第六十一話 カイル歴3年 禍の到来
カイル歴3年の年が明けた。
此方では、正確には私の知る日本の暦と違いもあったが、大きく異なるものではなかった。
だが、大きな違いもあった。
日本では新しい年を迎えた日には仕事を休み、親類縁者が集い、新しい年を祝いことが常とされていたが、この世界、特に人外の民や魔の民の風習にはそれがなかった。
私は敢えて、新しい年を迎えた日を祝うこと、そして新年早々には、関係した者たちを集め、感謝の宴を催すことを定めていた。
カイラールに移り住んで以降も、その習慣は継続している。
新しい年を迎えて3日後、この日も各所で贅を尽くした料理が振舞われ、皆が等しく杯を交わし、新しい年を祝っていた。
祝いの席には、生まれて間もない赤子を抱えている女性や、お腹の膨らみが目立つ女性も多い。
カイラールに移住して2回目の新年、腰を落ち着けた生活基盤が整い、安定した生活が送れるようになってきた証拠だろう。
そう思って私は、宴を楽しむ人々を見ていた。
「国王陛下に申し上げます! 宴の途中で無粋な報告をご容赦ください」
そう言って、完成間もない王宮、といってもまだ、ちょっと大きな二階建ての家、そんな程度のものだが、唯一格段に広い広間と、そこから続く宴の会場である広いテラス、そこにゴウラス男爵が現れ平伏した。
どんな祝いの日でも、警備と警らに当たる者は欠かせない。
毎年輪番制で、それを受け持つよう決めており、今年の宴の日はゴウラス男爵が担当だった。
「男爵、緊急の報告は何よりも優先だ。顔を上げて続けてほしい」
「はっ、ありがとうございます。
先ほど長城を警戒していた者から報告があり、時空の氏族が続々とカイラール目指して移動中とのことです。なにやら尋常ではないことが起こった模様で、定軍山の里を捨て、こちらに移動しております」
「なっ! それは真なのか? クーベル殿とは昨年お会いしたばかりだが……」
「はっ! 一行を率いる者は、カナルと申されており、今は族長代理を務めていると。その方自身が先触れとして参り、詳細は直接申し上げたいと。今は行政府にてお待ちいただいております」
「急ぎ会おう! すまないが皆はこのまま宴を続けてほしい。アルス、ファルケ、アース、ヘスティア、ファル、アベル、長老は、私と男爵とともに、行政府へ! グレイブ殿もご足労願えますか?」
そう言うと、私は真っ先に駆け出した。
色々あって忘れていたが、真っ先に闇の使者が訪れた際、言っていたことが頭に浮かんだ。
グレイブ殿にも同行を依頼したのは、そのためだ。
無意識に私は足を速め、その者が待つ一室へと入っていった。
「先ずはカイル王にお詫び申し上げます。どうしても急ぎお伝えしたいこと、そして庇護をお願いしたく、無粋な真似をして申し訳ありません」
顔を上げて話し始めたのは、何となく知っている面影を持つ、まだ少女と呼んで差支えのない年齢の女性だった。
「先ほど、現在は氏族長代理を務められていると聞きましたが……、クーベル殿はどうしておられる?」
「はい、父は昨年末より流行した疫病に冒され、必死の看護の甲斐なく身罷りました」
「なっ!」
私より先にアベルが大きな声を上げて膝を付いた。
「それは心よりお見舞い申し上げます。疫病……、ということは、一族の方も?」
「はい、半数近くが疫病に倒れ、今やテイグーンは死の里となり果てました。テイグーンだけではありません。風の氏族の里、そしてエストも……」
「な、なんと!」
「まさか……、魔物病、でしょうか?」
魔物病? それは一体何だ?
私はグレイブ殿の言葉を疑問に思った。
「はい、その通りです。感染は瞬く間に広がり、手の施しようがありませんでした。
私は最後の父の命を受け、事態を聖の氏族の里に伝え、助力を乞うとともに、無事な者たちを避難させるため、この地まで参上いたしました」
「グレイブ殿、魔物病とは?」
「陛下、魔物病とは、魔境に住まう者にとって、逃れえない疫病です。言い伝えでは、何十年かに一度、魔物が大量発生した数年後に、発生すると言われております。高熱を伴い高い致死率の病で、非常に強い感染力があります」
「私からも申し上げます。我ら人外の民が、人界で迫害されるようになった原因は、この魔物病にあると言われております」
ふむ……、スペイン風邪のようなものか? それとも、黒死病?
ヘステァの言葉も気になる。それほどの重大疾病ということか……
「我ら聖の氏族は、唯一対処法を伝授されております。あくまでも対処法で、全員を必ず救えるわけではありませんが……」
グレイブ殿も沈痛な表情をしていた。
まてよ……
以前我々が、カイラール目指し魔境を進むに当たり、クーベル殿から聞いたことがある。
『ローランド王国兵の侵攻によって、魔物が大発生しているので、交易を一時見合わせている』と。
それを考えれば、今回の疫病の発生は、根本の原因は……、我々だ!
魔物の餌となる、大量の人馬を魔境に、テイググーン近くに引き入れたのは我々なのだから……
私は蒼白になった。
「直ちに救援部隊を編成し、テイグーン及びエスト、その一帯に派遣する!」
「お待ちください!」
クーベル殿とカナル殿が同時に声を上げた。
「カイル王陛下、我らの伝承には、魔物病とはこう記されています。
増えすぎた魔物が餌を求めて共に喰らいあいことで斃れ、餌となる死骸が増えた結果、魔物を食らう鼠共が増えます。そして、増えすぎた鼠が今度は餌を探すため、それを求めて人里に入り込み、そこから感染が広がる。
そう言われております。今動かれるのは危険すぎます」
「テイグーンでも、里に鼠が溢れております。エストも、そして風の氏族の里も恐らく……」
「くっ……」
私は悔しさのあまり、唇を強く嚙んでいた。
自らが招いた災厄なのに、自身では何もできないのか?
「グレイブ殿、聖の氏族ならこの対処は可能、そう仰ったように聞こえたのですが……」
「はい、犠牲者を減らすことなら」
「であればお願いします。謝礼はいかほどでもお支払いいたします。どうか、我らの恩人に救いの手を」
「承知しました。急ぎ里に使者を走らせます。カナル殿には、次の4点をご承知おき願いたい。
ひとつ、カイラールへ避難して来た者は全て、一角に隔離し、他との交流を当面の間禁じること。
ひとつ、テイグーンなどより持ち込まれた荷駄は、途上で全て焼き払うことに同意いただくこと。
ひとつ、鼠の死骸が紛れ込んだ可能性を考え、空間収納している物も全て、その対象とすること。
ひとつ、鼠を駆除するため、里、町、畑であろうと全て、焼き払う可能性があります」
「もちろんです。私たちが、この街に災厄を引き込むこと、それはあってはならないことです」
その後、グレイブ殿の陣頭指揮を受けた救援部隊が派遣された。
テイグーン、エスト、ファラン、そして風の氏族の里は、要請に応じて派遣したヘスティア以下の火魔法士たちによって焼き払われた。
その結果、二つの氏族は完全に里を失うこととなった。
それらの地域は、当面の間立ち入りが禁止され、我々が希望の大地、そう呼んだテイグーンは歴史の表舞台から姿を消した。
同時に、豊穣の大地であったエストールも、多くの者たちが去り、エストは無人の地と化した。
この災厄により、二人の氏族長、時空の氏族のクーベル殿、風の氏族のファラム殿が病に倒れ、それぞれの娘が、氏族長の代行となり、両氏族を取りまとめることになった。
「カナル殿、フロム殿、それぞれの氏族には、できうる限りの便宜をはかりたいと思っています。
カイラールには、それぞれの大使館を用意し、今後は氏族の新たな里も整えていく所存です」
「まぁっ、カイル様、そこまで……」
「何か申し訳ないです。私たちは何もお返しできないというのに」
「とんでもありません! 今回の疫病、その遠因は私にあります。なので私の償いでもあります。
どうかお二人の行く末、私に面倒を見させてください」
「まぁ! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いします。私が妻となれれば、氏族の者も喜びます。カイル様との男児をもうけ、将来の氏族長に据えることができれば、亡き父もきっと喜びますわ!」
「喜んで! カナル様の仰る通り、失われた魔法を取り戻したお方の妻に、この血統を風の氏族に……、皆の喜ぶ顔が目に浮かぶようですわ。私にも是非、後継者となる男児をお願いいたしますね」
少し照れた顔で答えた二人の少女は、嬌声を上げて大喜びで手を繋いで駆け出して行った。
この吉報を、それぞれの氏族に報告するために。
「へっ? 子供って……、その前に妻って?」
思わず呆けた声を発した私は、その時点でやっと気付いた。
私の言葉が足らなかったのか、両氏族のため身を粉にして尽力する、そう言ったつもりの言葉だったが、彼女たちには求婚の言葉として受け止められていたのだ。
だが、気付いた時は既に遅かった……
こうして私は、二つの氏族を代表する少女を、自身の妻として迎えることとなった。
だが……、これは始まりに過ぎなかったことを、私は後になって思い知ることになる。
最後までご覧いただきありがとうございます。
次回は、1月22日9時に【加速する合流】投稿する予定でしたが、本編出版日の特別編投稿作業や、出版関連作業、二巻の校正作業に手がかかり、投稿が遅れております。
1月26日にタイトルを変え、続編を投稿させていただきますので、どうか何卒、よろしくお願いします。




