47.アケビ
初心者向けとはいえ、登山道というだけあって道はそれなりに険しかった。
それでも、きれいな空気で肺を満たすと元気が出た。キラキラ輝く木漏れ日を見ると心が躍った。風が奏でる葉音を聞きながら、足取りも軽く私は山道を登っていった。
しばらく歩くと、前から数人の人がやってくる。その人たちに主任が言った。
「こんにちは」
その人たちも、ニコニコしながら返事をしてきた。
「こんにちは」
よく分からないまま私も挨拶をする。
通り過ぎた人たちを振り返りながら、私が聞いた。
「お知り合いですか?」
「いや、知らない人だ」
驚く私に主任が教えてくれた。
「山では、出会った人に挨拶をするんだ。登山の暗黙のルールみたいなもんだな」
「そうなんですね」
初めて知った。何だか不思議なルールだ。
でも、ちょっと楽しいかもしれない。
ちょうどまた前から人が来た。主任より先に私が声を出す。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
やっぱり笑って返事をしてくれる。
楽しくなってきた私は、人が来る度に、一番に挨拶をしながら歩き続けた。
緩やかに上っていた道が、急にきつくなる。
その坂の下で、志保が言った。
「前江さん、坂の上までどっちが先に辿り着くか勝負です!」
「その勝負、受けた!」
この二人、また勝負をする気だ。
「位置について、よーい」
「スタート!」
声と同時に二人が走り出す。
「あの二人、めちゃくちゃ楽しんでるな」
「そうですね」
頷いて、私はそっと主任を見た。
その顔は、会社では決して見ることのできない微笑み。
好きな人が楽しいと自分も楽しい。
好きな人が嬉しいと自分も嬉しい。
それを実感して、私も微笑む。
キャンプに来て本当によかった。
そう思った時、ふいに主任が背中のリュックを下ろす。
「長峰、ちょっと待っててくれ」
「はい?」
首を傾げる私を置いて、主任が茂みに足を踏み入れた。ガサガサと草を踏み分けながら進んだ主任が、蔓を引っ張って何かをたぐり寄せる。それをもぎ取ると、また別の蔓をたぐり寄せ、もう一つもぎ取って戻ってきた。
「これ、見たことあるか?」
「いいえ」
紫色の皮をした謎の植物。皮がパックリ割れていて、中に白っぽい実が見える。
渡された一つをしげしげと眺めながら、私が聞いた。
「果物ですか?」
「これは、アケビっていうんだ」
「あ、聞いたことあります」
何かのテレビ番組で紹介されていた気がする。でも、その内容はまるで覚えていなかった。
「ちょっと食べにくいけど、結構うまいんだ」
そう言うと、主任は皮を思い切り広げて、パクリと実にかじりついた。
実には、胡麻みたいな種がたくさん見える。それを気にすることなく、主任は種ごと全部食べてしまった。
「久し振りだけど、うまい」
満足げに目を細めると、残った皮をポイッと茂みに放り投げる。
「よかったら食べてみてくれ。種は、いやなら吐き出してしまえばいい」
「はい」
私はスイカの種をきれいに取り除く派だ。小さいとはいえ、こんなにたくさんの種を食べるのはちょっと抵抗がある。
だけど、主任が勧めてくれたのだ。ここは意地でも食べなければ。
私は、勇気を出して実にかじりついた。
パク
歯ごたえはまったくない。とろっとしたその食感はほかに例えることが難しいが、間違いなくこれは果物だ。
味は、とっても素朴で優しい甘さ。初めて体験する味だけど、結構美味しい。
でも、やっぱり種は気になる。気になるけど、スイカと違って実と一体化しているので、きれいに吐き出せる気がしない。
主任がじっと見ている。
私が焦る。
すると、主任が笑って言った。
「やっぱり種は気になるよな。あっちを向いてるから、出しちゃってくれ」
「すみません」
主任が背中を向けたのを確認して、私は手のひらに種を吐き出した。
「これ、捨てちゃっていいんですか?」
「問題ないよ。ちゃんと自然に還ってくれるさ」
植物の種なのだ。当然と言えば当然だ。
茂みにポトリとそれを落として、残りの実を見つめる。
「無理しなくていいぞ」
主任が気を遣ってくれたが、私はこの時思った。
主任と同じことを、私も感じたい
皮を広げながら、私が宣言する。
「いいえ、食べます!」
驚く主任の前で、私は残りの実を全部口に入れた。そして、今度は種ごと実を味わい、そのままゴクリと飲み込む。
種は、ちょっと苦かった。でも、思ったよりいやじゃない。
目を見開く主任に私が言う。
「初体験しちゃいました」
「変な言い方するな」
主任が突っ込む。
私が笑う。
笑う私を見て、主任も笑った。
笑う主任を見て、私はすごく嬉しくなった。
今日食べたアケビの味を、私は一生忘れないだろう。
「行くか。あいつらに追い付かないとな」
「はい!」
坂を登り始めた主任のあとを、ニコニコしながら私はついていった。




