表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
主任と私  作者: まあく
27/60

27.鞄と靴

「おはようございます」

「おはよう」


 フロアのあちこちから声が聞こえる。

 いつも通りの朝。いつも通りの風景。

 その風景の中に、いつも通り、朝早く出社して仕事を始めている主任の姿があった。

 二つ離れた島で姿勢よくキーボードを叩く姿は、やっぱりいつもと変わらない。

 それが、私には不満だった。


「何で変わらないのよ」


 小さく口を尖らせて私は呟く。

 あの公園での出来事のあとも、主任の態度は何一つ変わらなかった。用がなければ私の席に来ることもないし、こちらを見ることもない。廊下ですれ違っても、「お疲れ」と言うだけで立ち止まることさえしない。


 何も変わらない。

 それを不満に思う。


 この気持ちがどこから来るのか、私には分かっていた。恋愛対象から外れていた主任が、今はちょっと、いや、かなり気になる存在になっている。

 主任との業務上の接点は、残念ながら多くない。なので、下手をすると一度も会話をしないまま一日が終わることもある。

 その状況を打破しようと、私は知恵を絞った。


 出社の早い主任に合わせて、朝の電車を早めてみた。改札を出るとちょうど主任の背中が見えたので、追い付こう足を早める。

 その時、後ろから声を掛けられた。


「長峰くん」


 振り返ると、それは松田部長だった。


「あ、おはようございます」

「今日はやけに早いんだね」

「えっと、昨日やり残した仕事がありまして」

「そうか。それはお疲れ様」


 結局部長と一緒に出社するはめになってしまった。聞けば、部長も毎朝この電車らしい。

 早朝出社作戦はボツとなった。


 次は、廊下で自然に出会った振りをする作戦を実行してみた。

 主任が席から廊下に向かうのを見付けると、急いで机の上のマグカップを手に取って給湯室に行く振りをする。だが、足の速い主任にどうしてもタイミングが合わなくて、トイレに入る背中を見送るのが精一杯だった。


「由香先輩、最近コーヒー飲み過ぎじゃないですか?」

「そ、そうかな」


 主任が席を立つ度に給湯室に行くのは不自然だし、健康にも悪い。

 この作戦もボツとなった。


 さらに。

 取引先から頂いたお菓子や、主任宛の電話を取った時の伝言メモなど、机の上に置いておけばいいものを、あえて手渡しにしてみたりもした。


「ありがとう」

「いえ」


 いちおう会話はできた。

 でも、それだけだった。


 私、バカなんじゃないの?


 自分で自分に呆れた私は、志保を誘って焼き肉の食べ放題に行った。志保が驚くほどたくさんお肉を食べた私は、翌朝重い胃もたれに苦しんだ。

 これ以上無駄な行動は慎むべきだと強く思った。


 そう思ったのに、やっぱり私は主任のことを考えてしまっている。

 そんな私が、今一番気になっていること。

 それは、鞄と靴だ。


 持ち手の色が変わっていて、糸がほつれ始めている鞄。

 磨いてはあるが、すでにくたびれ感が出ている靴。


 スーツとワイシャツ、そして時々着用するネクタイは、いちおうセーフということにする。手帳などの小物類も、気にはなるが、目立つというわけではないのでこちらもセーフ。

 だが、鞄と靴はアウトだ。この二つだけは何とかしたい。

 あの状態でも成果を出し続けているのだから、世間の人は、私が思うほど鞄や靴に興味がないのかもしれない。

 それでも、私は気になって仕方がなかった。


 最近主任から飲み物をご馳走になることが多かったので、そのお礼としてプレゼントするのはどうだろうか。値段が釣り合わない点については、この際目をつぶることにしよう。

 鞄は、今のと似たものを買えばきっと大丈夫だ。主任がブランドや色にこだわるとは思えない。

 でも、靴は無理がある。実際に履いてみないと合わないことも多いし、そもそもサイズが分からない。


 私のスマホの閲覧履歴は、男性物の鞄と靴で埋め尽くされていた。家のパソコンも同じ状態だ。

 おかげで、最近はどのサイトを見ても鞄と靴の広告がポップアップするようになっている。鬱陶しいと思いながらもついそれをクリックしてしまう私は、もはや病気なのかもしれない。

 などと考えていると、ちょうど外出していく主任の姿が目に入った。


「せめて鞄だけでも……」

「由香先輩、鞄が欲しいんですか?」


 びっくりして横を向く。


「私、今何か言った?」

「はい。せめて鞄だけでもって」


 重症だ。これは何とかしなければならない。

 でも、いったいどうすればいいと言うのだろうか。


 その私の悩みが、なんと数日後には解決することになる。

 ただし、それは決して私の望んだ形ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ