赤の国 その2 「掃除屋さんの手腕」
赤の国、そして城内での滞在の許可を頂いた掃除屋さんは、その腕前を存分に発揮しているようですよ。もっといえば、猛威を振るっているとも言えますね。
彼が滞在してより一週間ほど。 すっかり人気者となっており、今では城のどこにいても声がかけられるほどになっていました。彼が赤の国を牛耳るのも時間の問題ですねぇ、ふっふっふ。
とまあそんな冗談はさておき、部外者が城内で支持を集めているというのは、より上の地位を得たい大臣達にとって、目障りでしかありませんでした。それでも大臣達が手を出せずにいるのは、彼の滞在を許可したのが誰あろう赤の王その人だからです。
大臣達にとって、王様からの評価は絶対。 民からの王様の支持は厚く、その王様からの評価は、民からの支持にも等しいのです。 三段論法というやつですね。ここ、試験に出ますよ、たぶん。
しかし、だからといって手をこまねいているわけにもいきません。これ以上掃除屋さんが城内で幅を利かせれば、自分達の立場は危うくなってしまうかも知れない。そんな焦燥感に駆られる大臣達は、どうにかして掃除屋さんを排除しようと、あの手この手を駆使していました。
じゃ、その様子を見に行ってみましょうか。
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掃除屋さんが城内で働き始めてから一週間、彼の活躍は枚挙にいとまがありません。
ひとまず、本業であると本人の言っている掃除を任せるとあら不思議。通路や壁はもちろんのこと、天井や照明に至るまで、目につくもの全てが見違えるようにきれいになっていました。
そして城内の掃除を一通り終え、次の仕事を求めて彼が城内をさまよっていたところ、食堂が人手不足ということを聞き、彼はそちらの手伝いへと赴きました。
初めは食堂のおばちゃん達もこの少年をどう扱っていいのかわからず、食器洗いを頼んでいましたが、そのあまりの仕事ぶりに度肝を抜かれたのだとか。
食堂には毎日大勢の兵士が押し寄せ、おばちゃん達は休む間もなく食事を提供しています。しかし、そもそも人手の足りていない食堂では大勢を捌くことは難しく、兵士から怒鳴り声が飛んでくる日々でした。彼女達がどれだけ必死に料理を作っても要求量は増えるばかりで、精神を擦り減らしながら毎日を奔走していたのです。
そんな状態の続く食堂ですので、掃除屋さんの手伝いの申し出はありがたいことでした。しかし、こんな少年が一人増えたところで、それほど期待は出来ないだろう。そんな考えもあり、彼は食器洗いを担当させられることとなりました。
しかし、一口に食器洗いと言っても、その作業量は膨大です。返された食器類を洗い、水分をふき取り、しっかりと乾かす。何度も何度も同じ作業の繰り返しですから、よほどの忍耐力がなければ務まらない、割と超絶ハードな仕事なのです。
今までも若い新人が何度か配属されましたが、その悉くがあまりの作業量にダウンし、別の部署へと異動していったそうな。
そんな過酷な職場で、果たして掃除屋さんの腕は通用するのでしょうか? ええ、もちろんしますとも。天下の掃除屋さんを侮ってはいけません。
洗い場の構造は、右側がシンク、左側が水切り、そして後ろ側に洗い終わった食器を置いておく食器置きがあり、これらを合わせて1セットとなっています。
彼はその洗い場の一つを任されたわけですが、やはりと言いますか、ほんの一瞬の間に全ての食器を洗い終えてしまいました。もちろんただ早いだけではありません。一つ一つ丁寧にしっかりと、まるでおばあちゃんの形見を扱うかのように、文句のつけようもない完璧な手つきで洗っていきました。
その早さたるや残像が見えるほど。熟練した掃除スキルの賜物でしょう。
彼は終始にこやかな様子で、食器洗いなどまるで苦になっていないようです。むしろその作業を楽しんで行っているようにも見え、周りのおばちゃんもそのあまりの仕事ぶりに慄いてすらいました。
そして、ひとまずやるべきことは終わったので、掃除屋さんは次の仕事を貰いに食堂長の元へと駆け寄りました。あれほどのオーバーワークも軽々とこなしてしまう掃除屋さん。……彼の体力は無尽蔵なのでしょうか。
こんな短時間で食器洗いが終わったということに対し、そんな馬鹿なといって様子で、食堂長は相手にしませんでした。しかし、ならもう一回やりますよ、とその作業風景を直に見せられてしまえば、否が応でも納得せざるを得ません。おまけに洗い場そのものまでをも掃除されてしまったとあれば、そんな疑念など完全に消え失せてしまいました。
ついでで掃除されてしまった洗い場は、つい先ほどまで薄く汚れていたことなど嘘のように、眩しい光を放つ、美しい洗い場と生まれ変わっていました。その洗い場は、食堂長がまだ新人であった頃よりずっと大事に使用してきた洗い場で、彼女の胸の中に、なんとも言い表すことのできない感動が浮かんだものです。
「なんなんだいあんた……?」
「掃除屋ですよ!」
そんな規格外な掃除屋さんの次のお仕事は、調理場での作業のようです。彼はさっそく指示された調理場へと赴き、そこの担当責任者に何をすればいいのかを尋ねました。
そして彼にあてがわれたのは、野菜を切り分けていく作業だそうです。 先ほどとは違い、今度は料理の一部を担当するようですね。
既に皮むきは終えられており、本当にただ野菜を切っていくというだけの作業で、切られた野菜はスープやサラダなど、様々な料理に使用されるので決して手は抜けません。単純な作業量でいえば食器洗いの何倍もの物量があるこの野菜達、彼はどのようにして捌いていくのでしょうか。
その時の様子を、同じく調理場で作業していたおばちゃんは語りました。
――曰く、美しかったと。
流れるように切られていく野菜達。そしてそれらを寸分違わず、絶妙に切り分けていく掃除屋さん。まるで川の流れのように自然に行われるその作業は、後に「野菜の川流れ」と呼ばれたとかそんなことはなかったとか。
シュタタタタッ、というリズムの良さで野菜を切りわけていき、その動作に呼応するかの如く、掃除屋さんも妖しげな笑い声を上げています。傍目から見れば、物凄く異様な光景ですね。
一応説明しますと、これは「スマイル・スライサー」と呼ばれる、掃除屋さんの有する技術の中でも高度な技なのです。
「スマイル・スライサー」
習熟難易度:★★☆☆☆
自身の笑い声と手や足の動きをシンクロさせることで、寸分違わぬリズムを刻むことが出来る。主に料理において用いられる技。笑い声に特に意味はない。
突然出てきた習熟難易度ですが、これは一つの技を習得するのに用いられる指標で、星五つで表されます。星一つで十年、二つで百年といった風に、星が一つ増えるたびに桁が一つ増えていくので、星五の難易度を習得することは一般の人にはほとんど不可能なんだとか。特に星五ともなればもはや仙人の域であり、神業と呼ばれる類の妙技となっているのです。
ちなみにその技名は掃除屋さん自らが名付けたもの。別に特殊なエネルギーを消費しているわけではありませんが、かつて訪れたとある国で、その所作に技名があるほうが格好いいと言われたことから、自分の技に名前を付けるようになったのだとか。
彼は食堂で数多の作業をこなしていく中で、そのうちどういうシステムで調理が行われているかも理解していったようで、誰かに指示を仰ぐこともなく、自分で行動を開始していくようになりました。
野菜の傷み具合や鮮度を見極めて食材を決め、鍋に火をかけ、味見をし、調味料をブレンドし、肉を刻み、灰汁を取り、味見をし、具材を炒め、合間に食器を洗い、味付けを行い、つまみ食……味見をし、小皿によそい、配膳する。
……合間に余計な作業が含まれているような気もしますが、気にしないようにしましょう。
作業の合間を縫って、他の作業の手伝いをしたり、食堂へやってきた兵士達と談話したり、一人で何十……いえ、何百人分もの作業を楽々とこなしていく掃除屋さんは、見た目や雰囲気の親しみやすさも相まって、たちまち食堂の人気者となりました。
もちろんベテランであるおばちゃん達も負けてはいられません。ここが食堂魂の見せ所! とばかりに奮起し、食堂はかつてない盛況ぶりを見せました。
かつては苛立ちと焦燥の入り混じる、剣呑な雰囲気の漂う食堂が、いまや和やかな空気の漂う、和気藹々とした空間へと変貌を遂げています。食事処はこうでなくては、せっかくの真心こめた料理も美味しく感じられませんからね。
ある兵士曰く、
「今までのスープが泥水のように感じる!」
とのこと。
いやそれはおばちゃんに失礼だろ。
*
そんな出来事が一週間も続いたとあれば、掃除屋さんが否応なしに人気者となるのも頷ける話です。
掃除に洗濯に料理に接客、果ては悩み相談や人間関係の修復まで、ありとあらゆる物事をこなす掃除屋さんは、いつもマイペースに行動をしていました。自分の能力を鼻にかけることもなく、しかし謙遜をし過ぎることもなく、誰でも均等に、朗らかに明るく楽しく接するその姿に、いつしか城の人々は毒気を抜かれていってしまい、日頃のストレスもどこかへ去ってしまったようでした。
かつてのような張り詰めた空気は既になく、兵士達が笑いあいながら、給仕やメイドなどと気さくに話し合うような、穏やかな空間へと変貌を遂げ、城内には和気藹々とした雰囲気が漂っています。
ただ一人の少年がもたらした変化は、赤の城をまるっと大掃除してしまったかのように、とてもとても大きなものでした。
……しかし、大臣達にとって、その変化は到底受け入れがたいものだったようです。
普段はいがみ合っているこの二人でしたが、軍事国家であったからこそ今の立場のある二人にとって、この和やかな空気というのは由々しき事態でした。
武力がものをいう時代だったのが変わり、謎の少年のせいで平穏な国となってしまえば、武力を推進する自分達の失脚は時間の問題。そんな事態になってしまわないよう、二人は知恵を寄せ合い、掃除屋さんを排除しようと様々な策を練りました。
一つは噂話。 掃除屋さんに関する、根も葉もない噂話を部下を使って流させました。赤の国を訪れる前の経歴など一切不明な旅人ですから、どんな噂でもそれを否定する根拠はない。そう考えた上での策でしたが、何をするにも規格外な掃除屋さんにおいて、規格内で収まってしまうような噂が浸透することはなく、不発に終わってしまったそうです。
もう一つは物騒な話ですが、暗殺です。その筋の人間に依頼し、彼が寝入った隙を狙わせましたが、どういうわけか失敗に終わってしまったようでした。
これまで法律もないような土地をその足で旅してきた掃除屋さんです。各地で幅を利かせている盗賊や山賊、ならず者たちとの対峙など、彼は飽きるほどしてきました。
そんな彼にとって、そんじょそこらの暗殺者を追い返すことなど、言葉通り朝飯前なのでした。(というか暗殺者すらもそのほんわかした雰囲気に飲まれ、武器を振るう気力が削がれてしまったそうです。 実際彼は寝ぼけていて何が起こったかもわかっておらず、そのまま二度寝したとかなんだとか。今までの旅もそんな感じだったのでしょうか?)
全ての策が悉く失敗していき、そして頼りの部下も彼と接するうちに穏やかになっていき、遂に大臣達自らが動かねばならなくなってしまいました。もう後のなくなった二人は確実に彼を仕留めるため、あらかじめ裏のルートから取り寄せていた恐ろしい猛毒を、掃除屋さんの食事に手汗混じりにこっそりと混入させました。それをほんの少量でも体内に入れてしまえば、たちまち体中の細胞という細胞を死滅させてしまうという、考えただけでも恐ろしい代物です。
なにより即効性の毒ですので、口に入れた瞬間から破壊は始まり、ものの数分で死に至ってしまうのです。そんな毒に頼る二人はもはや正常な判断などできておらず、ただ自分の保身だけを考えての行動でした。(毒を混入させた方法としては、食事中の掃除屋さんにこれでもかとにフレンドリーに話しかけ、毒を調味料だと騙って一滴スープに垂らしたのです。無理があるにも程がありますね)
ちなみに毒を混入させようとした際、誤って少しこぼしてしまい、それが自分へとかかって悶絶したのは別のお話。(この毒は体の内からでなければ、ごく少量であれば物凄く痛いだけで、命に別状はありません。良かったね!)
そうして、何も知らない掃除屋さんは、ついに毒入りのスープに口を付けてしまいました。
「……?」
しかしおかしいことに、彼は一瞬怪訝そうな表情を浮かべただけで、特に気にすることもなくスープを飲み干し、他の料理も食べ終えてしまいました。そのまま食器を元通り以上に洗い終えてから、彼はおばちゃんからの頼みごとを終わらせに食堂から立ち去ったのです。
その様子を、二人は唖然とした様子で見つめていました。確かに毒は混ぜたはず……。 実際に自分の体でその効果は味わっていますので、彼が平然としていることに驚きを隠せませんでした。
なぜ掃除屋さんに毒の効果が表れなかったのか。その理由は至って簡単。彼、毒とかそんな感じのものを無意識に浄化してしまう体質の持ち主なのです。旅した先、全ての環境や食料が安全とは限りません。そのため、どんなものでも美味しく食べられるようにと、いつの間にかそんな体質になっていました。
しかし、大臣達にはそんなこと知る由もありません。またしても策の失敗してしまった二人は、もう後には引けない状況となっていました。もし彼の暗殺を企てたと国王に知られてしまえば、首から上が身体からおさらばしてしまいかねません。
二人の大臣の眠れぬ日々は、もう少し続きそうでした。