女王陛下は、笑った
コツン、コツン。
白黒格子柄の盤面上にある駒を弄ぶ音が、室内に響く。
「失礼致します」
室内に入って来たのは、ギルバートと侍女姿のトミーだった。
随分と侍女姿が板についてきたな……と、笑みを溢しつつ、部屋にいた侍女を下がらせる。
「夜分遅くに申し訳ございません。幾つか報告がございまして」
「構わん」
私は座っていた椅子から立ち上がり、奥の執務用の椅子に改めて腰を下ろす。
そして澱みのない彼の説明を受けながら、幾つかの書類にサインをしていった。
説明内容は多岐に渡り、各省庁と役職別の権限の整理、旧ラダフォード侯爵領の領政に関する報告等々……情報量の多さに、頭が重くなりそうだ。
「……これで、全てか?」
詰めていた息を吐きながら、問いかける。
「はい。お時間をいただき、ありがとうございました」
「構わん、と言ったであろう? 余の職務は、他の何よりも優先させるべきものだ」
そう言いつつ、苦笑した。
「そう仰っていただけて、何よりです」
「其方も、其方の下にいる官僚たちもよくやってくれている。……この半年、問題なく宮中の業務簡素化とラダフォード侯爵領の体制を整えることが進んでいるのは、其方たちの努力があってのこと。お陰で、そろそろ計画の完遂が見えてきた」
「……お言葉ですが、『問題なく』ということは当然のことかと」
彼は資料を持っていない方の手で、メガネをクイっと上げた。そのメガネの奥の瞳が、キラリと輝いた気がする。
「ほう?」
面白くなって、真意を問うように相槌を打った。
「あれだけ計画を、詰めに詰めましたから。……私から言わせると、『不測の事態』が多発するということは、それだけ計画が甘かったということ。計画段階で、リスクを洗い出すだけ洗い出し、そのリスクに備えるよう準備する。それが重要だと貴女様も考えているからこそ……私どもにあれだけ準備をさせたのでは?」
ギルバートの問いに、小さく笑う。
「……そうだな。その通りだ」
……戦は、開戦前に勝敗が決する。誰の言葉かは忘れたけれども、政も同じだ。
だからこそ、ラダフォード侯爵家の取り潰しから領政の掌握までの一連の流れを入念に準備をしてきた。
計画立案だけで、大体一年ぐらい……否、情報を収集するところから換算すると、もっと時間をかけたか。
どれだけのお金がかかるのか、どれだけ人員を投入する必要があるのか、どういったリスクがあるのか、そういう諸々のことを調査した上で、計画を詰めてきたのだ。
あの復讐劇を開幕した後……ラダフォード侯爵家を弾劾した後になって、『何も準備ができていない』だとか『王家では対処できない』なんて、口が裂けても言えなかったし。
「見えることが全てではない……か」
テレビもインターネットも無いこの世界で、政を担う人がどんなことをしているか……なんて、全く国民には知らされていない。一つの政策を決めるのに、多大な労力をかけているけれども……その過程が日の目を見ることはなくて、結局国民の目に触れるのは結果だけ。結果に対して責任を負うのは当然のこととは言え……過程の努力が認められないのは中々辛いだろう。
……否、前世も同じか。テレビがあろうとも、インターネットがあろうとも、人々に興味がなければそれまで。実際、私も過程なんて全く見ていなかったし。
ふと呟いた私の言葉に、ギルバードが大きく頷く。
「言い得て妙ですね。国民に発表されるのは、ほんの一部。我らが辿った茨の道を彼らが知ることは、ないですから」
「まあ、やがてそれも変えていかなければならぬのであろうな。余は其方らを信じているが……いつかその秘密のベールを利用して、政が利権を取り合う場だけとなる危険性もある」
「それは、そうかもしれませんが……今はまだ、先のことかと」
「……それも、そうだな。でなければ、悪巧みができぬな」
ついつい、ニヤリと笑みが溢れた。
「さて、そろそろ動くぞ。邪魔な侯爵たちを排除する。当然その過程で……」
「ええ、ええ。そろそろそう仰るかと思っていましたよ。どう排除するかはさておき、国政への集中に関しては水面下で計画を詰めています。情報はラダフォード侯爵を弾劾する準備をしていた際に、一緒に整理しているので……後は詳細を詰めていくのみです」
「そうか、そうか。それは頼もしいな。……ふふふ……はははっ」
急に笑い出した私に、ギルバートは怪訝な表情を浮かべていた。
「ああ、すまぬ。やっと……やっと邪魔な彼奴らを排除できると思うと、つい……な」
こみ上げてくる笑いをなんとか抑え、言葉を紡ぐ。
「……貶められたと分かったその時、彼奴らは一体どのような表情を浮かべるのであろうなあ? 悔恨? 絶望? 憤怒? 憎悪? ふふふ……はははっ! 奴らがどのような表情を浮かべたら、余は満足するのだろうな」
彼らを冷たい鎖で捕らえることを想像するだけで、痺れそうになるほどの幸福感が私を満たす。
幸せな未来想像図に浮かれた私とは違って、ギルバートは何故か徐々に顔色を悪くしていた。
「ああ、ああ…-重ね重ねすまぬ。忙しい其方の時間を、余の戯言で奪うわけにはいかぬな」
「いえ……そのようなことは。ですが、お言葉に甘えて失礼致します」




