侯爵家の嫡男 2
「そう。旨そうな匂いにつられて露店の串焼きを食べたんだが、金を払わなければならないことを知らなくて……な。食べて立ち去ろうとしたところで、店主に咎められたんだ」
「……」
俺の昔話に、サムは何とも言えない表情を浮かべていた。
その反応に、つい小さく笑う。
「しかも、その後が傑作だぞ?怒った店主に対して理不尽にも俺は怒鳴り返したんだ。『俺は貴族だぞ!』ってな。……まあ、手元に金がないだけで、『貴族だから後で払える』って言いたかったんだが……言葉選びが最悪だよな。相手を威圧して、払う気がないと言っているようなもんだ」
サムは、遠慮がちに同意を示すように頷いた。
「当然、その場の空気も最悪。で、その時にヴィルヘルムが現れたんだ。『ごっこ遊びはそのぐらいにして、ちゃんと払うもんは払わなきゃ駄目だろ。……店主さん、申し訳なかった』……そう言って、ヴィルヘルムは店主に金を払ったんだ」
「……随分と機転が効きますね。それに侯爵家の方ながら、随分と街に馴染んでいたようで」
「後で知ったんだが、あいつは俺よりも前から脱走の常習犯だったらしい。で、その度に街歩きをしていたんだと」
「ははあ……なるほど」
「それがキッカケで一緒に街歩きをするようになって……仲良くなった、という訳だ。王都に来れば必ず会っていたし、手紙のやり取りも結構していたな」
「それだけ親しくされていたのであれば、婚礼式の件はさぞお辛かったでしょう」
気遣うような眼差しを向けるサムに、俺は首を横に振る。
「いいや……あいつは、ああなることを覚悟していたよ」
「なっ!一体どういうことですか!?」
「知ってしまったんだよ。彼女の両親が、五大侯爵家によって殺されたことを。そして、自身の家が……ラダフォード侯爵家が、婚礼後には彼女すら殺すことを目論んでいたことを。そして彼女が、それらの事実を掴んでいたことを」
「ちょ、ちょっと待ってください」
耳に入ってきた情報があまりにも衝撃的すぎたのか、サムは明らかに混乱しているようだった。
「ご、五大侯爵家の方々が、ぜ、前王陛下と前王妃殿下を殺した……と?それは確かなことなのですか?」
「ああ。ラダフォード侯爵家で密書を見つけたんだ。実行犯を差し向けたのは、スレイド侯爵家。殺害場所にお二人を誘き寄せたのは、ラダフォード侯爵家らしい」
「そ、そんな……」
「ちなみに、我が家は当日の警備を緩める役を担っていたらしいぞ。……我が家も、国家反逆罪が適用されるって訳だ」
あまりの事実に、最早オスカーからは言葉が出ない。
「……私にそのようなことを漏らして良かったのですか?」
「サムは俺にとって、唯一の家族だしな」
迷いもなく言い切れば、サムは溜息を吐いた。
「……光栄です」
「話は戻すが……事実を知ったヴィルヘルムは、彼女の助けになるよう動いていた。一つは、婚礼式の阻止」
「まさか、ヴィルヘルム様が浮名を流したのは……」
一時期、ヴィルヘルムの評判は最悪だった。
次期女王の婚約者でありながら、別の女性と噂になったのだから当然だ。
てっきりそれは、ヴィルヘルムがルクセリアを疎んでいるからこその行動だとオスカーは思っていた。
「ああ、そのためだったんだ。ラダフォード侯爵家一族の説得が難しいと悟ったとき、次善の策としてヴィルヘルムは自分の評判を落とすよう振る舞い始めた。そうして、他の五大侯爵がそれを攻撃材料にして婚約式を阻止してくれれば良いと」
「そして婚約が破談となれば、ラダフォード侯爵家の企み……ルクセリア様の殺害を阻止できると考えた。そういうことですか?」
「ああ、そうだよ」
「ヴィルヘルム様とバーバラのスキャンダルには、そんな背景があったとは……」
「それと同時に、ヴィルヘルムはルクセリア様に一切悟られないようにしつつも彼女を支援し始めた。……彼女が計画していた、ラダフォード侯爵家の断罪と侯爵領の領政の改革が早々に軌道に乗るように、状況を整えていったんだ」
「あれだけの改革……ルクセリア様が婚礼式の前から相当準備をしていたとは予想していました。けれどもまさか、ヴィルヘルム様がその準備段階でその事実に気が付き、支援をしていたとは……。ヴィルヘルム様は、一体どれ程大きな目と耳をお持ちなのでしょうか」
「持っているのかもな。時々、何でも知っているなと錯覚するぐらいに情報通だったから」
「……しかし、何故ヴィルヘルム様はそこまで動かれたのでしょうか。当主に刃向かい、それを以ってルクセリア様に減刑を申し出ることもせず……待っているのは己の身の破滅だけだと、ヴィルヘルム様ならば分かるはず。それなのに、何故……」
「……惚れた女を守りたいと思うことは、可笑しいことか?」
「……政略結婚では?」
「政略結婚でも、相手に惚れてはならないという道理はない」
そう呟きつつ、俺は笑った。
「あいつの口から、ルクセリア様への思いが語られたことは一切なかった。馴れ初めだとか、彼女への思いに繋がる思い出話すら聞いたことがない。だから、あくまで俺がそう感じたってだけだけど……あいつの彼女への思いは複雑だった。愛しているようにも見えたし、彼女の境遇に同情しているようでもあったし、彼女への罪悪感で押しつぶされそうでもあった」
我ながら似合わない言葉だと思いながら、それでも言葉を続ける。
「だからこそ、たとえその先にあるのが、己の身の破滅だとしても……あいつは彼女に救われたいと思わなかったのだと思う。否、思えなかったというのが、正しいか」
「……止めなかったのですか?」
「何度、止めたと思う?けれども、あいつは止めなかった。ぶれなかった。その思いの強さに俺の方が根負けして、最後は陰ながら協力していたが……結局、結末はアレだ」
当時のことを思い出して、つい拳を堅く握る。
自分の不甲斐なさに、吐き気を覚えた。
「でも、刺されるその時……あいつは笑っていたよ。あの結末を、覚悟していたから。覚悟して、満足していたから」
「……そうですか」
サムはそれ以上何も問わず、俯いた。
「……なあ。サムは、ルクセリア様のことをどう思う?」
そして俺の問いに、再びサムは顔をあげる。
「どう、と申しましても……私は直接お目通りする機会がないので、飽くまで伝え聞いた話から推測するしかありませんが……」
「それで良い。……俺は彼奴から話を聞いたせいか、どうしても身内贔屓というか……彼女に対しては、冷静な判断が下せないんだ」
「……氷のように冷静かつ冷徹で、炎のような怒りをその身に宿す方と思いました。ルクセリア様は、ご自身の両親が亡くなった原因を知っているのですよね?」
言葉を選ぶように、サムはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ああ……」
「いつから彼女がその事実を知ったのかは知りませんが……少なくとも、あの婚礼式の直前ということはない筈。であれば、彼女は王という確かな権力を手にする迄、ずっと人形の仮面を被り続け……その内で復讐の刃を研ぎ澄ましていたということ。自身の仇を前に、激情に駆られることなく計画を推し進めたその冷静さは、感嘆に値します」
「そうだな」
「その一方で、彼女の怒りの炎は刃を研ぎ澄ませていた年月だけ、より一層燃え上がっていたのかと。その苛烈さが、ラダフォード侯爵領の制圧であり、あの婚礼式の顛末なのだと思います。……恐らくあの方は、一度動き出したら、その炎で全てを焼き尽くす迄止まらない」
サムの言葉に、俺は笑った。
「ははは……なかなかに、興味深い例えだ。そうか……やはり、お前もそう見るか」
そしてそう呟きつつ、立ち上がる。
そのまま、窓辺に向かって歩き出した。
窓から見える景色は、いつの間にか陽はすっかり沈み闇が空を覆っている。
「……そんな彼女は、果たして父上の言う通り無能か?答えは、否だ。俺の目には、父上の方が遥かに無能と見えている」
「それは……」
「彼女を排し、独立を果たそうなど……酷い夢物語だ。現実が見えていなさ過ぎて、一層哀れにも思える。他の侯爵家はどうか知らないが……何故、侯爵家はああも彼女を、王家の力を甘く見る?その答えこそが、長年王家を侮り甘い汁を吸い続け……そして腐っていった証左だとしか俺は思えないんだよ」
「……ルクセリア様の策略とも考えられますよ。この時の為に、彼女は人形姫の仮面を被り続けたのかと」
「ああ、そうかもしれないな。……それはそれで、より恐ろしいが」
そっと、窓を開け放った。
室内の澱んだ空気が入れ替わっていくような心地がして、目を閉じ深呼吸をした。
「彼女の策略にしろ、そうでないにしろ……俺の答えは、変わらない。この領地にとって害悪にしかならない父上には、退場いただかなければならない。そして、この国にとって災禍としかならない侯爵家は、消えて貰うしかない。今になって、ヴィルヘルムが何故あんなにも追い詰められていたように動いていたのか、やっと分かったよ」
「……ルクセリア様に、協力なされると?」
「ああ」
「ですが……オスカー様が無事で済む保証はありません。ルクセリア様の炎が、協力者であるオスカー様の身ですら燃やし尽くす可能性があります。……何より仮に命が助かったとしても、ウェストン家は間違いなく取り潰されるでしょう。そうなったら、オスカー様は、一体どうされるおつもりですか?」
「さあ……生きていたら、どうにでもなるだろう。その時、考えれば良いさ」
サムの問いに、肩を竦める。
「そんな……」
「そんなことより重要なのは、何がこの国にとって最善かだ。……俺は堕ちたとはいえ、民を守る誇り高き侯爵家の一員。自身の身よりも、国の利を取ることは当然だろう」
「それは、そうかもしれませんが……」
「むしろ、遅かったぐらいだ。俺は、知っていたのに。……五大侯爵家のかつての罪を。それでも、ずっと決断がつかなかった。民の犠牲を知った、今この時まで」
ガンと、大きな音が部屋に響いた。それは、俺が窓辺の壁を叩いた音だった。
「気づいて然るべきだった。それなのに俺は、ヴィルヘルムの話を他人事としてしか聞いていなかったんだ。過去の罪も、そしてラダフォード侯爵家が新たに犯そうとした罪も。……所詮、ウェストン侯爵家も同じ穴の狢だというのに……っ」
「お止め下さい!オスカー様っ」
度々壁に拳をぶつけていたら、サムが俺の手を止めた。
「……サム。俺に協力をしてくれ。勿論、ウチが没落する前に、良い次の職場を紹介する」
「……いえ、紹介は不要にございます。私は、オスカー様の侍従ですから」
「俺は、お前一人すら雇い続けられなくなるんだぞ」
「それこそ、その時考えれば良いんですよ。案外、何とかなりますって」
サムはそう言って、笑った。
その瞳には、一切陰りがない。
「そうか……なら、その時一緒に身の振り方を考えるか」
俺もそう言って、笑った。
「サム。まずは、領官たちを探ってくれ。父上の息がかかっていない領官たちを選抜する。その上で、彼らを味方につけておく必要がある」
「畏まりました」
「俺は、今回の事件も含めて父上の周りを探る。それから、私兵たちも手懐ける必要があるな。……お前も、何か耳に入ったら即俺に報告してくれ」
「はい、承知致しました」
「……これからも、よろしくな」
「ええ。こちらこそ末長く、よろしくお願い致します」
そうして、俺はサムと硬く握手を交わしていたのだった。




