取った。


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