隠密の華麗なる潜入
夜の闇に紛れ、気配を殺し動き回る。
俺の名前は、トミー。
ルクセリア様の命令で、今まさにベックフォード侯爵家に潜入している最中だ。
今のところ幸いにも、まだ俺が屋敷を徘徊していることに気が付かれていない。
「……では、バーナード様。彼らには、いつも通りの報酬を渡しておきますね」
目的地に到着した瞬間聞こえてきた声に、動きを止めた。
声の主は、カール。
ベックフォード侯爵家の当主の側近中の側近。
その有能さで使用人の中でも異例の出世を遂げ、若くしてその地位に就いたとベックフォード侯爵家の中で有名な人物だ。
「うむ、うむ。それで良い。……それで、スレイド侯爵から金は何時来るのか?」
そしてもう一人は、ベックフォード侯爵家の当主であるバーナード・ベックフォードのようだ。
「すぐには来ませんよ。商品を引き渡してからでしょうから……あと、早くとも一カ月くらいかと」
「そんなにかかっては、チェリーが強請っていた指輪を買えないではないか!」
「大丈夫ですよ。前回の売上金で手付金は払えますから」
「なんだ……それを早く言わないか!他の奴らに先に買われたら、どうしてくれる!?」
「あの指輪は、おいそれと買える代物ではございません。それに、カメオ商会もお得意様であるバーナード様を無碍にはできないでしょう」
「そ、そうか……なら、良い。早う、カメオ商会に指輪の件を連絡するんだぞ?」
「勿論でございます」
こっそりと伺い見れば、カールは人の良さそうな笑みを浮かべていた。
「ああ……そういえば、領境の橋を補修する件について至急で報告があると領官が申しておりましたが」
「橋ぃ?そんなもの、さっさと建て替えてしまえば良いではないか! そのような些事でチェリーとの時間を邪魔しようとするとは……その領官は、馘だ、馘!」
バーナードが愛人に金を湯水の如く注ぎ込む事は有名だが……噂通りその言動は、あまりに醜悪なそれ。
思わず内心溜息を吐いた。
「……畏まりました。では、そのように。それでは私はカメオ商会との連絡がございますので、これで」
「うむ」
カールが部屋を出て行った。
俺もまた、目的の人物であるカールに付いて行く。
当主であるバーナードを探っても、愛人のチェリーとの桃色な話ばかりで、エトワールの件どころか領政に関しての情報も全く出て来ない。
バーナードがそれらの情報を隠しているからということであれば、その巧妙さに舌を巻くのだが……真実、何もないのだ。
お陰でこの数カ月の調査は、全くと言って良い程の空振りだった。
「愚図め……」
部屋を出たカールはそう吐き捨てていたものの、その表情に浮かぶのは満足気な笑み。
それから彼は、少しの間書斎で仕事をしてから自室に戻って行ったようだった。
完全にカールが去ったことを確認してから、俺は書斎に侵入する。
そしてカールが触れていた机の場所を、順に探っていった。
お、ビンゴ……。
声に出さずにそう呟くと、軽く内容を見た。
そしてその場で複製を作り、偽物の方を元通りの場所に戻して行く。
全てが終わったタイミングで、ふと人の気配を感じて咄嗟に飛んだ。
瞬間、俺のいた場所に小刀が幾つも刺さっていた。
……当主への警戒が薄いと思ったら、まさか本命はこっちだったとは。
次々と刺客が入って来ては攻撃をしかけられている現状に、思わず息を吐く。
「こりゃ、残業代を貰わなけれりゃ割に合わないな……」
襲いかかってくる敵を、撃退していく。
けれどもそれでも尚、目の前を埋めつくすような大勢の刺客を前にして思わずぼやいた。