第十四話 長征の始まり
我々は何とか、夢で予想された危機を乗り切った。
だが、これで終わりではない。
後から思えば、これが始まりに過ぎなかった。
長い、長い旅の……
「カイルさん、奴ら完全に逃げていったようです。
俺たち……、本当に勝った話ですね!
魔物も奴らの後を追ってますから、暫くは大丈夫だと思います」
サラムが上気しながら、報告して来た。
各防壁上に陣取った者たちも、安堵の様子が窺えた。
その中でひとり、アルスが少し不安な顔をして私に近づいて来た。
「カイルさん、ひとまずは撃退しましたが、今後どうします? このままでは、いずれ俺たちも……」
彼の不安はもっともな話だ。
攻め寄せた兵士は恐らく全滅まではいっていない。
何割かの兵が領主のもとに戻り、事の次第を報告するだろう。
そうなれば、更に規模を大きくした軍が、万全の対策を取っていずれこの地に攻め寄せるだろう。
数百の軍勢が正攻法で攻めてくれば、我々ではとうてい勝ち目はないことは分かり切っていた。
「ここに居ては、この先もっと大規模な敵と戦うことになる。幾度となく、我々が滅ぶまで……」
私は迷っていた。
避難指示を出して、逃げ出せる用意は整えているが、準備は万全とは言い難い。
どうする?
「……、こうなっては致し方ない。ここを出よう!
全員を引き連れ、今すぐに出発し同胞の住む、魔の民の安住の地へと行こう!」
私の成り行き任せの決断に、全員が賛同してくれた。
今現在、この隠れ里には350人の人外の民が移り住んでいが、そのうち魔法を使える者はまだ60人と少し。
これだけの人数と、連れて行けるだけの家畜を引き連れ、魔境の中を移動するのは至難の業だ。
無謀と言われても仕方がない。
「可哀そうだが……
連れていけない家畜は全てこの場で処分しよう。
肉とすれば、時空魔法士が収納し運搬が可能だろう。荷駄に乗せることができる鳥や子牛、子豚、子羊などに加え、従順で、我らの移動に付いてこれる家畜以外は、西門近くで全て対処する」
「いや、そんな……
ここで大量の家畜を解体すれば、また魔物が寄ってきますが、それでも構わないのですか?」
アルスの言葉に、サラムも不安な顔をして此方を見ている。
「ああ、寄ってくるよ。むしろそれが狙いだからね。
解体が始まると同時に、東門から女子供を中心とした本隊は移動を開始する。
残留した者で解体を進め、西門側に魔物を引き付け、最後に西門だけを開ける。
我々は防壁上を伝って東門へ抜けて外に出る。
そうすれば、多くの魔物が里の中に閉じ込められる。我々の気配を追っても、反対の西門から出ないとこちらには来れないからな」
「なるほど!
わざと戦のあった西側に、魔物を惹きつけ、そして里の中に封じ込める訳ですね?
我々がより安全に逃げるためと、後日を期してこの里自体を罠にしてしまう……、そういう訳ですか?」
アルスは納得した表情で頷いたが、サラムはまだ私の意図が分かっていないようだった。
見渡すと数人が、サラムと同じような顔をしていた。
「アルスの言う通りだよ。
先ずは、東側の出口を封じて、追ってくる魔物を里の中に誘い込むんだ。奴らは、我らの気配を知り、必死に東側に移動するだろう。だが、東に出口はない。
わざわざ反対側の西門まで戻り、大きく迂回して我らの後を追えるほど、器用な魔物は居ないだろう。
もう一つは、いずれ兵士たちが再びこの隠れ里を襲うだろう。至る所に魔物が潜み、危険なここをね。
彼らは痛手を負い、更に我々は魔物の餌食となった。そう思ってくれるようになれば万々歳だね。
まぁ、そこまでいかなくても、十分足止めの効果は発揮してくれると思うよ」
やっと合点がいったのか、全員の顔が明るくなった。
それを確認した私は、その先を告げた。
「先ず最初の目的地は、東の避難所だ。
全員でそこに移動するけど、移動は大きく二隊に分ける。
サラムたち火魔法士全員と雷魔法士、水魔法士は先発する本隊に同行して、彼らの援護を頼む。
光魔法士は先頭と最後尾に別れ、一隊は先導と後方の警戒を頼む。
後発隊は、西門近くに残留し、魔物を引き寄せる罠を準備する。そして、全てが完了したら、西門を開き、我々は防壁上を伝って東門側から脱出する」
避難所とは、魔境で狩りをする際、万が一の時に逃げ込める、土壁で囲った施設のことだ。
私たちは、魔境深くで狩りをするようになってから、地魔法士の力を借りこういった施設を作っていた。
もちろん一つではない。
それらは、四角形の高い防壁に囲まれた、魔境の中の安全地帯として、今も活用されている。
350人も入れば、そうとう手狭にはなるが、雑魚寝なら全員を収容可能で、食事の煮炊きもできる。
将来的には、この避難所を中継して魔境の東側へ移動し、そこから一気に魔境外、ゴートの街に一番近い場所に出ることを考えていた。
我々は当面は狩りのための安全地帯、将来的には、脱出経路として用意していた避難所を中継しながら、移動する覚悟を決めた。
「領主の兵たちは、近いうちに再度襲ってくる。
今のうちに、できるだけ遠くに、できるだけ東に移動する。大変だろうが、今日は寝ずに移動となる覚悟を皆には伝えておいてくれ」
このような経緯で、遂に私たちは、長く遠い旅路の第一歩を踏み出した。
目指すはゴートの北に広がる広大な魔境、我々と親交のある、魔の民アベルが住まう里だ。
西門近くで家畜の処分が始まったころ、東門が一時的に開き、本隊の脱出が始まった。
300人近い人馬の列が、危険な夜の魔境を抜け、東にある最も近い避難所へと移動を開始し始めた。
「頼む、なんとか無事に辿り着いてくれ」
魔物を引き付けるため、まだ暫らくは隠れ里に残る男たちは、彼女たちを祈るような気持ちで見送った。
「さて、始めるぞ!
先ずは最初の2頭は不要な部位を、西門の外に投げ捨てておく。
後は門内で構わない。可能な限り多く、可能な限り長く、魔物達をこちらに引き付けるぞ!」
こうして、去る者、残るもの、それぞれの戦いが始まった。
※
隠れ里にて、8割ほど対処が済んだころ、防壁上に配置していた見張りの者が切迫した声を上げた。
「数十匹以上の魔物が、西門の前に集まっています。
凄い数です! 作業、急いでください!」
予想よりも魔物の集まりが早かった。
まだ十分ではないが、私は決断した。
「全員、今の処理が終わった者から身体を洗うんだ。
洗った者から新しい服に着替えて、今まで着ていた衣服は全てここで捨てていく。
この作業が完了した者から防壁上に上がり、火魔法士以外は東門側へ順次移動を開始してくれ」
我々は慌ただしく作業を終え、身体付いた血を洗い流し、服を着替えた。そして、最後の組が脱出準備を整えるのを待った。
その間に、門を開ける4名以外は防壁上に上り、防壁へと繋がる階段は全て壊していった。
私を含む最後の4名は、上から吊るされたロープに身体を結び、西門に取りついた。
「みんな、いいか? 3・2・1、今っ、火を!」
私の合図と共に、西門外側に火魔法士が炎の壁を展開する。そして、炎で魔物の侵入を封鎖している間に、私たちは西門を開け放った。
それと同時に、私たちの身体は空中へ引き上げられ、防壁上へと吊り上げられた。
その刹那、多くの魔物達が門から侵入し、散乱する臓物に喰らいつくと、彼らは狂乱状態になった。
互いに餌を奪いあい、共喰いに発展するものや、何か気配を感じたのか、東側に向けて走り出すものなど、ざっと確認しただけで百は超えるほどの魔物が集まっていた。
私たちはそれを、城壁上から震えながら見ていた。
こんな数の魔物たち、まともに相手できるものではない。
「全員、足音を消して退避!」
防壁上を伝って東門まで到達すると、先行していた者達と合流、総勢50名となった我々も、本隊を追って東の避難所へと向かった。
日中、屈強な狩人たちが走れば、私の感覚では2時間もかからない距離だ。
恐らく以前の世界の距離なら10キロ程度だと思う。
我々は光魔法士のお陰で、日中とほぼ変わらぬ速度で駆け抜けることができた。
幸い、囮に誘引されて魔物たちは襲って来なかった。
ただ、私たち後発隊が移動に半日近い時間を要したのは、本隊が移動した痕跡を消す作業や、地魔法士に頼み何度も地形を変えてもらってから進んだからだ。
そして夜明け前、我々後発隊は、ちょうど避難所に入ろうとしていた本隊に追い付くことができた。
こうして、後に長征と呼ばれた旅の、第一歩は始まった。
予想していたよりも早く、まだ完全に準備が整わぬうちに。
長く、果てしない、そして遠い道への第一歩が。




