41.キャンプ、行きましょう!
主任をちゃんとおもてなしする。
そう決めた私は、目の前に置かれたアイスコーヒーを見つめながら、松田部長に教わったことを思い出していた。
気遣いをする場合、まずは相手を知ることから始める
その一番簡単な方法が、聞くっていうことだね
考えてみると、主任について私が知っていることはとても少なかった。
まずは、主任のことをもっと知らなければならない。
主任が、ガムシロップとミルクを入れてストローでかき混ぜる。一口飲んで、グラスをテーブルに置く。
それを待って、私が言った。
「今日は本当にありがとうございました」
「気にしないでくれ。俺も気分転換になったしな」
主任が微笑んだ。
微笑みを返して、私は質問を開始した。
「お休みの日って、主任は何をされているんですか?」
「掃除とか買い物とか、まあそんな感じだ」
「主任、一人暮らしでしたっけ?」
「いや、母親と住んでる。母親も仕事をしているから、どうしても週末に家事をまとめてやることになるんだ」
「そうなんですね」
主任の緊急連絡先がお母様になっていることは知っていた。だが、一緒に住んでいたとは初耳だ。
お父様の話が出ないことが気になったが、私の父のこともあって、それを聞くのは躊躇われた。
「ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「妹が一人いる」
妹さんがいる。
これも今知った。
「妹さんは一緒に住んではいないんですか?」
「仕事で単身赴任中だ」
「すごい! 女性でもそんなことがあるんですね」
「あいつは、まあ何て言うか、すごく働き者だからな」
答えた主任が、ストローをくわえて外を見た。
働き蜂の主任に”働き者”と言わせる妹さん。だが主任の様子は、妹さんを褒めているとか自慢しているとか、そういう雰囲気ではない。
ご家族の話は避けた方がいいのかもしれない。
私は、少し強引に話題を変えた。
「主任は、お休みの日も忙しいんですね」
「まあ、それなりに」
「趣味に時間を使ったりはしないんですか?」
「体を動かすことは好きだからな。時間がある時は、よくジョギングをしてる」
ジョギングなら隙間時間にもできる。忙しい主任にはぴったりの趣味だ。
でも、その答えに私は引っ掛かりを覚えた。
主任は、一部の人から”仕事と貯金しか興味がない”とか”人に言えない趣味があるに違いない”などと言われている。
本当に仕事と貯金が趣味なのだろうか。
本当に人には言えない趣味があるのだろうか。
ずっと気になっていた噂。
私は、勇気を出して少しだけ踏み込んでみた。
「ジョギング以外に、何か趣味はお持ちなんですか?」
「そうだなぁ」
主任が腕を組んで考える。
窓越しに外を眺め、腕組みを解いて頬杖をつく。
やがて主任が、ぽつりと言った。
「キャンプは、好きだったな」
遠くを見る主任を、私はじっと見つめた。
その横顔は、微笑みだった。それなのに、その顔はとても寂しそうに見えた。
それに、私の何かが反応した。
「キャンプ、いいですね!」
自分でもびっくりするくらい大きな声だった。
主任もびっくりして私を見る。
「大学時代、私も時々キャンプに行ってたんです。キャンプって楽しいですよね!」
「あ、あぁ、そうだな」
驚き顔の主任に私が言った。
「キャンプ、行きましょう!」
「……え?」
主任の口が半開きになる。
「キャンプ、行きましょう!」
身を乗り出しながら、私が繰り返した。
私の中の私が叫ぶ。
何言っちゃってるの、私!?
いきなりキャンプはないだろう。さすがにこれは主任も引くのではないだろうか。
だけど、この時私は思ったのだ。
このままにしちゃダメだ
あの横顔を見て思ったのだ。
主任を一人にしちゃダメだ!
だから言った。
勢いに任せ、直感のままに言った。
言ってはみたものの、自分でも馬鹿なことをしているという自覚はある。
でも、言ってしまったものは仕方ない。
背中に冷たい汗を感じながら、私は主任を見つめた。ほとんど睨むように主任を見つめ続けた。
主任が目を見開く。
主任が目を伏せる。
主任がアイスコーヒーを一口飲む。
主任がそっと息を吐き出す。
そして主任は顔を上げ、私を見て、微笑んだ。
「長峰。お前は、やっぱり優しいな」
「はい!?」
今度は私が驚いた。
「ど、どういうことですか?」
全然意味が分からない。
「いや、何でもない」
主任は私の疑問に答えてくれない。
かわりに主任が、驚くことを言った。
「そうだな。行くか、キャンプ」
この日の夜、私は枕を抱き締めてベッドの上をゴロゴロ転げ回った。つい最近もこんなことがあった気がするが、その時よりも確実にゴロゴロの回数は多かった。




