59.本当の言葉
予定通り、日が落ちる頃私たちは公園に着いた。志保が教えてくれた、イルミネーションのきれいな公園だ。
ただ、土曜日なのに思ったほど人がいなかった。これは予定外だ。
「どこまで行くんだ?」
ずっと黙っていた主任が聞いた。
「もう少しです」
答えたものの、具体的に目標地点があるわけではない。
イルミネーションの近くはさすがに人がいるし、そもそも明る過ぎる。かと言って、初めて来た公園で、そこそこ空いていて、そこそこ暗い場所なんて分かるはずがない。
光の道を歩きながら、私は困っていた。
さらに困ったことに、少し前から踵が痛み出している。下ろしたばかりの慣れないパンプスが、じわじわと足をいじめてきていた。
いろいろな意味で、私は後悔し始めた。
私、何やってんだろ
自分の無計画さが情けなかった。
視線が自然と下を向く。肩がひとりでに落ちていく。
その時、後ろからまた声がした。
「少し、休まないか?」
普段聞くことのない自信なさげな声。
その声が、私の気持ちをさらに落ち込ませる。
今の私は、主任を困らせているだけだ。
「そうですね」
小さな声で私が答えた。
「じゃあ、あそこで待っててくれ。飲み物を買ってくるから」
「すみません」
光の道から外れて、私は広場の端のベンチに腰掛けた。
イルミネーションを遠目に見ながら、しょんぼりと主任を待つ。
この辺りには人があまりいない。いくつか並んでいるベンチには、カップルが一組いるだけだ。
灯りは薄暗い電灯のみ。偶然にもいい場所に辿り着いたが、今の私は完全に戦意喪失していた。
しばらくすると、主任が戻ってくる。
「あったかいのでよかったか?」
「はい」
「コーヒーとココア、どっちがいい?」
「じゃあ、コーヒーで」
缶コーヒーを受け取って、それを両手で握る。
それで初めて気が付いた。自分の手が冷たくなっている。日が落ちて気温が下がってきたせいだろう。
そのまま黙っていると、隣に座った主任が言った。
「踵、大丈夫か?」
「え?」
「ちょっと痛そうだったから」
気付かれていた。自分では分からないが、もしかすると血が滲んでいるのかもしれない。
答えないでいると、主任が鞄から何かを取り出した。
「俺も最近靴を変えたんだけど、馴染むまで靴擦れがひどかったんだ」
大きめサイズの絆創膏。それが二枚。
それを、私は無言で受け取った。
右手に缶コーヒー。
左手に絆創膏。
それを見つめる私の目から、ふいにポロポロと涙が零れてきた。
主任が慌てているのが分かったが、涙は全然止まってくれない。
自分が情けなかった。
自分が不甲斐なかった。
ただただ無性に悲しかった。
次々と湧いてくる感情に私が押し流されていく。
その私に、またも主任が救いの手を差し伸べた。
「えっと、これ、よかったら……」
主任が遠慮がちにハンカチを差し出す。
それを、私は受け取らなかった。
下を向いたまま、私が聞く。
「どうして主任は、そんなに優しいんですか」
絆創膏をぎゅっと握る。
「どうして主任は、人のことばっかり考えるんですか」
缶コーヒーをぎゅっと握り締める。
理由も言わずに呼びつけて、ちょっと遅れたからって偉そうに叱って、不機嫌なまま歩き続けて、訳も分からず泣き始めて、挙げ句の果てにはこんなにも気を遣わせて。
どう考えても私が悪いのに。
どう考えても理不尽なのに。
私の感情が膨れ上がっていく。
それが、突然爆発した。
激しく顔を上げ、私は主任を強く睨んだ。
「どうして主任は私に気を遣うんですか!? 私が被害者の娘だからですか!?」
主任の顔が強ばるのが分かったが、私は止まらなかった。
「全部聞きました。お父様が事故を起こしたこと。その事故で、お父様と私の父が亡くなったこと。それからずっと、主任が賠償金を払い続けてきたこと」
続け様にまくし立てる。
「全部知った上で聞きます。主任が私に優しくしてくれるのは、私が被害者の娘だからですか? 義務感とか責任感とか、そういうことなんですか!?」
狼狽える主任を私は睨み続けた。
「俺は……」
か細い声がした。
「父の犯した罪を、償わなければならない」
主任の顔が地面を向く。
「金で解決できるなんて思っていない。それでも、賠償金は払わなければならない」
重くのし掛かる十字架。
苦しみがその口から絞り出される。
「金だけじゃない。俺は、できることをすべてしなければならない。どんなに小さなことでも、俺はお前に……」
尽きることなく続く贖罪の言葉。
それを、私は大きな声で遮った。
「そんなことはどうでもいいんです!」
驚いて主任が顔を上げる。
「私は、主任のおかげで大学に行けました。友達もできたしキャンプにも行けました。ちゃんと就職もできて、いい先輩にも恵まれました」
身を乗り出して主任に迫る。
「それだけでも十分なのに、主任は私を何度も守ってくれた」
主任が目を丸くする。
「不倫の噂を打ち消してくれた。困った時に助けてくれた。怖い部長をやっつけてくれた。買い物にも付き合ってくれた」
言っているうちに、また涙が溢れてくる。
「やりたいことだってあったはずなのに。キャンプにだって行きたかったはずなのに。全部全部我慢して、全部全部後回しにして」
溢れる涙をそのままに私が言う。
「私は、そんな主任を好きになったんです。責任感が強いところも、缶コーヒーをおごってくれる優しいところも、キャンプ場で楽しそうに笑うその顔も、全部全部好きなんです!」
私が主任を強く見る。
主任が、悲しそうに目を伏せる。
「だが、俺は加害者の……」
「だから何だって言うんですか!」
とんでもなく大きな声で私が叫んだ。
「これからも私を助けてほしいんです! 買い物に付き合ってほしいんです! キャンプに連れて行ってほしいんです! 私の前を歩いていてほしいんです!」
私が立ち上がった。
「これからもずっと一緒にいてほしいんです! 私は、あなたのことが好きなんです!」
髪を振り乱し、涙を散らしながら私が聞いた。
「主任はどうなんですか! 私のことをどう思っているんですか!」
もの凄い形相で主任を見下ろす。
うつむく主任に、私は想いのすべてをぶつけた。
息苦しい沈黙の中で、主任が静かに立ち上がる。
「もし許されるのなら」
その顔が私に向いた。
「気持ちを伝えることが許されるのなら」
その目が私を見た。
「俺は、本当の気持ちを伝えたい」
ずっとずっと抑えてきた感情。
ずっとずっと隠してきた想い。
それが、心の内から溢れ出す。
震える唇が、本当の言葉を紡いだ。
「俺も、お前のことが好きだ」
主任の目にも涙が滲む。
初めて見る泣き顔に向かって、私は微笑んだ。
「だったら、全然問題なしです」
右手に缶コーヒー、左手に絆創膏を持ったまま、私が主任の首に手を回す。
「主任、大好きです」
躊躇うことなく唇を奪う。
それに主任が応えてくれた。
それが嬉しくて、すごくすごく嬉しくて、私の目から、また涙がこぼれ落ちた。




