第二十九話 非道の行い
カイルたちが防衛線の準備を始めてから、9日目の夜が明けた。
戦力差は大きいが、それでも彼らはできうる全ての準備を整え終わっていた。
「報告しますっ!
街道を見張っているものより、敵の先遣隊らしき一団が、西にある中継所を目指して通過したとのことです」
「来たか……、奴ら、絶対許さねぇ。
ひとりも生きて帰さんぞ! この後遅れて本隊が来るはずだ。悟られぬよう警戒を強化!」
低く呟き立ち上がったカイルを見て、多くの者が慄然となった。
日頃は温厚で、戦いを前にしても冷静なカイルだったが、今の彼は全く別人になっていた。
カイル自身は、過去、異なる世界にいたころ、故国を、家族の住まう地を焼き払う、B29の編隊に挑みかかった時と同じ気持ちになっていた。
体当たりしてでも、敵機を落とす!
愛機に身を預け蒼穹の空に舞い上がるとき、彼はいつもその気概を以て臨んでいた。
※
カイルたちは敢えて、彼らの三角砦より西にある、中継所を空にしていた。
見せ掛けだけの、簡単に除去できる封印を残して。
カイルやクーベル、過去にこの中継所を利用した者たちは、気付いていなかったが、ゴールト伯爵の斥候は幾度とない決死の偵察の結果、この中継所の存在を知っていた。
彼らはその先、ひと際目立つ山へと繋がる隘路から行き来してくること、隘路の出口を警戒し警備を置いてることなどから、恐らくその奥に里が存在するであろうことを確信していた。
「申し上げます! 先遣隊より報告がありました。
奴らは不在で封印がされておりましたが、無事、砦の確保に成功したとのことです」
「そうかっ! でかした!
我らが夕刻までに到着できれば、この戦、勝ちは決まったようなもんじゃ!
これより進軍の足を速める! 餌どもには遅れずに付いてこさせるようにな。
使いどころまで、餌が減らんよう、護衛部隊にはきつく厳命せよ!」
彼らは進軍の速度を速めた。
初めての魔境で、恐怖に怯える者たちを槍で脅しながら。
※
日が傾き始めたころ、三角砦で待機するカイル達に新たな報告が入った。
「見張りより新たな報告ですっ!
街道を千を超える軍勢が進んでおります。しっ、しかも、軍の後方には、同胞と思わしき一団が……
女子供を含む300名程度が、伴われています」
「やはりか……、外道めっ!」
私は思わず言葉を吐いて、そして立ち上がった。
この時点で、私の危惧は確信へと変わったからだ。
「みんな、落ち着いて聞いてほしい。
奴らは中継所に入ると、恐らく夜に行動を起こす。
夜間に魔境を移動し、攻撃してくるとは誰も思わないだろう。あまりにも危険すぎるからだ。
だが、奴らはその常識の裏を突いて事を起こす。
なら、確実にある魔物たちの襲撃をどう躱す?
簡単だ。奴らはきっと、多くの魔物を進路とは反対の東に誘導するだろう。同胞たちを餌にして」
「ば、ばかなっ!」
「そんなっ!」
「酷いっ!」
私の話を聞く多くの者が、短い声を発すると、青ざめた表情で絶句した。
何の罪もない彼らに対し、こんなことが許される訳がない。
私たちも、窮地を脱するときは家畜を犠牲にすることはある。
だが、彼らに詫びながら、必要最低限の数で、涙をのんでそれを行ってきた。
奴らはそれを平然と、子供たちにもそれを行おうとしている。
まるで人外の民を、家畜以下の扱いで……
「みんな、聞いて欲しい。
私たちが奴らを撃退すること、これは最優先だと分かっている。でも、私は彼らを救いたい。
魔物たちに追われる彼らに、救いの手を差し伸べたい。それを許して欲しい。
奴らの撃退と、救出。両方を行うには手が足りないのは分かってる。
皆の命を危険に晒してしまうことも。
それでも行わなければならないこと、人として、やらなければならないことがあると思う。
我々は人外の民ではない。人間だ!
どうか私の我がままを許して欲しい」
「カイルさん、やりましょう!」
「私たちも救われたんです。伸ばせる手があるなら、差し出すのが当然でさぁ」
「多くの同胞を救っての死なら、先に逝った仲間たちも褒めてくれるってもんです」
「みんな、ありがとう。感謝する。
ここに集まった総勢130名、皆の命を預からせてもらう。
本隊は100名、率いるのはアルスに頼む!
奴らが隘路に入ったら、罠を発動させ孤立させろ。攻撃は遠距離から魔法と弓で。
常に斥候を配し、中継所からの増援に注意して欲しい。危険を感じたら直ぐに安全地帯へ撤退を。
救出隊の30名は私が指揮する!
参加者は志願制だが、遠距離攻撃魔法の使える者、魔物との戦闘経験のない者や浅い者は除外する」
「そういう事なら、我ら護衛隊が適任でしょう。
特に魔物との闘いに適した20名を参加させますよ。もちろん私もね」
「時空魔法は攻撃には向きません。私も参加しますよ。
まぁカイルさんやファルケさんほどではないですが、魔物とも十分やりあってますからね」
「地魔法も、防御や撤退の時には役に立ちますよ。
カイルさん、忘れてないですよね? 最初に魔境での狩りの仕方を教えたのは、私ですよ」
「ファルケ、ファル、アース、みんな、ありがとう。
本当に……、本当にありがとう」
私は皆に深く頭を下げた。
最も危険な救出隊は、志願者が30名を超え、無理やり30名に調整する必要が出たくらいだった。
※
カイルの意見で、救出隊が結成されて先に出発した本隊を見送り、彼らの出撃準備が整えられたころには、すっかり日も落ち、辺りは暗闇に包まれていた。
そして、まるでそれを待っていたかのように、少し離れた地にあったゴールト伯爵は、新たな命を下した。
ごく短い一言で……
「東に向かって餌を放て!」
この命令は直ちに実行された。
砦の外で待機させられていた人外の民たちの集団は、仰天すべき指示を伝えられた。
「今、斥候から報告が入った。
数百の魔物の集団が、西からこちらに向かっている。
私たちはこれより、全軍を以て戦闘に入るが、そなたたちは、安全な東へと先に逃げるがいい。
東には、ここの数倍の大きさで、安全な防壁に囲まれた開拓村が築かれている。
今より直ちに、そして急ぎ東へ駆け抜けろ!
幸い今日は満月だ。夜道も月明かりでなんとかなるだろう。この道を月の方角に進めば開拓村に辿り着けるだろう」
それでも不安気な顔をしている民たちに男はたたみかけた。
「戦いには足手まといな其方たちを先に逃がすのだ。
後で撤退する我らに追いつかれると、その先、守ることはできん。しっかり走って先に逃げよ!
命を懸けてな」
最後にそう突き放されると、彼らは最初はしぶしぶ、だが暗闇の恐怖に包まれると速度を上げ駆け出した。
何もあるはずのない、東に向かって。
今回の遠征に参加していた、ローランド王国貴族、ケンプファー男爵は人外の民たちが突然、東へと追いやられた話を聞き、不審に思っていた。
ゴールト伯爵に真意を質そうと、伯爵の天幕に立ち寄った際、伯爵と側近の会話を漏れ聞いてしまった。
「伯爵、餌は東へと放たれました。
これで我らは安心して、西へと進めます。これより全軍を出発させます」
「大丈夫であろうな?
こちらに魔物が集まっては、攻撃どころではなくなるぞ?」
「その点は抜かりなく。
奴らには、食料の分配と言って、途中で討伐した魔物の肉を背負わせております。たっぷり血の滴る……」
男爵はこれを聞いて我慢ならなかった。
「御免っ! 其方、今何と申した!
民を囮に、魔物の餌にするだと? 返答如何では容赦せんぞっ!」
男爵の激しい剣幕に、側近の者は蒼褪めて立ちすくむ。
「男爵、これも大義のためじゃ。
たかが人外の300程度、今夜の戦いで補充のきくものだ。気にすることもなかろう?」
「な……、ひ、人の命ですぞっ!
伯爵は何を勘違いしておられる?
そのような所業、とても正気の沙汰とは思えん!
我らはこれより、伯爵の指揮下を離れ、独自の行動を取らせてもらう。
帰国後、この罪はいずれ、明らかにさせてもらうので覚悟されよっ!」
そう言い放つと、男爵は駆け出して行った。
「ふん、綺麗事を抜かしよる。たった100名程度の手勢で、何とかできるとでも思っておるのか?
これはでは餌が増えてしまったの?
男爵は卑怯にも敵前逃亡の後、魔物に襲われて死に、凱旋後に奴の所領も召し上げ、という事になるかの?
また、わが領地が増えることになりそうじゃて……」
手勢を率い、人外の民たちを追って駆け出したケンプファー男爵を、ゴールト伯爵らは笑って見送った。
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次回は三日後、7/26の9時に『人界の友』を投稿します。
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