表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

適職診断

作者: あいうら

「ねえ、いつなったら働いてくれるのよ」


妻の美月は、さすがに我慢の限界という表情をしている。


「こっちも色々考えてるんだって」


周平は、苦しいと分かっていながら言い訳をした。


それを聞いた美月は、これまで溜め込んできた鬱憤を全て吐き出すかのように、一息で捲し立てた。


「いつまで呑気に考えてるのよ。由香だって来年から小学生になるのよ。これからお金がもっと必要になるんだから、いつまでもそんな頼りない姿見せないでよ。これ以上こんな生活が続くんだったら、離婚も考えるわよ」


周平は、「分かったよ。もうすぐ何とかするから」と言いながら逃げるように家を出た。


娘の由香は、今年で幼稚園を卒園する。今は貯金を切り崩しながら何とか養育費を捻出しているが、こんな生活を続けることができないということは、周平も理解していた。


家を出た後、しばらくあてもなくさまようと、目についた公園にあったベンチに腰かける。そして、空を見ながら大きなため息をついた。


周平は、新卒で入社した都市銀行を一年ほど前に退職していた。入社前は、ドラマや小説で描かれる銀行員の姿に憧れ、希望を持っていた。


しかし、働き始めるとそれらがあくまで創作であるということを思い知らされた。


やりがいのない仕事に追われ、小さなミスをねちねち指摘してくる上司に頭を下げる毎日。それでも十年ほどは我慢して働き続けたが、精神的に限界を迎え、妻の美月には何の相談もせず、辞表を出してきてしまったのだ。


最初は不安を感じながらも、周平を信じてくれていた美月だが、一年近く家でごろごろしている旦那に、とうとう堪忍袋の緒が切れたようだ。


「何とかするって言っちゃったけど、どうするかなあ」


近くにいた親子が、唐突に独り言を呟いた周平に驚き、その場を離れていく。


この一年間、彼だって何も考えずに過ごしていたわけではなかった。


当初は、転職サイトに登録し、毎日求人情報をチェックしていた。


しかし、その会社で働いている人の口コミを見ると、細かい点が気になってしまい、応募できずにいた。もう一度会社選びに失敗したらどうしようという不安が強かったのだ。


しかし、もはやそんなことを言っている場合ではない。今日初めて美月の口から「離婚」という言葉が出たことに、周平は焦りを感じていた。


「とにかく仕事を探さないと」


勢いよくベンチから立ち上がると、最寄りのハローワークへ向かった。




近くの駅で電車に乗り、十五分ほどで目的地に到着した。


仕事を辞めたばかりの頃に一度だけ訪れたことがあったが、周りにいる人々の年齢層の高さに驚き、自分のような若者が行く場所ではないと考えた。


後のない追い詰められた人間が使う場所だという印象を抱いたのだ。周平にはまだ、彼らと自分は違う種類の人間だというプライドがあったのだった。


しかし、今やそんなプライドは捨てた。いつの間にか自分も、後のない人間になってしまった。


どんな仕事でもいい。早く美月を安心させなければならない。


はやる気持ちを抑え、受付の番号札を取った。


平日だというのに既に多くの人々で待合室は埋め尽くされている。周平は席には座らず、掲示板に貼ってある求人情報を眺めることにした。


しばらく経ってから、端の方に奇妙な広告が貼ってあることに気付いた。


仰々しく「超高性能適職診断」というタイトルが書かれた用紙には、その診断を受けた人達の感想が、いくつか掲載されている。


【この診断でおすすめされた商品開発の仕事につきましたが、最年少で管理職に抜擢されました】


【全く興味のなかった花屋の仕事をしていますが、毎日仕事をするのが楽しくて幸せです】


広告の右下には、その診断所の場所が地図で掲載されている。


「ここから歩いて五分か……」


周平は、待合室にごった返す人々の方に一瞥をくれると、早歩きでハローワークを後にした。


数分後、掲示板の前を通りかかったハローワークの職員は「超高性能適職診断」と書かれた用紙を訝しげに見つめる。


「誰だ、こんなの勝手に貼ったのは」


彼は、乱暴にその紙を剥がすと、近くにあったゴミ箱へ投げ入れた。




それは、雑居ビルの五階にあった。


知っている人でなければ見つけられないような小さな看板を確認すると、周平は階段を登っていく。


診断所のドアを前にして何となく怪しい雰囲気を感じ取り、入るのを少し躊躇した。しかし、今朝の美月の顔を思い出すと、すぐに体が動き出した。


中に入ると、意外に室内は清潔感があり洗練されている印象を受ける。白を基調としていて、まるでクリニックの待合室のようだ。


受付には白い服を着た四十代くらいの女性が立っていて、周平に気付くと、「こんにちは」と笑顔で会釈してきた。


「ご予約はされておりますでしょうか?」


「いえ、ハローワークでたまたま広告を見かけて、その足で来てしまったのですが……」


その女性は笑顔のまま応じた。


「承知いたしました。それでは、こちらのアンケートに必要事項をご記入いただけますでしょうか?」


周平はバインダーとボールペンを受け取ると、住所、氏名などの個人情報や、来店の目的などを記入して渡した。


他に客はいないようだ。


しばらく待っていると、その女性に声をかけられる。


「本日ご予約のお客様が急遽キャンセルされましたので、今すぐご案内させていただきますね」


そして、奥の部屋へ通された。


部屋には一人の男が座っていた。


てっきり白衣を着た医者のような人間がいるものと想像していたが、Tシャツにジーンズというラフな格好をしている。


髪を茶色に染めているその男は、年齢も周平と変わらない三十代半ばくらいに見える。


「ようこそ、超高性能適職診断所へ!」


その男は怪しげな笑顔を浮かべながら、両手を開いて周平を迎えた。


その胡散臭さに、周平の中で不安が大きく膨らみ始めた。受付の女性がしっかりしていたので油断していたが、やはり変なところに来てしまったと後悔の念が押し寄せてくる。


「よろしくお願いします」


小声で応じた周平を、その男は嬉しそうに見つめている。


「私は所長の磯貝と申します。早速ですが、説明に入りますね」


彼は立ち上がると、室内をゆっくりと歩きながら、話し始めた。


「ここでは、私が開発した超高性能適職診断を受けることができます。もともと、とある外資系企業のデータサイエンティストとして働いていた私は、独自にある開発を進めていました」


磯貝は、部屋の隅に置かれていた酸素カプセルのような物体の隣で立ち止まると、そのボディを手のひらで叩いた。


「それが、この超高性能適職診断装置の開発です!」


「はあ……」


テンションの高さについていけない周平は、いかにも困っていますという顔をして相槌を打った。


磯貝は、そんな彼の反応には全く動じずに続ける。


「世界各国の教育機関や医療機関、そして経済団体と連携し、この装置には膨大なデータを読み込ませています」


「データ?」


「ええ。簡単に言えば、『どんな人間がどんな職業で成功しているのか』という内容のデータです」


磯貝は馴れ馴れしく周平の肩に手を置いてきた。


「この装置が、あなたを統計学的な見地から分析し、最適な職業を見つけ出してくれるのです」


周平は磯貝の手をさっと振り払うと、素朴な疑問を口にする。


「すごく改まった言い方をされていますが、それってたまに自己啓発本とかで見かけるやつですよね。あとはネット上にも無料の適職診断ってありますし。それとあんまり変わらない気がするのですが」


すると、磯貝は待っていましたとばかりに答えた。


「ええ、たしかに似たようなものはありますね。しかし、我が装置が画期的なのは、直接脳をスキャンすることで、人となりを把握できるところです」


「直接脳をスキャン?」


「既存の適職診断は、受診者にいくつかの質問をすることで、その人の性格を把握します。そして、その性格に合った職業をおすすめするという仕組みでした。しかしこの場合、その時の気分によって受診者は回答を変えてしまう可能性があり、回答の信頼性に課題がありました。そこで私は、脳を直接分析する手法を確立させました。これによって、受診者の人となりを客観的かつ正確に把握することが可能になったわけです」


にわかには信じられないが、磯貝の自信に満ち溢れた表情を見ていると、妙に納得させられてしまう。


「つまり、私の装置であれば、受診者の一時の感情ではなく、その人が持つ脳の特性に適した職業を提案することができます。その結果、これまでのところお客様満足度は100%です。必ずや、あなたの天職を見つけて差し上げましょう」


そして、磯貝は重そうに装置の扉を開けると、手順を説明する。


「診断の方法は非常に簡単です。あなたはこの装置の中で五分程度待機していてください。その間に装置があなたの脳を分析し、最適な職業を見つけ出します」


磯貝は腕時計をちらっと確認すると、「それでは早速始めましょう」と、無理やり周平を装置の中に押し込んだ。


勢いのまま怪しい機械の中に閉じ込められてしまったが、本当に大丈夫だろうか。


周平の心配をよそに、磯貝は慣れた手つきで装置の電源を入れる。「ゴォー」という低い音とともに、装置がわずかに振動し始めた。


どれくらいそうしていただろうか。


周平がビクビクしながらも、なんとかじっと耐え続けていると、突然装置から「ピピピッ、ピピピッ」という目覚まし時計のような音が鳴り響いた。


すると、磯貝が扉を開けて言った。


「お疲れ様でした。診断は以上になります。結果は後ほどご本人様に親展で郵送させていただきますので、待合室にお戻りください」


晴れやかな表情で呟いた彼に、周平はまだ疑いの眼差しを向けたまま、その部屋を後にした。


しばらく待っていると、受付の女性に名前を呼ばれた。


「それでは本日のお会計は、診断料といたしまして五万円になります」


思わずお札を数える手を止めた周平は、目を丸くして聞き返した。


「五万円もするんですか?」


「はい。ですが多くのお客様が後々安かったと言ってくださりますよ」


周平は、これは新手の詐欺かもしれないと思った。


しかし、サービスを受けてしまった今となっては後の祭りだ。諦めたように肩を落としながら、クレジットカードをトレーに置いた。



***



美月は何故だか最近、周平の背中をとても遠くに感じていた。


今日は、由香の十歳の誕生日だった。せっかくだからお祝いをしようと、家族三人で高級レストランのディナーを楽しんだ。


「ありがとね、ごちそうさま」


美月がそう言うと、周平は「いいんだよ」と手を振った。


今から約四年前、周平が都市銀行を辞めた後、家にこもりがちになってしまった時は、正直どうなるかと思った。


しかし、我慢の限界を迎えた美月が離婚をちらつかせると、しばらくして彼は人が変わったように羽振りがよくなった。


必ず毎月、生活費を管理している美月の銀行口座に、周平から四十万円の振込があるのだ。


彼は結局、サラリーマンには戻らなかったが、退職金を注ぎ込んだ投資が成功して、経済的に余裕ができたのだと言っている。


相談もなく退職金を使ってしまったことは少し気になったが、その投資が成功したおかげで贅沢な生活を送れているのだから、文句は言えない。


由香を真ん中にして、三人で横に並んで家路につく。


いつからだろうか。由香は親と手を繋ぐのを恥ずかしがるようになってしまった。


でも美月は、こうして家族一緒に過ごせる時間に幸せを感じていた。こんな幸せがいつまでも続けばいいと思っていた。


ふと、周平の顔を横目で見ると、美月とは対照的な恐ろしい表情をしていることに気付いた。


まるで、一人で深い闇を背負っているような、怒りとも、悲しみともとれるような表情。


何年か前から、時々そのような表情を見せるようになった彼のことを、美月はとても心配していた。


「あなた、どうしたの? 大丈夫?」


すると周平は、我に帰ったような顔をした。


「ごめん。また恐い顔をしてたかな? ちょっとここのところ疲れが溜まってて」


彼は笑顔を向けてきたが、美月は安心できなかった。


「そう。あんまり無理しないでね」


日中、自分の部屋に閉じこもっている周平は、パソコンに張り付いて金融商品の売買をしているらしい。


昨日は珍しく、美月が眠るまで、部屋からキーボードを叩く音や書類をめくる音が聞こえていた。結局、彼が何時まで起きていたのかは分からない。


しばらく歩いていると自宅に到着した。


そして、由香がお風呂に入ると、周平が美月に切り出した。


「明日から投資先の物件を見に、一週間くらい金沢に行こうと思うんだけどいいかな?」


美月は内心、「またか」と思った。


周平は、三ヶ月に一度くらいのペースで、投資先を視察するために旅行に出かける。


彼いわく、投資をするには現場を見ないといけない時があるとのことなのだが、美月は不審に思っていた。


もしかすると、他に女がいるのかもしれない。


何となく彼との間に感じるようになった溝。それは、彼の不倫によるものなのではないだろうか。


美月は、彼を信じたい気持ちと、自分の勘が間違っていないのではないかという気持ちの間で揺れ動いていた。


「今回も一人で行くの?」


「ああ、もちろん」


「分かったわ。気を付けて行ってきてね」


周平は美月の了承を得ると、すぐに自分の部屋に行ってしまった。そして、この日も部屋から出てくることはなかった。




翌朝、美月は周平が出発したことを確認すると、彼の部屋の前に立った。


普段は、絶対に入らないように言われているので、ここ数年、彼の部屋へは足を踏み入れていない。


たしかにこれまでも部屋の中を見たいと思うことはあったが、知りたくないことを知ってしまうのではないかという恐怖から、結局入ることはなかった。


しかし、周平との心の距離は、美月が無視できないほどに広がり始めている。


もしかしたら、彼の不倫に関する手がかりが見つかるかもしれない。どんな結果であるにせよ、真実を知りたい。


美月は、ドアを勢いよく開けた。


しかし、久しぶりに入ったその部屋は、拍子抜けするくらい以前と変わっていなかった。


強いて言えば、数年前とは違い、見たこともない観葉植物を何種類か栽培しているようだ。


特に変わった様子はなさそうだと感じながらも、念のためデスクの引き出しを開けると、中に書類の束が入っていた。


投資関係の書類だろうか。英文で書かれているので、美月にはさっぱり内容が分からない。


そのまま引き出しを閉めようとしたが、一枚の紙が奥に引っ掛かっていることに気付く。


「なにかしら」


腕を奥まで突っ込み、なんとか指先で引っ張り出す。


そして、丸まっていたその紙を、ゆっくりと広げた。


診断結果という見出しから、最初は周平が健康診断でも受けたのかと思った。


しかし、その下に書かれていた内容は、美月にはとうてい理解できないものだった。




「殺し屋」適合率99.9%




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ