第九話 現実となる夢
幾度かの交易も、アベルが紹介してくれた卸先や仲買人を通じて順調に進み、隠れ里に関しても、防壁工事や、壁内の農地開拓は予想以上に進んだ。
そして、私があの夢に見た実りの季節を迎えた。
『どうか、あの夢の内容が杞憂であって欲しい。我々にはもう少し、時間が欲しい〗
私は祈るような呟きを日々繰り返し、準備のために必要な、狩りや隠れ里の工事に従事していた。
そしてある日、ついに恐れていた出来事が起こってしまった。
「カイルさん! 急いで来てくれっ!
奴らが長を、長をっ! 早くっ!」
その知らせを聞き、私は慌てて隠れ里から、森外れの集落に大急ぎで駆け付けた。
そこには聖魔法士から魔法での治癒を受けている、長が横たわっていた。
長の衣服はボロボロになり、血と泥で汚れていた。
「あいつ等……、酷ぇことしやがる。
行商人が連れて来た役人がいきなり、今すぐ里を立ち退いて明け渡すか、3倍の税を払うか、どちらか選べと言ってきやがった。
無理難題を押し付けたかと思うと、情けを乞う無抵抗の長を、殴る蹴るで無茶苦茶しやがって……」
「長の容体はどうなっている? 奴らはどうした?」
私は血相を変えて、治療に当たっていた聖魔法士に問いただした。
「長は、全身の打撲や骨折箇所も多く、危険な状態でしたが、何とか命は取り留めています。
治療が早かったので、暫く安静が必要ですが、元通りに回復できると思っています。
奴らは……
その、余りのむごい仕打ちに、見かねたハルトが思わず火魔法を使ってしまって……
驚いて逃げて行きましたが。
ただ、これまで我らが秘匿していた、魔法の件が露見してしまったと思います。
カイルさん、どうしましょう?」
「……」
私は愕然とした。
以前に見た不吉な夢の通り、事態は進行している。
夢にはまだこの先がある。
もちろん、そうなった時に備え、色々と準備は進めていたのだが、まさか全てが夢の通りになるとは思ってもいなかった。
最悪の事態を予想して準備していたが、予想していた範囲で最も最悪の結果となってしまった。
「最早議論している段階ではない。
みんな、ここは危険だ。
きっと奴らは、兵を連れて戻ってくるに違いない。私たちから、何もかも奪うために。
奴らは人外の者の里を潰すぐらい、何の気兼ねもなくやってのけるだろうな……
そうさせてたまるかっ!
みんな、聞いてくれ!
明日中、いや、今日中に全員を隠れ里に避難させる必要があるだろう。今から急ぎ取り掛かるんだ。
これは、時間との戦いだ!」
こうして集落の者たちは一斉に避難を始めた。
慌てて行き交う人々で集落は混乱し、あちらこちらで土煙が上がり、注意を喚起する怒声が響き渡る。
「目ぼしい食料、家財は残すな。価値のあるものは全て持っていけ!
運べない家財、食料は時空魔法士に任せろ。家畜だけは各自で責任を持って連れて行けよ!」
「魔法士たちは、家畜を連れた隊列に護衛に付け!
半日も魔境を抜けるんだ。慎重に誘導し、魔物から仲間や家畜を守るんだ!」
共に魔境で狩りに出ていた仲間や魔法士となった者たちは、率先して里の者たちに声を掛け、皆が定められた役割を知っているかのように、動いている。
その様子を見て安心した私は、やっと意識が戻った長に話し掛けた。
「さて長、我々が逃げたと思えば、恐らく奴らは追手を各地に派遣するでしょう。
取りっぱぐれた獲物を回収するために……
口惜しいですが、ここは盗賊に襲われた形にして、里を全て焼き払いましょう」
「カイル殿、そこまでせずとも……」
「もし、このまま逃げただけなら、彼らは必死になって我らの行方を捜すでしょう。
そうすれば、危険を冒して魔境の中まで探索の手を伸ばすかも知れません。
ですが、野盗に襲われたとなれば……
我々の財貨は奪われたかも知れない、心の中でそう考えるのが妥当と思います。
そうすれば、我々への探索の手も緩みます。
そして我々は、より安全な場所に移住するための、貴重な時を稼ぐことができます」
「移住じゃと? カイル殿、其方は一体……」
「我らが人外の民、そう呼ばれている限り、この先も我々に安息の地はありません。
幸い我らは、魔の民の力を取り戻しつつあります。
そして、より広大で人の介入を許さない魔境が、ゴートの北側には広がっています。
数年は魔境の隠れ里で力を蓄えましょう。
そして、魔の民に助力を求めましょう。奴らが決して力の及ばぬ、広大な魔境へと移り住むために」
「其方はそこまで考えておったのか?
これまで其方は、我が里の者たちを導いてくれた。であれば、この先も……、其方に託そう。
口惜しいが、里を焼き払うこと、許可する」
こうして、その日の夜、魔境の畔にあった、人外の者たちの里は炎に包まれた。
一晩中燃え盛った炎は、集落をことごとく焼き払い、人外の民が住まう集落は消え去った。
※
カイルの決断は正に間一髪だった。
予め準備を進めていたらしく、役人が逃げ帰った翌日には、ローランド王国の兵800名が、彼らが住まう里を急襲して来た。
「な、なんじゃ? これはっ」
兵を率いて来た、この地区を治める貴族である、ドリー子爵は我が目を疑った。
集落があったと思われる場所には、今も焦げた匂いが残る、焼け跡がただ広がっているだけだった。
外周を取り巻く柵は、至る所で蹴り倒され、燃え残った木々の至る所に矢が突き刺さっていた。
「恐らく、昨日または昨夜、大規模な野盗の襲撃でもあったのやもしれません。
どうやら目ぼしい物は全て奪われ、集落の者は女子供に至るまで、全て連れ去られたようです」
配下の者たちが、あちこちから野盗襲撃の痕跡、折れた矢や刃こぼれして曲がった刃物、割れて散乱した食器などを持参し、野盗の痕跡を確認している。
「だが、遺体ひとつもないのは、どういうことだ?」
「ここは魔境の畔です。遺体や血を流した者をそのまま放置すると、すぐに魔物が襲撃してきます。
奴らは、根こそぎ奪う時間を作るため、遺体は炎の中に投げ込むか、穴を掘って埋めたのでしょう。
全く……、忌々しい知恵の回る奴らだ」
今回は先導役を務めた行商人が、兵士たちに代わって子爵に答えた。
彼が指さす先の大地には、血のようなものが染み込んだ痕跡が残っていた。
「では、盗賊たちはどちらに向かった?」
「何台もの馬車と大勢の人が通った痕跡が、魔境の外縁に沿って南の方に伸びています。
恐らくはそちらかと……」
兵士の言葉に従って、周囲を調べたところ、集落から南に向かう方向に、多数の荷馬車が通ったと思われる轍や、数多くの痕跡が残されていた。
「では、急ぎ全軍を南に向けよ!
我が領地を荒らす野盗どもを討ち、我らの民の財貨を、収穫したばかりの食糧を取り戻せっ!」
こうして、800名の軍勢は大急ぎで南へと向かった。
誰もいない方角へ……
※
集落の脇にある森の中に潜み、この様子を見ながら、安堵に胸を撫でおろす一団がいた。
「カイルさんのいう通り、本当に来ましたね」
「あのまま集落に居たら、俺たちどうなったこたか。考えるだけでも恐ろしいな」
「そうだな、奴らは人外の民のことなんで、人とも思ってない。長にもあんな酷い事する奴らだ」
「それにしてもカイルさん、上手くいきましたね」
偵察要員として、カイルと共に森に潜んでいた者たちは、口々に言葉を漏らした。
「ああ、うまく偽装に乗ってくれて良かったと思う。
俺たちが魔境に逃げたと思われると厄介だからな」
カイルと時空魔法士1人、火魔法士2人、風魔法士2人、地魔法士2人とその他20人は、最後まで集落に残り、夜を徹して偽造工作を行っていた。
彼らは森に向かった人々の痕跡を消すとともに、馬車を全く関係のない南に何度も走らせた。
往路は馬車を、帰路は馬車を収納して戻り、再び北に向かい走らせることを繰り返した。
またある者は、古くなった武具を使い襲撃を偽装し、一部の家畜を使って血の跡を残した。
こうして夜明けになって偽装がひと段落すると、魔法士以外は全て魔境の隠れ里に撤退させた。
そして、カイルを含めた8人だけが、森の陰からその成り行きを見守っていた。
「では、私たちも隠れ里へ移動するとしよう。
魔境の中の道には、まだ我々が移動した痕跡が残っている。消しながら、ゆっくりと向かおう」
こうして、魔境の畔にあった、人外の者が住まう里がまたひとつ、人知れず姿を消した。
最後までご覧いただきありがとうございます。
しばらくは隔日の投稿になります。
次回は明後日9時に『隠れ里での最初の収穫』を投稿します。
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