プロローグ:始まりの始まり
私は一体どこにいるのだろう?
真っ暗な闇のなか、私はただ漂っている。
どちらが上なのか、下なのか、何も分からず、ここでは時間の感覚すら全くない。
自分自身の身体がどこにあるかも見えず、形を持たない私の意識だけが、この永遠に続くと思われる広大な闇の中に漂っているのだ。
私の命は、戦いで散ったはずだ。
甲斐 尊二等飛行兵曹、それが私の名と階級だった。
少年時代、ニュース映画を見て戦場で活躍するパイロットに憧れ、その思いのまま予科練に入った。
そして、厳しい訓練を乗り越え、配属になるころには、戦況は目に見えて悪化し、日本各地は敵の爆撃機による空襲に晒され、都市は焦土と化していた。
そして私は、迷うことなく特攻隊に志願した。
母と妹の住む故郷も空襲に見舞われたと聞き、少しでも2人を守ることができれば、そんな思いだけだった。
数ヶ月後には鹿屋に移動し、そこに滞在して間もなく出撃が決定した。
戦友たちと共に、沖縄の海で敵艦に突入し……、私は散華した筈だった。
敵艦の上げる猛烈な火箭に、目の前が真っ赤になり体中に激痛が走った。
私は最後の瞬間まで、何とか意識を手放すことなく、操縦桿を握り続けることができた。
針のように小さかった敵艦が、視界一杯に広がり、正に突入を果たした! そう思った刹那、目の前が眩く白い光に包まれると同時に……
私の意識は途絶えた。
そこで私の世界は終わった筈だった。
この不思議な空間に来て、どれぐらい時間がたったのだろうか?
以前はあれほど正確に意識し、身体に刻み込まれた時間というものの感覚すら、今は既にない。
ほんの数分なのか、何年も経っているのか、それすら全く分からなくなっていた。
ところがある時、遥か遠くに細く光が集まった、川の流れのようなものが見えた。
何故か体が、いや私の意識と言った方がいい、それがあちらへと引き寄せられていく。
遠くから見ると、一筋の流れでしかなかったものが、近づくにつれ幾筋もの流れがあり、そのひとつひとつが、広大な大河のように巨大な流れであることが分かった。
やがて、わたしの意識は、その1本にどんどん引き込まれていく。
「これが……、三途の川か?」
私は思わず呟いた。
恐らく声は出ていないので、正確には強く心に思った、そう言った方が正しいかも知れない。
そしていつの間にか、私の意識はその流れの中、見渡す限りの広大な、小さな光で構成された大河の中へと沈んでいった。
そこで視界が真っ白になり、全体が眩い光に包まれた時、私の意識は再び途絶えていった。
この不思議な出来事の後、目を覚ました私は、しばらく混乱して状況が理解できなかった。
まず、これまで見えていなかった私の身体が視界にあり、手足の感覚もある。
身体が戻ったということか?
着ている衣服は、あちこちが破れ血まみれだったが、不思議と傷の痛みは感じなかった。
傷口はどうなった?
少なくとも私は幾つもの致命傷を負っていた筈だ。
何故、傷が塞がっている?
そして次に、私の目の前には、今まで見たこともない景色、我が故郷の日本とはかけ離れた雰囲気の森が広がっていた。
此処は一体どこだ?
沖縄ではないのか?
様々な疑問が頭に浮かんだが、まだ思うように身体が動かず、立ち上がることはできなかった。
首をひねると、遠くに集落のようなものが見えた。
そこには、木を組んで作られたような、見慣れぬ、原始的な作りの建物が点在していた。
「今いる場所は……、あの集落の外れ、この森の入り口といったところか?」
久しぶりに聞く、自分の声を自覚したころ、集落の方から2人の子供が駆けてくるのが見えた。
ここに至り、私は少し事情を理解した。
明らかに此処は、日本ではない。
行ったことはないが、恐らく米国でも欧州でもないだろう。
なぜなら、倒れた私を物珍しそうに眺める、子供たちの髪や目の色が、明らかに違っていたからだ。
緑色の髪に碧眼の少女、青黒い髪に碧眼の少女のふたりは、しばらく私を見ると、再び集落のほうに向かって駆け出していった。
これが全ての始まりだった。
これから私は、沖縄の海からこの不思議な異郷の地へと誘われ、そして体験した理解の及ばぬ出来事について、ここに書き記していきたい。
だが、この先を読む前に伝えておかなければならないことがある。
この本は私自身が体験した、単なる冒険譚ではない。
彼の世界を去る瞬間、私には歴史が見えた。
それはまるで観客として、自身が主人公の映画を見ているかのようだった。
そこで私は知った。
私が主人公として彼の世界で体験したことに加え、これまでの私の目線では、知りえなかった歴史の流れ、様々な人々が織りなす物語を。
愛する国の未来と、そして……、その悲しい結末を。
この書には、私がその時見た物語と、もう余命も僅かになった、私の思いの全てを込めている。
もしかすると、私が経験したように、彼の国に旅立つ者がいるかも知れない。
そのことに一縷の望みを託し、ここに私の思いを伝えることを決心した。
この書を読み、私の思いに共感してくれたなら、どうか、私が住まい、こよなく愛した国の終焉を救って欲しい。
私の想いと願いを、貴方に託したい。
先ずは、私が託そうと願う世界があることを、知ってもらいたい。
私が愛する、もうひとつの家族のこと、民たちのこと、彼らの生きた世界を知って欲しい。
そして、できれば……
私の愛する者たちの末裔や、私たちと辛苦を共にした民たちの末裔が迎える、悲しい結末を救って欲しい。
滅ぶべくして滅んでしまった王国を、どうか救って欲しい。
彼方に行けば、あなたは私と同じような不思議な経験、異郷での生活と冒険を体験するはずだ。
その過程で力を蓄え、強くならねばならない。
私の願いを叶えるまでもなく、ただ、生き抜くためにそれは必要となるだろう。
この書がその指標となるかも知れない。
いずれ訪れるかも知れない、その日のために、私はただこの書を残す。
かの国は、この平和な日本と違い、生き抜く意思と術を持った者だけが暮らせる、厳しい世界だ。
そして、その意思と強さを持った者だけが、旅を始めることができる。
最後まで興味を持って読み進めてくれた人なら、きっと分かると思う。
私の願いとは別に、かの地にはこの国、世界にない、心躍る出来事がたくさんあることを。
どうか、私の願いが叶えられる日が来ることを祈って……
※
夢中で本を読んでいた時、階下から聞こえた妻の声で、俺はしぶしぶその本から目を離した。
「貴方! お寺さんもいらしたので、そろそろ法事が始まりますよ!」
久しぶりに、祖父の33回忌の法要で実家を訪れていた俺は、小学生の時に他界した祖父の形見、晩年の祖父が、自費で制作したという一冊の本を読んでいた。
重厚で厚手の表紙に飾られ、アンティーク調の外見をしたこの本が、どこまで流通したのか、どれだけ売れたのか、俺たちは知らない。
当時の父は、年寄りの道楽と半ば呆れて、祖父の行いを見ていたらしい。
そして祖父は、時代が平成になった後、この本を胸に抱きながら逝った。
幼いころから祖父に懐いていた俺に対し、両親は祖父の形見としてそれを渡してくれた。
だが、まだ小学生だった俺は、一目見て内容も分からず、実家の自室、戸棚の奥に眠らせていた。
「爺ちゃん、こんなラノベ書いていたんだ?
でも……、ラノベにこの表紙は……ないわー」
大人になって改めてその本を読んだ俺は、思わず感嘆と苦笑を交えた、ため息をついた。
久々に訪れた実家で、たまたまこの本を見つけ、思わずページを開いて読み始めたところだった。
今は俺も40代半ば、最近好きになり通勤の傍ら読み始めたラノベ、それによく似た展開に凄く驚いていた。
その先もざっと目を通したが、異郷=異世界、転生=転移、妖術=魔法、そんな感じで脳内変換すれば、今でも十分通用する、異世界転移の話だと思えた。
それは、若干言葉は古いが、昭和一桁生まれのじいちゃんが、平成の時代に遺したとは思えないぐらいの内容だった。
いやぁ、こんな事なら、爺ちゃんとラノベの話とかも、いっぱいしたかったな。
もう少し長生きしてたら、今のラノベ読み放題の時代、爺ちゃんも喜んではまってくれただろうに……
そう思うと少し残念だった。
「貴方! 聞こえてる? 急いでくださいね!」
階下から再び妻の呼ぶ声が聞こえた。
「自宅に戻ったらゆっくり読むとするか」
俺は慌ててその本をスーツケースにしまい、持ち帰って続きを読むことにした。
この先の展開にわくわくしながら。
そう、この時既に俺は、もう後戻りできない1歩を踏み出していた。
この本がもたらす話、異世界の冒険譚に目を通す高揚感だけが、俺を支配していた。
最後までご覧いただきありがとうございます。
次回は明日9時に『人外の民』を投稿します。
以降、毎回9時投稿で予約しています。
<はじめましての方>
こちらは外伝ですが、外伝だけでも物語が成立するよう心掛けて執筆しています。
本編はこの外伝より500年ちょっと先のお話となり、本編では第百二十一話にて触れられ、その後も時折歴史の秘話として登場する、王国創世期のお話となります。
もし興味を持っていただければ、作者名のリンクより本編にも遊びに来てくださいね。
どうぞよろしくお願いします。
<本編からお越しいただいた方>
外伝まで足を延ばしていただき、本当にありがとうございます。
本日より、本編200投稿目のお話と連動した、外伝の投稿を開始いたします。
外伝は個別のお話となりますが、本編で登場する史跡や、語られている内容の由来なども紹介していく予定です。
どこか抜け目のある本編主人公にくらべ、若干生真面目な外伝主人公と、それぞれの違いや世界観も楽しんでいただけると幸いです。
皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




