第三十六話 もうひとつの脱出作戦
エスト中継所の高さ10mの防壁に囲まれた、東西1km、南北1.3kmに囲まれた内部では、春の終わりに植えられた作物の収穫が一斉に行われていた。
この時ばかりは、多くの者たちが平素の役割より、収穫作業の支援を優先して対応していた。
その中で100名程の一群がエストを出発した。
彼らは全員が騎馬に乗り、精悍なその様子は、まるで戦地に向けて出発するような雰囲気だった。
唯一違和感があるといえば、武装しているとはいえ、通常の兵士が纏う鎧や防具は付けず、軽装で身軽さを重視していた点であろう。
彼らは馬を疾走させ、ファランの中継所で休息を取ると、その日の夕刻に定軍山まで駆け抜けた。
「グーベル殿、この度はよろしくお願いします。
こちらで1泊させていただいたあと、明日は一気に南門中継所まで向かいます」
「カイル殿、ご無沙汰しております。
こちらもアベル含め、交易隊に5名、設営隊に50名ほど出します。道中よろしくお願いします」
この件、2人は事前に幾度も打ち合わせ済のため、至極簡単なやり取りだけが交わされた。
前回のゴールト伯爵率いる侵攻軍の敗退から、ローランド王国でどのような決定が成されたか彼らは知る由もない。だが、潜在的にある再侵攻の危険に備えるため、2人はある対処を行うことを決めていた。
再侵攻に備え、事前にそれを察知できる監視所の整備と、人員の派遣。
その拠点として、以前カイルらが設営し、その後ゴールト伯爵が拠点にした関門側の中継所を充てる。
事前調査により、それは既に遺棄されていることが判明しているので、再度整備を行う。
それらの再整備を共同で行い、その後の監視は、時空魔法士の氏族が担当する。
彼らは魔境の南にある中継所を、南門中継所と新たに呼称を定め、認識を共有していた。
そして翌日の早朝、カイルら一行、総勢155名は定軍山を出発した。
※
半年振りに南門中継所、半年前に私たちが隠れ里の民たちを引き連れ、そして追撃してきたドーリー子爵らを撃退したそれは、大きく様変わりしていた。
「これは……、かなり荒れていますね。
その後奴らも侵攻に備えて整備したとはいえ、半年そこらでここまでとは……」
到着するとすぐ、アルスは驚きの言葉を発しため息をついた。
アルスたちが地魔法で作った土の防壁は、至る所で崩れ、新たに定着した植物の蔦が絡まっていた。
「皆、内部にも既に魔物が入り込み、棲み処にしている可能性がある。
隊列を整えて、戦闘態勢で先ずは内部の安全を確認しよう。
どうせ一度は中を整備する必要があるので、火魔法士が最前列で焼き払いながら進もう」
私の言葉に、みな直ちに馬を降り、入り口前で戦闘隊形を組むと、内部に侵入した。
案の定、内部も草木が生い茂り、荒れ放題だったが、炎の壁が風魔法士の風に煽られ内部を焼く尽くす。
たまに炎の中から、魔物の断末魔の叫び声を発するが、こちらを襲撃するすることもなく息絶えた。
「では、外側は荒れ果てたままに見せ掛け、内側を再整備するとしましょう。
アース、手順に従って地魔法士たちへの指示を。
ファル、運んできた石を内側に積み上げて欲しい。
ファルケ、部隊を率いて外周の警備と哨戒を頼む。
ソンナ、周辺警戒と、接近するものがあれば警報を。
ソラたちはここで食事と野営の準備を。
では、各自作業を開始!
アルスは工事全体の監督と、非常時の退避誘導を頼む」
一気に全員が散り、所定の役割に従い作業に入った。
これまで何度も同じようなことは行って来ている。しかも今回選抜した人員は選りすぐりばかりだ。
瞬く間に、工事が進んでいく。
「いや……、噂には聞いてましたが。
こうして目の前で見ると、やはり末恐ろしいですね。
カイルさんたちの手にかかれば、こんなにも簡単に拠点が構築できちゃうんですから……」
驚くアベル始め、彼の後ろにいた氏族の時空魔法士たちも、口を開けて唖然としていた。
「いえいえ、私たちはこの作業をずっと繰り返しているので……、慣れているだけですよ。
これから氏族の皆さんには、万が一襲撃を受けた際の、防衛方法、罠の種類と位置、撤退の方法をご説明します。200名程度の敵軍なら、十分あしらえますよ」
そう言って、私は木の棒を使い、大地に絵を描いて説明を行った。
説明が進むたび、時に彼らは驚き、時に深く頷き、最後は誰もが自身に満ちた表情になっていった。
※
翌日の夕方、私たちは10名を、アベルたちは50名を南門中継所に残し、計65名でアベル達が作った秘密の山道を通りローランド王国に入った。
その頃には陽も沈み、辺りは暗闇に包まれていた。
そこで予定通り隊を3つに分けた。
◆アース率いる受け入れ部隊:25名
彼らは闇に紛れて、過去我々が使用したゴートに近い、東端の魔境内避難所へ。
そこが露見しておらず、安全が確認できれば、このあと訪れる人々の受け入れ準備を行う。
◆私が率いる交易部隊:5名(+アベルら5人)
ゴートの街に向かい、交易と今回の作戦の中継役を担う。
◆アルス率いる作戦本隊:60名
彼らは、アルス、ファル、ファルケを含む、最も戦闘力の高い10人と、ゴウラス男爵及を含む男爵旗下の兵50が、3隊に別れてそれぞれケンプファー男爵領を目指すことになる。
今回の作戦は、本来は交易による物資調達だけだったが、それを上回る大きな目的があった。
定軍山の防衛戦で勝利した後、ゴウラス男爵はそれぞれの兵士に今後の身の振り方を確認していた。
その際、全員が男爵と行動を共にすること自体は、即決で決めていた。
ただ少なからず、将来安全な暮らしがあるのであれば、家族を、身内を、恋人を呼び寄せたい、そんな意見もあったらしい。
エストの中継地で半年暮らし、兵士たちもその思いが強くなったようで、私はある日、困り果てた男爵からその相談を受けた。
私は基本的に彼らの想いを理解し、賛成だったが、3つの懸念点があった。
ひとつめは、彼らを連れて無事関門を越えれるか。
ふたつめは、その対象となった人々が魔境での暮らしを望むかどうかの懸念。
みっつめは、時間の経過に関する懸念だった。
彼らは恐らく、従軍し命を落としたことになっているだろう。その報を受けた身内は? 恋人は?
悲嘆に暮れつつも、新しい人生を歩むことを選択するかも知れない。
時間が経過すればするほど、その可能性は高くなる。
そして、脱出計画も困難になるだろう。
その懸念を彼らに共有の上、万が一の覚悟を決めること、それを条件に私は作戦を立案した。
「では、ゴウラス男爵、ご成功をお祈りいたします。
期限は今から10日後の日没、ドーリー子爵領手前の村です。そこでお待ちしています」
「カイル殿、我らの我儘をお聞き入れいただき、誠にありがとうございます。
私が責任を以って彼らを率います。
万が一期日に遅れた場合は、我らのことは置いていって下され。秘密は私が責任を持って守ります」
ゴウラス男爵は、凄まじい意思のこもった目で、私を見返し頷いた。
ゴウラス男爵は、今回の作戦に参加する兵たちに、ひとつの約束をしていた。
万が一、里心がついてケンプファー領に残ると言った者は、他の全員からその命を奪われること。
約束の期限に間に合わない場合も、全員が責任を取り自決すること。
彼らはその悲壮な決意のもと、参加している。
「万が一、やむを得ない事情があって遅れる場合は、連絡員を期限に寄越してください。
その場合は、必ず腕に黄色い布を纏ってください。
それがない場合、ことが露見したと判断し、我らは独自に撤収します。ご無理をなさらぬよう……」
「了解しました。では!」
「アルス、ファル、2人の魔法が必要なので最も危険な任務を託すが、絶対に無理はしないように。
ファルケ、最優先はこの10人の身を守ることだ。危険を感じたら10人だけで必ず帰って来てくれ」
「任せて下さい。
今回は留守ではなく、やっと大任をいただけたんだ。皆とともにやり遂げますよ」
代表してアルスが答えると、彼らはゴウラス男爵の後に続いた。
「アース、避難所の索敵は慎重にね。
避難所が露見し、彼らは罠を張っている可能性もある。事前に索敵は十二分にお願いする。
迎えは赤い布を腕に巻き出すのを忘れずに。
万が一、我ら交易隊が期日までに戻らない際は、後を引き継ぎ同胞の未来を託す」
「準備はお任せください。
後を引き継ぐのは御免ですからね。中継所でお待ちしています。では、失礼します」
「さて、ソラ、私たちも行こうか! 先ずはアベル殿の隠れ家に行って夜を明かす」
こうして我々の作戦は開始された。




