死骸放置
仕事を終えて帰るとアパート前の道路の真ん中にネズミの死骸があった。小さなネズミだがぺちゃんこにつぶれてはいないのでクルマに轢かれたのではない。
あいつの仕業だとおれは直感した。
アパート前の道路というのは家々の窓が面していてちょっとした広場みたいになっている。奥が袋小路なので往来するのは近辺の住人がほとんどである。郵便や清掃、宅配便などのほかはクルマが入ってくることはほとんどないため子どもたちの恰好の遊び場になっている。うちのアパートも遊び場の一部となっており、突然どどどどどどどどとガキども、いや子どもたちが楽しげに鬼ごっこに興じているのが部屋の中へも響いてくる。そのくそジャリども、いや子どもたちをコンクリート塀の上に陣取って目をほそめるように見守っているのがあいつ、すなわち黒トラである。ほとんど黒猫に近い雑種の野良公で背や足先にはかすかな暗灰色のトラ模様がある。
なんの変哲もないただの猫である。ほかの猫と同じように、アパートの階段下や路地の入り口あたりでひっそりと座ったり寝ころがったりしている。早朝や日の暮れ方には道のど真ん中で毛づくろいをする。そのど真ん中というのが、いまネズミの死骸が横たえられているあたりなのだ。やっぱりあの黒トラが置いたのだろう。しかしなぜ置きっぱなしなのか。
ネズミを捕まえた猫はしっぽを口にくわえてネズミをぶらぶらさせながら悠然と歩くものだ。獲物をこれ見よがしにひけらかし町内を誇らしげに闊歩していなければいけない。それでこそ野良だ。成果をアピールすれば町内での野良猫の地位向上にもつながろうというものである。そのせっかくのトロフィーを放置とは。
近くにいるのだろうか。なにげなくあたりを見回したが黒トラどころかほかの猫たちもいない。
『まったく。しょうがないなあこんなところに置いたままで。クルマにつぶされるぞ』
おれはネズミを迂回してアパートの階段口にむかう。土曜日なのでまだ夕方までには間がある。シャワーでも浴びて、ちょっと横になってから夕食の買い物に行こう。疲れた重い足どりで階段をあがりながらそう考えた。
夕方に目覚めたおれは買い物に行くため階段をおりた。ネズミの死骸がまた目についた。
『まだある』
これまでここを通った人間はおれも含めてだれも片づけなかったわけだ。だれもがおれと同じようにこれは猫の仕業に違いないから猫が取りにくるかもしれないと考えたのかもしれない。しかし、さすがに道の真ん中にこんなものがあると抵抗感がある。
スーパーではなんとなく猫のことが頭にあったせいかサンマの塩焼きを買った。アパートの路地に入ると手にしたスマホをことさらに眼前に掲げて気にしていないふうを装いながらブツのほうに視線をやる。まだネズミの死骸は放置されたままである。
『うーん』
おれは階段をあがりながら考える。あんなところにあってはいずれクルマかバイクか自転車か、ひょっとすると人の足がぐしゃりとつぶしてしまうかもしれない。そうなると何日かの間つぶれた死骸を拝まなければならなくなる。考えるだけでも不快だ。アパートのすぐ前だから回避のしようもない。いまならしっぽをつかめば簡単に運べる。つぶれたらやっかいだ。しょうがないとおれは観念し、買い物袋を置いて割り箸を手に階段をおりた。
アパートと隣家との間は地面がむきだしになっているからそこへ埋めてやろうと思い、試しに箸の先を突き立てようとしたらとんでもなく固い。これではたとえ小さな穴とはいえ掘れやしない。弱ったなとふりかえると階段の前の植え込みが目にとまる。沈丁花とツツジが植わっているが今年はツツジが例年になく早く咲き、さっさと散ってしまった。生い茂った枝葉の根元あたりはあらためて見るとスカスカで猫がゆうゆうと歩けるほどの空間がある。箸もすんなりと突き立ち、いくらでも掘れそうだった。
『ここにしよう』
おれは箸で小さな穴を掘った。深く掘る必要はない。たしかL.L.ビーンのパンフレットにアウトドアのエチケットとして野原などで用を足すとき、すなわち野糞を垂れるときは五センチほどの穴を掘ってそこにいたしましょうと書いてあった。ミミズなどが活動しやすい深さなので分解が早いそうだ。ネズミの死骸でもまあ同じ理屈だろうからちょっと掘ればいいのだ。
さていよいよネズミの運搬である。さいわい人の気配はない。やましいわけではないがあまり人には見られたくない。道路の真ん中にしゃがみ込んで死んだネズミを運ぶなどいかにも怪しいではないか。死骸放置の事情をしらない人間が見たらなおさら怪しく映るだろう。ちょっと見にはなにをしているのかわからない。咎め立てされたら厄介だし、おれが殺した犯人みたいに見られてネズミ殺しの汚名を着せられないとも限らない。
暮れなずむ路地の口からだれも入って来ないのを確認し、おれはブツに忍び寄る。しゃがみこんでしっぽを箸ですばやくつかむ。そのまま持ち上げればいいはずだったがネズミの体は抵抗した。胴体はすんなり離れたのだが頭が接着剤でも付いているかのように路面にしがみつく。
「う」
おれは思わず呻いて箸を持つ手から力を抜いた。頭部から出血し凝固してアスファルトにくっついたのか、頭だけ踏まれてぺしゃんこに潰れたか、いずれにせよ下手したら頭が取れてしまって二度手間になる。しかしここで放せばまたやり直しでこれまためんどうだ。おれは一瞬のためらいの後、ええいままよと箸でしっぽをつかんだまま力を強めていった。幸い箸が折れるほどの抵抗はなく、やがてネズミの頭部はべりと剥がれた。
路面を見ると赤い小さな塊が残っている。よけそこなった自転車か人に頭部だけつぶされたのだろう。持ち上げたネズミは意外なほど軽かった。おれはネズミをぶらさげて植え込みにむかった。ぶらぶらさせると飛んでいきそうなので注意深く箸をコントロールする。
そっと穴に横たえ土をかぶせていたらふと路面に残った肉塊が気になった。引きかえしてこそぎ取ろうとしたが路面にこびりついているので箸の先にわずかに肉片を付着させるだけであきらめた。その箸先をいまネズミを埋めた辺りの土にこすりつけてやる。
箸をビニ袋に収め、さてこれで終わった。道路には赤い痕跡が見えるがすぐに消えるだろう。おれはほっとして階段をあがった。背後の夕日が最後の光を街に投げているのを肩の高さに感じたその刹那、階段の下で気配がした。しかしおれはことさら気にも止めずに階段をあがり、部屋のドアを開けた。
その夜、おれはささやかな満足感を覚えて寝に就いた。ネズミだって死ねば仏だ。アスファルトの上より土のなかのほうが成仏しやすいだろう。成仏の手助けではないがネズミには感謝されてよいわけである。そう考えれば自分の行ないに満足しても罰は当たらない。また通行の心理的な障害となるブツを排除したのだから世間にも奉仕できたわけで、善行というと口幅ったいが少しは善いことをしたと自賛してもいいはずだ。とどのつまりネズミはおれにささやかな幸福感をもたらしてくれた。感謝するのはおれのほうかもしれない。ネズミとそれを運んできた猫に。ビールと日本酒の酔いも手伝って闇のなかに夢路はもうすぐそこまで来ていた。
意識がふうっと遠くへ引きこまれる心地よさにひたっているとき、ふいに玄関のほうで物音がした。ガサゴソと何かが動くようなので聞き耳を立てるとたしかに音はしている。しかし気にするほどの音ではない。おおかたゴキブリでも出たのだろうと寝がえりを打ちながらさらにうかがうと、音はどうやらドアのあたりらしい。ガリガリとひっかくような、それもドアの外側のようだ。ちょっと見て来ようと思うが、そう思えば思うほどかえってとろとろと眠りに溶けていくのが加速した。