02.噂
会議室から戻ると、ちょうど志保が郵便局から帰ってきたところだった。
「請求書、送っておきました」
「ありがと」
礼を言って自分の席につく。志保も自席に座って仕事を始めた。
しばらくすると。
「何かあったんですか?」
突然声がした。
「私でよければ、お話し聞きますよ」
びっくりして隣を見る私に、仕事の手を止めないまま志保が言う。
「先輩は、何でも抱え過ぎなんです。お人好しもいい加減にしないと、いつか痛い目を見ることになると思いますよ」
絶賛痛い目を見ている最中の私は、志保の言葉にうなだれた。
志保には昔から鋭いところがある。周りの感情の変化にすごく敏感なのだ。学生時代はそれに戸惑うこともあったが、反対に助けられたこともあった。
見回すと、周囲に人はいない。後輩に弱みを見せるのはどうかとも思ったのだが、私は、つい先程の会議室でのやり取りを志保に聞いてもらうことにした。
「きみ、営業部長の松田さんと、不倫してるの?」
ストレートな質問に、小さな声で私が答えた。
「……してません」
こんなに弱々しい答えでは余計に疑念を抱かせるだけだ。
そうは思ったのだが、これ以上の言葉が出てこなかった。
「本当に?」
「はい」
床を見つめる私に部長の顔は見えない。でも、間違いなく私に疑いの眼差しを向けていることだろう。
そう思ったのだが。
「そうか。変なことを聞いて悪かったね」
「え?」
顔を上げた私に、部長が真顔で言う。
「これからは、誤解を与えるような行動を慎んでください」
「……分かりました」
「もう仕事に戻っていいですよ」
尋問は呆気なく終わった。
私は、狐につままれたような顔で、一礼して会議室を出たのだった。
「なるほどね」
志保がパチンとキーを叩く。
「その話の出所、私知ってますよ」
「そうなの!?」
思い切り大きな声が出てしまった。
コピー機の前にいた営業マンがびっくりして振り向く。
「すみません」
頭を下げ、営業マンが向き直るのを確認してから、今度は小さな声で聞いた。
「誰なの?」
「お局様です」
聞いた瞬間、私は天井を仰いだ。
「あの人かぁ」
お局様。
総務部の超ベテラン社員で、専務のことを”くん付け”で呼ぶ、社内でも希有な存在だ。
「給湯室で”腰巾着”に向かって話してました。あの人の声大きいから、廊下までまる聞こえでしたよ」
独特のキンキン声を思い出して、私は顔をしかめる。
「きっとあの人が人事部長の耳に入れたんでしょうね。”社内の風紀は私が守る!”とか何とか言って」
志保が肩をすくめた。
お局様は、多くの社員、とくに女性から恐れられていた。自分基準がはっきりしていて、そこから外れる行為を許さないからだ。
「私、曲がったことが大嫌いなのよ」
と、まるで昭和の頑固おやじみたいなことを公言している。そのくせ、専務を”くん付け”で呼んだり、お気に入りの社員には甘々だったりと、基準の曖昧さはなかなかのものだ。
「めんどくさいわぁ」
ため息をつく私に志保が聞く。
「で、どうなんですか、本当のところは」
聞かれた私は、もう一度ため息をついてから答えた。
「それがねぇ、あるのよ、心当たりが」
「そうなんですか!?」
志保の大声に、また営業マンが振り返った。