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主任と私  作者: まあく
47/60

47.アケビ

 初心者向けとはいえ、登山道というだけあって道はそれなりに険しかった。

 それでも、きれいな空気で肺を満たすと元気が出た。キラキラ輝く木漏れ日を見ると心が躍った。風が奏でる葉音を聞きながら、足取りも軽く私は山道を登っていった。

 しばらく歩くと、前から数人の人がやってくる。その人たちに主任が言った。


「こんにちは」


 その人たちも、ニコニコしながら返事をしてきた。


「こんにちは」


 よく分からないまま私も挨拶をする。

 通り過ぎた人たちを振り返りながら、私が聞いた。


「お知り合いですか?」

「いや、知らない人だ」


 驚く私に主任が教えてくれた。


「山では、出会った人に挨拶をするんだ。登山の暗黙のルールみたいなもんだな」

「そうなんですね」


 初めて知った。何だか不思議なルールだ。

 でも、ちょっと楽しいかもしれない。

 ちょうどまた前から人が来た。主任より先に私が声を出す。


「こんにちは」

「はい、こんにちは」


 やっぱり笑って返事をしてくれる。

 楽しくなってきた私は、人が来る度に、一番に挨拶をしながら歩き続けた。

 

 緩やかに上っていた道が、急にきつくなる。

 その坂の下で、志保が言った。


「前江さん、坂の上までどっちが先に辿り着くか勝負です!」

「その勝負、受けた!」


 この二人、また勝負をする気だ。


「位置について、よーい」

「スタート!」


 声と同時に二人が走り出す。


「あの二人、めちゃくちゃ楽しんでるな」

「そうですね」


 頷いて、私はそっと主任を見た。

 その顔は、会社では決して見ることのできない微笑み。


 好きな人が楽しいと自分も楽しい。

 好きな人が嬉しいと自分も嬉しい。


 それを実感して、私も微笑む。

 キャンプに来て本当によかった。

 そう思った時、ふいに主任が背中のリュックを下ろす。


「長峰、ちょっと待っててくれ」

「はい?」


 首を傾げる私を置いて、主任が茂みに足を踏み入れた。ガサガサと草を踏み分けながら進んだ主任が、蔓を引っ張って何かをたぐり寄せる。それをもぎ取ると、また別の蔓をたぐり寄せ、もう一つもぎ取って戻ってきた。


「これ、見たことあるか?」

「いいえ」


 紫色の皮をした謎の植物。皮がパックリ割れていて、中に白っぽい実が見える。

 渡された一つをしげしげと眺めながら、私が聞いた。


「果物ですか?」

「これは、アケビっていうんだ」

「あ、聞いたことあります」


 何かのテレビ番組で紹介されていた気がする。でも、その内容はまるで覚えていなかった。


「ちょっと食べにくいけど、結構うまいんだ」


 そう言うと、主任は皮を思い切り広げて、パクリと実にかじりついた。

 実には、胡麻みたいな種がたくさん見える。それを気にすることなく、主任は種ごと全部食べてしまった。


「久し振りだけど、うまい」


 満足げに目を細めると、残った皮をポイッと茂みに放り投げる。


「よかったら食べてみてくれ。種は、いやなら吐き出してしまえばいい」

「はい」


 私はスイカの種をきれいに取り除く派だ。小さいとはいえ、こんなにたくさんの種を食べるのはちょっと抵抗がある。

 だけど、主任が勧めてくれたのだ。ここは意地でも食べなければ。

 私は、勇気を出して実にかじりついた。


 パク


 歯ごたえはまったくない。とろっとしたその食感はほかに例えることが難しいが、間違いなくこれは果物だ。

 味は、とっても素朴で優しい甘さ。初めて体験する味だけど、結構美味しい。

 でも、やっぱり種は気になる。気になるけど、スイカと違って実と一体化しているので、きれいに吐き出せる気がしない。


 主任がじっと見ている。

 私が焦る。

 すると、主任が笑って言った。


「やっぱり種は気になるよな。あっちを向いてるから、出しちゃってくれ」

「すみません」


 主任が背中を向けたのを確認して、私は手のひらに種を吐き出した。


「これ、捨てちゃっていいんですか?」

「問題ないよ。ちゃんと自然に還ってくれるさ」


 植物の種なのだ。当然と言えば当然だ。

 茂みにポトリとそれを落として、残りの実を見つめる。


「無理しなくていいぞ」


 主任が気を遣ってくれたが、私はこの時思った。


 主任と同じことを、私も感じたい


 皮を広げながら、私が宣言する。


「いいえ、食べます!」


 驚く主任の前で、私は残りの実を全部口に入れた。そして、今度は種ごと実を味わい、そのままゴクリと飲み込む。

 種は、ちょっと苦かった。でも、思ったよりいやじゃない。

 目を見開く主任に私が言う。


「初体験しちゃいました」

「変な言い方するな」


 主任が突っ込む。

 私が笑う。

 笑う私を見て、主任も笑った。

 笑う主任を見て、私はすごく嬉しくなった。


 今日食べたアケビの味を、私は一生忘れないだろう。


「行くか。あいつらに追い付かないとな」

「はい!」


 坂を登り始めた主任のあとを、ニコニコしながら私はついていった。


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