人形姫と婚約者の問い
結婚式まで、残り一ヶ月。
アリシアの美味しいデザートを味わいつつ、ギルバートの生徒たちと議論を重ねる毎日。
とても、充実した日々だ。
「ルクセリア様! 今日はマッサージですよ! もう結婚式まで日がないのですから」
ただ……結婚式が近づくに連れ、流石に私も準備から逃げられなくなったことが大変。
とは言え、必要なことだから仕方ないか。
「さあ、失礼致しますね」
長椅子に仰向けに寝そべった。
アリシアの手が、私の頬や鼻筋、首筋を撫でる。
優しいその手つきに、硬くなった体が解れる心地がした。
「……バッチリですよ、ルクセリア様」
どうやら、眠ってしまっていたらしい。
目を開いたら、鏡を持ったアリシアが目の前にいた。
「ごめんなさい、眠っちゃったわ……」
「良いのですよ。リラックスいただくことが、一番大切ですから。本当はもう少しお休みいただきたかったのですが、この後予定がございましたので」
「それは仕方ないわ。……見せて」
アリシアが、私に鏡を近づけた。
肌の色が明るくなって、心なしか顔まわりがスッキリした気がする。
「流石、アリシア」
「素材が良いからですわ」
「またまた、アリシアったら。……さて、次の予定は何だったかしら?」
「マルベリー夫人が、ルクセリア様にお会いしたいと」
「ああ、そうだったわね」
「お召し替え致します」
アリシアはささっと手際良く私に服を着せてくれた。
支度を終えると、私室から応接室に移る。
「……失礼致します」
フリージアの声と共に、扉が開かれた。
そして入ってきたのはフリージアと……それから、ヴィルヘルム。
彼の姿を目にして、明らかにアリシアが狼狽していた。
……何故、お前が。
そんな声が、聞こえてきそうなほどだ。
「……何故、貴方が……っ」
訂正。彼女の口から、その言葉が飛び出た。
アリシアの直接的な言葉に、ヴィルヘルムは眉を顰めている。
「……私、マルベリー夫人に会うと伺っていましたの。彼女も、それは同じ。だから、つい驚いて聞いてしまったのよ。ね? アリシア」
私の取り成しに、アリシアは不承不承といった体で頷いた。
「……それは、申し訳ない。私が会うとなると色々面倒なことになるから……と、マルベリー夫人に譲って貰ったんだ」
「……そう。それで、ご用件をお伺いしても?」
「最後に答えを、聞きたかった」
「……答え?」
何か、彼から質問があったっけ? と、自分に問う。
……答えを探そうと、記憶を掘り起こしても全く覚えがない。
けれども次の瞬間、彼の言葉が更に深く私を混乱の渦の中に沈めた。
「月は、今も世界を回ることを望むか……と」
彼の問いに、頭は真っ白になる。
……今、彼は何と問いかけた?
思わず、私はその場に立ち上がった。
アリシアは私の咄嗟の反応に、驚いたようだったけれども……場を取り繕う余裕が今の私には全くない。
私のその反応に、ヴィルヘルムは笑った。
……彼の笑みは、貴族たちが人形姫に向ける侮蔑の込もったそれではない。
ただただ、納得したような……悲しそうな笑みだった。
「……十分、答えは聞けました。戴冠式を楽しみにしていますよ。ルクセリア様」
「ま……待って!」
頭を下げ、部屋から立ち去ろうとしていた彼を思わず呼び止める。
彼は歩を止め、一瞬振り返った。
咄嗟に、魔法を発動させる。
……彼の心の声が、聴きたくて。
フェアじゃない、ということは分かっている。
他者の気持ちを、無理矢理聞こうとすることは。
だから魔法のコントロールができるようになった後、私は誓ったのだ。
王族としての務めを果たす時以外は決して使わない、と。
特に、彼に対しては……彼の本音を聞くことが怖くて、使いたくなかったし、使えなかった。
だから、今、始めて私は自分の意思で彼の声を聞く。
「……〜っ!」
けれども、すぐに後悔をした。
普段表に出なかった、彼の心の声を聞いて。
震える唇を噛み締めなければ、嗚咽が溢れそうになるほど。
声の代わりに、私はじっと彼を見つめる。
……とても、静かだった。
深い深い海の底のような、凪いでいて……けれどもどこか悲しい、そんな瞳。
彼のそんな瞳を見ていたら、体が震えた。
「やっぱり……何でもないわ」
彼は再び頭を下げると、今度こそ本当に去って行った。
後に残されたアリシアはただ事ならぬ私の様子に、口を噤んでいた。
普段だったら、『あんな意味不明な質問一つで帰るなんて、一体何だったんでしょうね?』ぐらいは言いそうだけど。
けれどもアリシアの沈黙が、今はただただありがたかった。