第三十二話 朱に染まる道
クーベルたちが隘路にて逆襲を行っていたころ、ゴールト伯爵軍が拠点とし、出撃していった砦の周囲に潜む、怪しい集団がいた。
その数31名。
彼らは三角砦と名付けた拠点に、救助した人外の民と、ケンプファー男爵とその旗下にある兵士たち、補給などを担当する仲間を残し、出撃していた。
「この中継所を占拠している兵は、ざっと100人か……
アース、地魔法で四方から一気に防壁を崩すことは可能だろうか?」
「そうですね……、今ここにいる地魔法士は私を含め2名だけです。なので一気にとはいきませんが……
一面づつなら崩していけます。何方に追い立てますか?」
「うん、ゴールト伯爵の本隊に合流されても厄介だ。
南側の壁だけを残し、北、西、東の順で崩落させ、奴らには南東方向、関門側に逃げてもらおう。
合図と共に頼む」
私はアースに作戦の実行を依頼し、残余の者を率いて一旦後退し待機した。
暫らく待っていると、見張りの者から報告が入った。
「隘路出口付近で天灯が上がっています。アルス殿が作戦を開始されるようですっ」
「了解した。では、我々も始めるとしよう。
ソンナ、我々の声をできる限り大きく。数百人の軍勢の鬨の声に見せ掛けて欲しい」
頷くソンナを見て、私たちは一斉に鬨の声を上げ、作戦開始の告げた。
※
砦内で留守を申し渡された者達は、突然南西方向が明るくなり、鬨の声があがったことに驚愕した。
数百はいるであろう鬨の声に交じり、恐らく味方であろう悲鳴も聞こえて来た。
「敵襲っ! 撤退だぁっ!」
「関門まで逃げろっ!」
「全滅するぞっ!」
これらの声が聞こえたと思ったとき、突然、轟音を立てて南側の防壁が崩落した。
鬨を置いて、崩落は西側、東側と続いた。
その間も敵の歓声はどんどん大きくなり、多数の敵が迫りつつあることが分かった。
この砦も、防壁を失えば魔物から身を守る、安全地帯ではない。
しかも、数に勝る敵軍の攻撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。
なんとか崩落に巻き込まれずに済んだ80余りの兵たちは、無我夢中で南東へと走った。
自分たちの半分以下の敵兵に怯えて。
ゴールト伯爵らは、撤退時の大切な拠点が失われたことをまだ知らない。
カイルたちは、留守部隊が遺棄していった食料などの物資を接収し、柵につながれたままの馬を引き連れ、いずこかへと姿を消した。
※
隘路出口付近に展開するアルスたちは、潰走する敵軍が眼下を通過するのを待ち受けていた。
別に展開するカイルへは、攻撃開始を告げる天灯を、先ほど空に放っていた。
各時空魔法士から分配された物は、それぞれが既に隘路に投げ込んでいる。
アルスはじっと時を待った。
そして、潰走した敵軍の先頭が眼下を通り過ぎたころ、先頭開始を告げた。
「火計班、火玉を下に落とせっ! 火魔法士は着火と火球攻撃を!」
彼らは手元に用意していた1メートル大の、藁と芝で球状にしたものに、火を付け眼下に転がした。
炎の塊となったそれは一斉に、火の粉をまき散らしながら、潰走する兵士たちの頭上に落ちていった。
炎の塊は、隘路に落ちると衝撃で激しく炎をまき散らし、そして地面が突然燃え上がった。
事前に、アルスたちがまいた油に引火して。
伯爵旗下の兵士たちは、突然落ちて来る炎の塊と、地面から沸き起こった炎の壁に巻き込まれた。
ある者は制動がきかず、そのまま炎の中へと消え、
またある者は炎から逃れるため崖下へ転落し、
それ以外にも多くの兵が火傷を負いながら、必死で炎から逃れようと逃げ惑った。
「第二段階、雷魔法士の攻撃開始! 他の者は弓を!」
炎の壁を避け、立ち止まった者達は密集していた。
不思議なことに、その場所には至る所に水たまりができ、彼らは足元を濡らしていた。
往路は暗闇で彼らは気付かなかったが、地面には塩がまかれ、そこに水魔法士が放った水で水溜まりが広がっていた。
そして突如、雷を浴びたような衝撃が彼らを襲った。
「うぁばばばばっ」
「ぐがががががっ」
彼らは絶叫しながら身体を痙攣させ、のたうちまわった。更にそこに、上から矢の雨が降って来る。
そして彼らはここに至ってやっと気が付いた。
この隘路自体が、自分たちを死へと誘う、悪辣な罠となっていることを。
多大な犠牲を出しながら、半分以下に減ったゴールト伯爵率いる侵攻軍は、満身創痍で隘路を抜けて東にある砦へと走った。
既に残骸となり、守る兵士も、防御壁もない砦へ……
※
やっとの思いで戦場を離脱し、潰走していた兵士たちも、なんとか出撃した砦に辿り着くことができた。
だがそこで、彼らは衝撃的な事実を知った。
「これはっ……、どういうことだ?
守備兵たちはどこに行った!」
ゴールト伯爵の、絶望の声に反応する者は誰もいなかった。
そこはただ、以前に何かの建造物があったであろう、そう思える程度の廃墟となっており、南側の壁だけが、かろうじてその姿を保っていた。
「悪辣な……、関門まで一旦撤退する!
おのれ奴らめ、覚えておれっ! 次は皆殺しだ」
ゴールト伯爵たちは、まだなお暗い、夜の魔境を抜けて移動を開始した。
だが、その一行は負傷者も多く、潰走している過程で武器を失ってしまった者も多い。
彼らを取り巻くように、魔物達が後を追っていることを、必死で逃げる伯爵たちは気付かなかった。
そう、今度は彼らが餌になる番であった。
※
もうどれだけ移動したか伯爵自身覚えていない。
伯爵自身、騎馬で少しでも早く駆け抜けたかったが、多くの者は徒歩で移動している。
彼らと行動を共にするというよりは、孤立して魔物に襲われるのが嫌で、伯爵は彼らと共に撤退していた。
途中で幾度となく魔物の襲撃を受け、都度、少なくない数の兵士たちがその犠牲となった。
闇夜の撤退で道に迷い、離散した兵達も多い。
大地を紅く染める朝日が昇るころ、100名に満たない数まで減った一行は、必死に走り続けた。
彼らの後方には、魔物に襲われた同胞たちの血で、道は赤く染まっていた……
魔物たちはその跡を辿り、集結しながら間断なく襲ってくる。
「だめですっ! 完全に取り囲まれていますっ」
兵たちの絶叫を聞き、ゴールト伯爵は叫んだ。
「儂は……、儂は栄えあるローランド王国の伯爵だぞっ!
魔物などに襲われる道理など、あるかっ!
あっ、ひぃぃぃっ、いやじゃぁっ!」
この言葉が、隆盛を誇ったローランド王国伯爵、ゴールトの最後の言葉となった。
彼は、横合いから突進した魔狼の牙にかかり……、大地に引きずり降ろされ、絶命した。
北の魔境に侵攻した、ゴールト伯爵率いる遠征軍1,300名、開拓団300名は全滅した。
威容を誇って出陣した関門には、結果として僅か十数名の兵士が命からがら辿り着けただけだった。
この兵士たちは、カイルたちの攻撃によって砦から逃亡した者達であり、もちろん隘路での戦いの経緯は知らない。
ローランド王国では、ゴールト伯爵を始め、複数の貴族当主、そして1,300名もの兵士を失った事態を重く見て、その後は北の魔境への遠征を固く禁じた。
魔境を隔てる関門の大扉は、その後百年以上の単位で、再び開け放たれることはなかった。
※
戦場で日が昇り、朝がやって来たころ、カイルたちは慌ただしく働ていた。
一隊は、地魔法士を中心に、隘路の出口を取り囲む防御壁を構築していた。
一隊は、三角砦から保護された者達を率い、定軍山へと移動し、
最後の一隊は、隘路上、及びその近辺での敵負傷者の救助と、遺体の回収に走りまわっていた。
ケンプファー男爵と旗下の兵も、救助と遺体回収の任に付き、保護された人外の民たちもこれに加わった。
里の近くで、負傷者や遺体を放置する事は、新たな魔物を誘う呼び水となる。
彼らは必死になって、その作業に当たった。
こうして、彼らは遠征軍による侵攻の危機と、その後にくる魔物襲来の危機を免れた。
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次回は三日後、8/4の9時に『新たなる旅の始まり』を投稿します。
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