13.もとエースの実力
「三上くん、久し振りだね」
驚いて正面を見ると、恰幅のいい初老の男性が立っていた。
主任が素早く立ち上がって挨拶をする。
「社長、ご無沙汰しております」
慌てて私も立ち上がった。
社長と呼ばれた男性が、にこやかな笑みを浮かべて話し出す。
「最近全然顔を見せてくれないじゃないか。前はあんなに来てくれたのに」
「申し訳ありません。新しい仕事が忙しくて」
「そう言えば、新規顧客の開拓をしてるんだったね。まあ大変だと思うけど、息抜きだと思ってたまにはうちにも来てよ」
「あの、社長。もしかして、うちの新しい担当が何か……」
「いやいや、彼はよくやってくれてるよ。ただね、また君と山の話がしたいと思ってね」
「そうですか、ありがとうございます。では、近いうちにお邪魔します」
「待ってるからね。絶対だよ」
「はい」
男性は、私に人懐っこい笑みを見せた後、軽く手を挙げて去って行った。
その背中を見送りながら、主任が説明してくれる。
「一課の時に担当していた、工作機械メーカーの社長さんなんだ」
「そうなんですね」
「訪問すると、社長が自分で豆をひいて、コーヒーをご馳走してくれるんだよ」
「すごいですね」
社長自らコーヒーを淹れてくれるとは、なんて気さくな人だろう。
それとも、相手が主任だからそこまでしてくれたのだろうか。
感心していると、今度は反対から別の男性の声がした。
「三上さん、お久しぶりです」
「あ、田中さん。お久しぶりです」
振り返ると、メガネを掛けた三十くらいの男性が嬉しそうに笑っていた。
「じつは、例の案件のおかげで、僕、昇進できたんです」
「そうなんですか? おめでとうございます」
「ありがとうございます。これも三上さんのおかげです。本当に何とお礼を言えばいいか」
「私は何もしていませんよ。田中さんの努力の賜物です」
「そんなことないです。三上さんがいてくれたからこそ、あれほどの契約を取ることができたんです」
田中さんと呼ばれた男性は、ひとしきり主任を褒め称え、何度もお礼を言って、やはりにこやかに去って行った。
「あの人は、商社の営業マンなんだ。田中さんの会社に大手メーカーから引き合いがあった時、何度か同行して、部品の詳細や納期の説明をしたことがあってね。それがうまくいって、成約にこぎ着けたことがあるんだよ」
商社は、商品を仕入れて売るのが仕事。うちの顧客にも商社はいくつかある。海外や大手との取引は、商社を通じて行うことも多い。うちのようなメーカーにとって、商社は重要な顧客の一つなのだ。
「主任って、いろんな人に……」
私が言い掛けたその時。
「やあ、三上さん!」
また声が掛かった。
「あ、どうも」
主任が笑う。相手も笑う。
楽しそうに会話をして、その人が去って行く。
そんなことが何度か続いた。その度に、私は立ったまま二人の会話を聞いていた。
来る人みんなが主任に言う。
三上さんには助けられた
来る人みんなが笑顔を向ける。
たまにはうちにも遊びに来てくれ
もと一課のエースは伊達ではなかった。
主任は、こんなにも顧客や取引先から慕われ、頼りにされてきたのだ。
そう思ったら、何だか私は嬉しくなった。
嬉しくて、誇らしいと思った。
だから私は言った。
「主任」
客足が途切れたタイミングを見計らって、強い声で言った。
「私がここで対応しますので、主任はほかを見てきてください」
唐突な言葉に驚きながら、主任が答える。
「いや、でも……」
「大丈夫です。来客があれば、分かることだけ説明して、分からないことは、あとでご連絡しますと言って名刺を頂いておきますので」
しばらく私を見つめた主任が、微笑んだ。
「そうか。じゃあ、悪いけどちょっと外すよ」
「はい。いってらっしゃい」
主任を追い出すと、私は姿勢を正して椅子に座った。
気付いてしまったのだ。主任は、ここに遊びに来ている訳ではない。
顧客に挨拶し、新しい知識を習得し、新しい顧客を掴む。そのために主任は来ているのだ。
主任のすごさに感心している場合ではなかった。
私は、私にできることをしなければならない。
机の上の製品カタログをトントンと揃える。
手持ちの名刺を数える。
手鏡で制服のリボンと前髪の状態を確かめる。
「よし!」
手鏡をポケットにしまい、もう一度姿勢を正した私は、気合い十分で正面を向いた。
すると。
「ちょっといいですか?」
またも来客である。
「いらっしゃいませ」
立ち上がって、私は精一杯の笑顔を浮かべた。
早速の試練。これをきちんと乗り越えなければならない。
だが、残念なことに、私はこの試練を乗り越えることが出来なかったのだ。




