第三十一話 隘路(あいろ)決戦
話は少し遡る。
ゴールト伯爵によって、人外の民たちが囮として東に放たれた少しあと、伯爵の率いる本隊も粛々と西へと進軍していた。
彼らは定軍山の隘路、そしてその先にあるであろう人外の民たちが住まう里を目指していたのだ。
「先遣隊は我ら本隊に先んじて隘路に侵入せよ。
闇に紛れて行動し、敵哨戒網を潰すことを第一とせよ。里が見えたら手前で待機し、我らを待て!」
ゴールト伯爵の命を受け、先遣隊200名は月明かりの中、街道を疾走し隘路へと向かった。
遅れて伯爵が自ら率いる本隊900名がゆっくりと街道を東へと進んだ。
そして月が中天に達する少し前、伯爵の本隊はついに隘路に差し掛かった。
「そろそろ東では餌が効果を表しておろう。
儂らがここまで無事に来れたのも、餌のお陰と感謝せねばなるまいな」
卑しく笑ったゴールト伯爵は上機嫌だった。
先遣隊より彼の元に、期待通りの報告がもたらされていたからだ。
人外の民は油断しているのか、隘路には全く見張りがいなかったらしく、先遣隊は、敵に露見することなく隘路の終点まで進み、待機していること。
その奥には、期待していたとおり、人外の民の里が広がっているとのことだった。
そして先遣隊はそこで本隊の到着を待ち、いつでも夜襲が行える状態にある。
こういった報告を受けていた。
これでもう遠征の勝利は約束されたようなものだ。
先遣隊が隘路の先まで確保したということは、そこまでの道は敵の監視もなく安全圏だといえる。
自軍の行動が露見することもなく、道中の隘路か制圧圏内となったため、もはや月明かりに頼らず、松明をたいて進軍できたことも嬉しかった。
「明かりを灯せたのは幸いじゃな。
皆の者、これより進む先は狭くて曲がりくねっておる。足を踏み外して谷に落ちるなよ!
間もなく、手柄は立て放題じゃ」
そう言って兵たちを鼓舞していた。
※
アルスは信じられない光景に目を疑った。
曲がりくねった隘路が松明によって、まるで一本の線のように照らし出されたからだ。
「彼奴ら、何を考えている?
夜襲する気があるのか? あんな目立つ灯りを灯せば、狙ってくださいと言っているようなものだぞ」
アルスたちは今、隘路上の崖を縫うように削って作られた、細い道に展開していた。
定軍山の里から最も遠い部分の隘路、侵攻してくる敵の最後尾を抑える位置に。
彼らは30メートルほど下の隘路上を、松明を灯して進む敵軍の様子をあきれ顔で眺めていた。
「先ずはクーベル殿たちが先頭を叩く。
我々はそれまで待機する。奴らの先頭が攻撃を受け、慌てふためいた時に退路を塞ぎ敵を叩く」
彼らは逸る気持ちを抑え、攻撃が開始される時を待っていた。
※
月が中天から西に傾き始めたころ、ゴールト伯爵率いる本隊も隘路終点の先遣隊に合流した。
だが、狭い隘路では、横に展開することもできず、その軍列は長くそして細く伸びていた。
「申し上げます。この崖を右に回った先で隘路は終わり、大きく広がっております。
奴らの集落はそこから先、2,000歩の距離にあります。
皆、寝静まっているようで、動きはありません!」
「これより先、物音を立てるな!
松明も消すよう後続に伝えよ。順次前に進んで展開し、一気に奴らを襲うぞ」
先頭に位置する先遣隊の報告に、ゴールト伯爵は全面攻撃の準備を指示した。
伯爵の指示に従い、兵たちは続々と隘路を出て展開し、陣列を組み始めた。
「ふむ……、今整列できたのは300名といったところかの?奇襲であれば先陣はこの数でも十分じゃろう。
これより攻撃を開始する。全軍! 前へっ!
後続も、順次隘路を走り抜けて続けっ!」
陣形を組み終えた300名は暗闇の中、ぼんやりと小さな明かりの浮かぶ集落目指し、一斉に駆け出した。
※
隘路側からみると、里がある方向の大地は緩やかに斜めに盛り上げられ、暗闇では防壁と分らぬよう巧妙に築かれていた。その、人の背丈ほどの土壁の陰に潜み、彼らの突入を待ち構えていた者たちがいた。
「罠とも知らず……、哀れだな。
では、探照灯照射でしたか? それをこれよりお願いします。照射後、我らは攻撃に移ります」
クーベルの指示で、突然防壁から2本の眩い光が伸び、暗闇の中突入してきた兵士たちを照らし出す。
「ぐわぁっ、目がっ!」
「何だっ! 眩しいっ!」
「目が……、目がぁ! み、見えんっ!
突入してきた伯爵旗下の先陣は、真っ暗な暗闇から突然湧き出た明るい光に包まれて、盲目となって立ちすくんだ。
それも束の間、今度は数百の矢が風を切って彼らを襲う。
「て、敵襲っ!」
「ど、どこからだ?」
「見えんっ!」
その場でうずくまり、難を逃れようとする者、無暗に走り回り崖下に転落する者、味方同士で激しくぶつかり転倒するものなど、先陣は大混乱になった。
そして、そんな彼らな第二射、第三射と間断なく矢が襲う。
カイルは予め、3人しかいない光魔法氏のうち2名をクーベルに預けていた。
緒戦に敵を挫く切り札として。
夜間空襲を行ってきたB29に対し、陸軍の部隊が敵機に向け、夜空を探照灯を照らしていたこと、敵機は見えるのに味方の戦闘機は高空に到達できず、なす術がない様子をカイルは過去に見ていた。
悔しさで拳を固く握りしめて。
そこから発想を得た光魔法士の攻撃は、カイルが戦術として考案し、名付けたものだ。
また、クーベルと援軍に来ていたファラムは、合計300名もの弓の使い手をそこに配置していた。
風魔法士たちは、その魔法特性上、非常に弓の腕が良い。
それぞれが自身の放った矢に、風魔法を使い威力と制度を高めている。
「いかんっ! 奴らに気取られておったか……
全軍、撤退しろ! 砦まで今すぐ撤退するんじゃ! 灯りを消せば奴らも狙いはつけれん」
ゴールト伯爵は絶叫すると、我先にと撤退を始めた。
200名余の犠牲者を残して。
「第二段階に移る! 各々天灯の用意を!
ファラム殿は風魔法士たちに、天灯の誘導指示をお願いいたします」
クーベルの指示で、数百もの、明かりを灯した提灯が一斉に放たれた。
それらは、熱気球のごとくふわふわと空に舞い上がると、風に乗り隘路の各所へと流れていく。
これもカイルから教えられたものだった。
カイルは、予科練の同期で満州出身の者から、中国に伝わるこの天灯を聞いていた。
史実かどうかはさておき、諸葛亮が通信手段として使用した、そう聞かされ興味を持っていた。
彼は日中の鏡と同様、この世界にはない通信手段として、隠れ里に居た時からこれらを準備していたのだ。
「不思議な灯りが……、空から我らを追ってきます!」
兵士たちは恐怖のあまり絶叫した。
そして、全速力で隘路を疾走した。
だが隘路は曲がりくねり、その道幅も狭く一定ではない。
道から外れ、絶叫を上げて谷底へ転落する者たちの声が、あちらこちらでこだました。
そして、彼らには更なる災厄が襲い掛かる。
「落石だぁっ! ……、ぐがっ!」
「うわぁっ! ……、げっ!
隘路を逃げ惑う兵たちの頭上から、石や岩が降り注いだ。
これは、カイルが地魔法士たちに依頼し、里に近い隘路の崖上の各所に、人の隠れる窪みを作っていた。
そこにに、クーベル配下の時空魔法士が潜んでおり、彼らが天灯の合図で収納していた岩石を、一斉に降らせたものだった。
大空に舞い、隘路を照らす天灯のお陰で、撤退する者たちの様子は一目瞭然だった。
狭い隘路に、密集して逃走していた彼らは逃げることも叶わず、頭上からの攻撃で次々と倒れていく。
更に、運悪く倒れた者は、後続の兵たちによって踏みつぶされた。
こうして、ゴールト伯爵の軍は、隘路出口に向けて潰走していった。
多くの兵を失って……
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次回は三日後、8/01の9時に『朱に染まる道』を投稿します。
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