黒の国 その4 「それはただ一人の人間として」
掃除屋さんは、頼まれればどんなことだって引き受けます。庭の草むしりでも、お城の掃除でも、お届け物でも。その頼みごとに想いを感じたのなら、彼はそれに全力を以て応えるのです。それに報酬が伴わなくとも、それによる地位や名誉が得られないとしても、そんなことに彼は微塵も興味はありません。
掃除屋さんはただ、誰かの笑顔のためにこそ、その熟練した腕を振るっているのです。そんな彼だからこそ、皆心動かされてしまうのでしょう。
さあまた、頼みごとを解決しにいきましょうか。
***
掃除屋さんが王城へとやってきてから、三日ほどが経ちました。当然の如くその腕前を遺憾なく発揮し、王城内を瞬く間に掃除していっています。
さて、今でこそ城の人気者といった様子の掃除屋さんですが、入城したての頃には少しいざこざがあったようです。戦乱の中での旅人ということで、かなり警戒されていました。
ひとまず掃除屋さんは入城許可書を執事へと見せましたが、まだ疑いは晴れていない様子。あの兵士さんが管制所に就いて以来入城者などいなかったため、その許可書が本物であるかどうかの判別がつかなかったのです。
そんな様子で、なんとか身の潔白を証明しようと掃除屋さんは身振り手振りであれこれ行いましたが、効果はあまりないようで、辺りには不信感ばかりが募りました。
こりゃまずい、なんとかしなくてはと模索していた時、ふとピキーンと何かを閃いたようで掃除屋さんは懐をまさぐり始めました。執事がそれを訝しみながら見ている中、彼はやっと目当ての物を見つけたようで、何かを手に持っています。
それは、さとり邸を出る時にさとりさんから貰った、あの手紙でした。身分証明書のようなもので、こういう状況になった時に見せびらかしなさいと、掃除屋さんは彼女から言われていたのです。
その手紙には、こんなことが書かれていました。
『ばっちぐー。さとりさんより』
手紙の大部分は、可愛らしくディフォルメされたさとりさんと思しきキャラクターが親指を立てているだけで、肝心の文面はたったの一行だけ。光明をなんとか見つけたと安堵していた掃除屋さんでしたが、その手紙の内容を改めて確認し、あれ? 大丈夫かこれ? といった焦燥に駆られました。
内心ハラハラしながら掃除屋さんが執事の出方を窺っていると、さっきから黙り込んでいた執事が、その重い口を開き――。
「……王女様に、一度確認してもらおうか」
王女様に判断を丸投げしました。
*
そんなこんなで王室へと連行された掃除屋さんは、そこで初めて王女様と謁見をしました。やはり王族ということで、凛とした佇まいをしております。その身に纏う服装には派手さや華美さは見受けられませんが、決して質素や貧相だというわけではなく、彼女の雰囲気と相まって、その上品さに拍車をかけているかのようでした。
王女様は空のように明るい水色の髪をしており、それを首あたりの長さに切り揃えています。口元には柔和な笑みを湛えており、その姿は見るものすべてを引き付けるかのような、清廉な存在感がありました。
掃除屋さんはまだ警戒を解かれていないということで、両手に花ならぬ両側に兵士という状況での謁見です。どんな行動であれ、彼が何か不審なことをしようとすれば、直ちに取り押さえられてしまうでしょう。
「貴方は……旅の方なのですね?」
「はい、その通りです」
赤の国王様の時と同様、掃除屋さんは最大限の敬意をもって答えています。場をわきまえ、その場に相応しい対応を彼は心掛けていました。これも世渡りの一つですね。
王女様は掃除屋さんの入城許可書を手にしており、その内容を今一度吟味していまし、執事に問いを投げました。
「執事。なぜこの方を信用してあげないのですか?」
「恐れながら、この者の素性は知れておりません。何をしでかすかもわからない以上、国の代表である王女様の近くにおいておくなど危険極まりませぬ。それにその許可書も偽造されたものかもしれませんし、やはり現時点では信用には値しないと思った次第です。しかし……」
「このさとりさんからの手紙が、本物かどうかが見極められない、ということですね?」
「……そういう、ことです」
王女様は執事を一瞥した後、再び掃除屋さんへと視線を戻しました。 何よりも優しく、誰よりも柔らかな、暖かい視線を。
「そう畏まらないでください、旅のお方。あの子からこんな評価を貰うだなんて、よっぽど貴方はあの子に気に入られたようですね」
「そうなんですか?」
「ええ、嬉々としてこの手紙をあの子が書いたということがよくわかりますよ。ふふっ」
「お、王女様! 本当にその者は、あのさとりさんから……!?」
掃除屋さんと王女様が親しげに話している様子を見て、執事が慌てた様子で王女様に問いかけました。しかし彼女はそんな執事には答えずに、掃除屋さんと話を続けています。
「この度は執事達がご迷惑をおかけしました。家臣の不祥事は私の監督不足、どうか許してはくださらないでしょうか……?」
そう言って、彼女は彼に頭を下げました。王族としてあるまじき行為に、掃除屋さんも困惑の表情を浮かべ、なんとかその姿勢を止めさせようとしています。
「そんな、大丈夫ですよ! 旅してたらこんなこと数千億回くらいありましたから!」
いやどんだけの窮地に陥ってんですか。良く生きてますね。
「お、王たる御方がそんな軽々と頭を下げてはいけません! 王女様!」
執事も彼女の行動を止めさせようとしましたが、しかし王女様は頑としてその姿勢を崩すことはありませんでした。
「執事、貴方たちもこの方に謝りなさい」
「お、王女様!?」
「疑わしきは罰せず。どれほど怪しかろうと、正式に入城手続きを踏まえている人を取り押さえるなど、それこそあってはならないことです。それが本物であるかどうかなど、管制所にいる彼女に聞けばいい話でしょう?」
「……そ、それは……」
そんな王女様の命により、王室には彼に向って皆が頭を下げるという、異様な光景が生まれていました。当事者である掃除屋さんも、この状況をどうしていいかわからず、ただあたふたとしているばかりです。
……そういえば入国許可書の確認をしなかったのって、もしかして……。
*
そんなこともあり、王女様直々に城内への滞在の許された掃除屋さんは、あっという間に王城でも人気者となりました。黒の国についてからというものの、まったく掃除屋としての活動が出来ていなかったので、今こそ名誉挽回とばかりに仕事をこなしていきます。
その活躍ぶりを目撃した執事は、比喩表現抜きにほんとに目玉が飛び出しそうなほどに驚いたそうです。自分よりもずっと年若い少年が、よもやこんな技術を有しているだなどと考えもしなかったのでしょう。
そして、掃除屋さんは夜には王女様の自室へと招かれ、そこで旅の話について聞かせてほしいと頼まれていました。その頼みに答えるように、彼は覚えている限りのあれこれを王女様に語って聞かせました。
とりとめのないこと、他の国のこと、今まで体験した出来事、掃除屋さんはそれらを面白おかしく語り、少しでも話を面白くしようと、身振り手振りで表現しています。その様子に、彼女も自然と笑みがこぼれていました。
その旅の話の中で、特に空の話について王女様は興味を示しているように掃除屋さんは感じました。 かつて常に空の赤い国へ行った時の話をすると、明らかに今までとは違う食いつき様だったそうです。
掃除屋さんがこの国を訪れた時、空は分厚い灰色の雲に覆われており、晴れることはないと知りました。そしてあのお爺ちゃんの話から、かなり昔から今のような状態であるということも。もしかすると、王女様は生まれてこの方、空を見たことがないんじゃ……? そんなことを、彼は考えていました。
彼にとっては当たり前の青空を、しかし王女様は見たことがありませんでした。いつか青空を見てみたいという幼き頃からの想いも、王女となることで彼女は忘れようとしたのです。しかし、彼女は無意識のうちに掃除屋さんに、その空への想いを知ってもらいたかったのかもしれません。
*
そんな日々が続いた、ある日の夜のこと。いつものように掃除屋さんがお手製の料理を持って王女様の自室へと向かうと、そこにはいつになく緊張した面持ちを浮かべた王女様がいました。
掃除屋さんがどうしたのかなと不思議に思いながら料理を運び終えると、いつもは笑顔で口に運んでいる料理には目もくれず、彼女は意を決したように口を開きました。
「……これは、黒の国の王女としてではなく、ただ一人の人間としてなのですが……」
そんな彼女の様子に、ただ事ではないと感じ取った掃除屋さんもいつになく真剣な表情で向かいます。それでも真剣味に欠けてしまうのは、やはり彼の顔つきが元からゆるいからでしょう。
「掃除屋さん、貴方は奇跡を……、起こせますか?」
「というと?」
「……私に、青空を……ほんの一瞬でもいい、たったの一度だけでも、青空を見せてください!」
そう願いを語る王女様の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいました。彼女の胸中はきっと、今まで誰にも打ち明けることの出来なかった、様々な想いが渦巻いているのでしょう。
「王女様」
「……なんでしょう」
掃除屋さんは王女様の目をしっかりと見て、一つのことを尋ねました。
「それは仕事かな? ……それとも頼み事かな?」
彼の行動理念は、その願いに想いがあるかどうかです。