48.滝、温泉、アイス
坂道レースはポジティブくんの勝利に終わったようだ。男女差と体格差はどうしようもなかったらしい。
「前江さんには、レディファーストという発想はないんですか」
「勝負とは非情なものなのだよ」
体力勝負を挑む志保もどうかと思うが、まったく手加減しないポジティブくんもどうかと思う。
苦笑いしながら主任が言った。
「登りより下りの方が足に負担が掛かる。体力は帰りにとっておけ」
残念そうに志保が頷く。
「そうですね。前江さん、次の勝負はしばらくお預けです」
「いつでも掛かってきなさい」
偉そうなポジティブくんの腕をパシッと叩いて、志保が先頭を歩き始めた。
少し歩くと、道が悪くなってきた。気を付けないと木の根や石に足を取られそうだ。
先頭を行く志保も、足下を見ながら慎重に進んでいく。その志保に、ポジティブくんが言った。
「笹山さん、前に蜘蛛の巣があるよ」
「あ、ほんとだ」
顔を上げた志保が、慌てて進路を変える。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
再び進み始める二人を見て、私は思った。
この二人、結構いいコンビなんじゃないかな
その時、前を歩く主任が振り返る。
微笑むその顔を見て、主任も同じ事を思ったのではないかと感じた。
ちょうど一時間歩いたところで、私たちは滝に到着した。
「うわぁ、おっきい!」
見上げた志保が声を上げる。
整備された観光地と違って、本当に目の前に滝があった。びしょ濡れになってもいいのなら、川原を伝って直下までも行けそうだ。
ずっと登ってきたせいで体が火照っている。風が運んでくる水飛沫が心地よい。子供の頃なら、間違いなく靴を脱いで澄んだ水の中に足を踏み入れていたことだろう。
と思っていたら。
「笹山さん、気持ちいいよ!」
いた、大きな子供が。
「お魚さんはいます?」
もう一人子供が増えた。
すると、隣から突然カシャッという音がした。見ると、主任がスマホで写真を撮っていた。
「猪野に送ってやろうと思って」
その顔も子供みたいだ。
もうこうなったらやるしかない。
「私も行ってきます!」
リュックを置き、岩に腰を掛けて靴と靴下を脱ぐと、私は岩から岩へと渡って水辺に向かった。
「冷たい! でも、気持ちいい」
「由香先輩、こっち!」
はしゃぐ私たちの背中で、またカシャッという音がする。振り返った私を見て、またカシャ。
スマホから顔を覗かせた主任に、私が手を伸ばした。
「さあ、主任も」
主任が目を丸くする。
主任が、カシャッと写真を撮る。
そして主任は、スマホをリュックのポケットに入れて靴を脱ぎ始めた。
「いま行く」
大の大人四人が、声を上げながら川遊びを始めた。
たっぷり三十分は遊んでから、私たちはキャンプ場へと引き返した。行きは登りばかりだったが、帰りはほとんど下り坂。一時間掛からずに戻ることができた。
「滝、最高でした!」
「だよね!」
志保とポジティブくんはご機嫌だ。
そのテンションのまま、志保が言う。
「次は温泉です!」
車で二十分のところに日帰り温泉がある。そこで汗を流す予定だ。
「じゃあ行くか!」
主任のテンションも高い。本当に貴重な光景だ。
温泉に着くと、ロビーで待ち合わせの約束をして私たちは男女に分かれた。
土曜日とあってさすがに混んでいたが、洗い場待ちをするほどではない。体を洗った私と志保は、露天風呂で至福の吐息を漏らした。
「極楽ですねぇ」
「ほんとね」
揃って目を閉じ、首を空に向ける。
「キャンプ、来て良かったです~」
とろけそうな声で志保が言った。
それを聞いた途端、私はどうでもいいことを思い出す。
志保がキャンプに来るために提示した条件。
アイス二つで手を打ちましょう
あのアイスはいらなかったのではないだろうか。
そんなことを思ったからか、ちょっと意地悪を言ってみたくなった。
「志保、前江さんといい雰囲気だったじゃない。じつは気があったりして」
「ないですね」
即答だった。さすが志保だ。
「でも」
私に顔を向けて、志保が笑う。
「一緒の仕事は無理ですが、一緒に遊びに行くのはありかもしれません」
私と同じことを考えていた。
ポジティブくんのポジション確定である。
「ところで、由香先輩はどうでした? わりといい感じだったように見えましたけど」
「え?」
私が目を見開く。
「お好み焼きの準備の時も、ハイキングの時も川遊びの時も、主任、ずっと先輩のこと見てましたよ。あれは間違いないです。絶対です」
私の目がもう一段階開いた。
ポジティブくんとの勝負に夢中なように見えて、志保はちゃんと見ていたらしい。本当に恐ろしい後輩だ。
「今夜のバーベキューで、私は前江さんにたっぷりお酒を飲ませます。前江さんの面倒は私が見ますから、由香先輩、頑張ってくださいね!」
何だか鼓動が早くなってきた。
「私、先に出るね」
「あ、待ってください!」
ついてくる志保を振り向くことなく、シャワーで体を流して、私は脱衣所へと向かう。
体のほてりがなかなか取れなかったのは、露天風呂のせいだけではなかっただろう。
集合時刻より早く戻ったのだが、男性二人はすでにロビーで待っていた。
それを見た志保が、二人に駆け寄っていく。
「まだ時間ありますよね?」
「大丈夫だ」
「じゃあ、ちょっと待っててください」
今度は別の方向へと駆けていく。
三人で首を傾げていると、ほどなくして志保が戻ってきた。
「お風呂上がりには、やっぱりアイスですよね!」
その手には、自販機で買ったアイスが四つ。
「お好きなものをどうぞ」
「お、悪いな」
「笹山さん、ありがとー」
二人がアイスを受け取る。
残ったアイスを持って、志保が私に向いた。
「先輩、ありがとうございました」
「どういたしまして?」
何がありがとうなのか分からないまま、私もアイスを受け取った。
「うん、うまい」
「いいっすね」
「ですよね!」
満足気な三人を見ながら、冷たいアイスをかじって私も頬を緩める。
「美味しい~」
声に出した途端、気が付いた。
あ、そういうことか
本当に可愛い後輩だ。
笑うその顔を見ながら、志保の誕生日には少し奮発しようと私は思った。




