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主任と私  作者: まあく
25/60

25.人事異動の裏側

「これから話すことは、絶対口外しないでほしい」


 そんな言葉から部長の話は始まった。


「長く営業をやってるとね、お客様と強い関係を築けることがある。それが、時には行き過ぎちゃうってことがあるんだ」

「行き過ぎですか?」

「そう。でね、前の部長と、あるお客様がそういう関係になってしまった」


 咄嗟に私は、ある顧客名を思い浮かべた。

 古くからの取引先で、最近突然売上がなくなってしまったお客様。


「前部長が営業マン時代に開拓したお客様でね、部長になってからは三上くんが引き継いでいたんだけど、個人的にはずっとつながってたみたいなんだ」


 やっぱりあのお客様で間違いなさそうだ。

 売上がなくなったのは主任が担当を外れたからだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。


「後から分かったんだけど、そのお客様への接待費が突出していた。飲食、贈り物、ゴルフに旅行。ほとんどが部長決裁枠の範囲内だったけど、中には領収書を分けたり偽造したりして、強引に処理をしていた形跡もあった」


 言われてみれば、あのお客様に対する接待は多かった気がする。三上主任から何度も経費申請の書類を受け取った記憶があった。

 ただ、金額も領収証も、不自然なものはなかったように思う。


「全然分かりませんでした」


 驚く私に部長が答えた。


「まあ、そうかもね。危ないものは、全部自分で処理してたみたいだから」

「なるほど」


 部長の権限があれば、全部一人で処理が完結できる。

 まさに不正し放題だ。


「でも、そういうのって、バレないものなんですか?」


 素直な疑問をぶつけてみる。

 部長が苦笑した。


「うちは上場してないからね。監査もそれほど厳しくないんだよ」

「そんなものなんですか」

「まあね。それとね、ほかの取引先との接待を減らして、予算枠を越えないようにしていたんだ。それもバレにくかった原因だろう」


 何て狡賢いのだろうか。

 私は眉間にしわを寄せた。


「先方に確認したら、先方のうちに対する接待費もかなりの額だったらしい。互いに経費で楽しんでたってことだね」


 私が呆れ顔で部長を見る。

 その部長が、声を落として言った。


「で、これが決定的にダメだったんだけど、そのお客様から、前部長に贈り物がされてたんだ」

「贈り物?」

「そう。その中のいくつかは、うちの経費で買ったものだった」


 それはアウトだ。完全にアウトだ。

 思わず私は周りを見回した。どの席も大いに盛り上がっていて、こちらを気にする気配などまったく感じない。

 部長が普通の居酒屋を選んだ理由が分かった。こんなこと、大人の雰囲気漂う静かな店では絶対に話せない。


「それを最初に掴んだのが三上くんだった。彼は前部長に直接話をしたみたいだけど、何だかんだと言い逃れをして非を認めない。だから、諦めて人事部に報告した。それですべてが明らかになった」


 もう声が出なかった。

 黙って部長の続きを待つ。


「調査結果を前部長に突き付けると、はじめは言い訳をしていたらしいけど、最後は諦めて白状したって話だ。悪いことは、やっぱりバレるものなんだね」


 本当にその通りだ。

 調べれば分かってしまうことなのに、どうして不正に手を染めるのだろう。


「経営陣は慌てたんじゃないかな。大急ぎで、だけど表沙汰にならないように対応がされて、その影響でいろいろなことが変わった。これが今年の人事異動の裏事情だよ」


 私に法律の知識はないけれど、前部長のしたことは犯罪なのではないかと思ってしまう。

 だが、それを部長に聞くのは躊躇われた。それこそ聞いてはいけないことのような気がした。

 そうだとしても、一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあった。


「事情は分かりました。ただ……」


 私が部長を見据えた。


「どうして三上主任も異動になったんですか? 悪いのは前部長で、三上主任は関係ないと思うんですけど」


 そこだけは確認しておきたかった。

 話を聞く限り、三上主任に落ち度はないはずだ。

 松田部長が、顔を曇らせる。


「一部で噂になったんだ。三上くんも共犯なんじゃないかってね」

「噂?」


 私の脳裏に、ある人物の顔が浮かんできた。


「その噂はすぐに消えた。というより、消された。経営陣から強烈な通達があったからね。だけど、経営陣も疑わざるを得なかったんだろう。黒である証拠はなかったけど、白である証拠もなかったからね。結果三上くんも異動となった、と僕は解釈している」


 それは理不尽だ。

 とても納得がいかない。


「部長は、三上主任が共犯だと思っているんですか?」


 私が聞いた。この時の私は、ちょっと怖い顔をしていたかもしれない。

 部長が目を見開く。

 部長が黙る。

 やがて。


「僕は、三上くんが新人の頃から一緒に仕事をしてきたんだ。彼がそんなことをする男じゃないってことは、よく分かっているつもりだよ」


 微笑みながら部長が答えた。

 その微笑みに、嘘はないと思えた。

 私が大きく息を吐き出す。緊張を解いて、部長に頭を下げた。


「変なことを聞いてすみませんでした」


 すると。


「いいよ。長峰くんにとって、そこが一番大切なんだろうからね」

「えっ!?」


 思わず顔を上げた私に部長が言う。


「彼は不器用だけど、誠実で真っ直ぐな男だ。いい奴だよ」

「な、何のことですか!?」


 私が動揺する。

 部長が楽しそうに続ける。


「まあ、それは置いとくとして、長峰くんがさっき言ってた”当時のことを噂している人物”って、山下さんのことでしょ?」

「えっと、そうです」


 驚く私に部長が言う。


「山下さんには僕から釘を刺しておくよ。それと、人事部の岩田さんにも言っておく。それでもだめなら、専務から言ってもらうかな」

「専務から?」

「そう。専務から言われたら、さすがの山下さんも黙ると思うからね」

「どうしてですか?」


 お局様と専務は同期入社だ。くん付けで呼ぶくらいだから、専務とは仲がいいのではないだろうか。


「昔いろいろあってね。山下さんは、専務に頭が上がらないんだよ」

「そうなんですか?」


 とても気になる話だが、そこに踏み込むのは大人げない気がした。


「繰り返すけど、今日の話は他言無用だ。いいね」

「はい」


 しっかり返事をする私を見て、部長が満足そうに頷く。


「面倒な話はこれでおしまいにしよう。さあ、食べようか」


 部長が焼き鳥に手を伸ばす。

 私がビールを一口飲む。


 今年の人事異動の裏側は分かった。

 お局様の言っていたことが、いつもの勝手な妄想だったことも分かった。

 それでも、私の中のモヤモヤは晴れなかった。


 どうして主任が……


 ジョッキをドンとテーブルに置き、焼き鳥を一本取り上げて、先っぽのお肉を口に入れる。続いて二番目を口に入れ、三番目にもかじりつく。口をモグモグさせながら、最後の一つを歯で挟んで串から引き抜き、そのまま口に放り込む。

 目を丸くする部長の前で、まだ口の中に残っているというのに、私はもう一本串を取り上げて、勢いよくそれにかじりついていた。


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