官僚と教師
「ブライアンー? こんな時間に何処行くんだ?」
同僚の声に、僕は足を止めた。
「あ……ああ、ちょっと調べ物に」
「ほー精が出るなあ」
コツリ、コツリ。
何故か同僚は僕に近づいてくる。
……早く去ってくれないかな。と言うか、できれば近づかないで欲しい。
彼に苦手意識を持つ僕は、つい近づいて来る彼と目を合わせないように俯く。
「……そんなに頑張っても、意味ないのに。だって君、俺と違ってコネクションがないでしょ? やっぱり宮中で働くからには、それなりのコネクションがないとなー……」
「……は、はは。そうですね。本当に、羨ましいことで。では、私はこれで……」
これ以上話を続けられては堪らないと、僕は逃げるようにその場を後にした。
同僚の目から逃れることができた……これで、待ち合わせに遅れることはない。
そう確信できたところで、一旦立ち止まって深呼吸をする。
……それにしても、何故ギルバート様から僕に手紙が?
そのギルバート様から『会いたい』という手紙が僕の元に届いたのは、本当に何の前触れもなく突然のことだった。
最初、何かの間違いではないかと疑った。
ギルバート様といえば、多岐の分野に渡って著名な論文を残している人物。
その功績によって、王国より勲章を受領した程だ。
けれどもそれと同時に、論文と名前以外の一切の情報が公開されていないことでも有名だった。
そんな人物が、僕に会いたい……?
一体何故?と手紙を見て、一番に疑ってしまっても仕方がないことだ。
勲章と同時に与えられたと言われている印が、その手紙に押されていなければ、何かの悪戯だと手紙を破り捨てていただろう。
指定された部屋は、表宮の一部屋……それほど広くない応接室のような場所だった。
「失礼致します」
ノックと共に部屋に入ると、そこには男の人が一人。
窓から放たれる光が眩しくて、つい目を細める。
そこにいたのは、想像していたよりも若い男だった。
針金のようなひょろりとした細身に、無造作に一纏めされた黒い長髪。
眼鏡の奥から覗かせる瞳は、理知的な色を映し出していた。
「初めまして。ギルバート・マホガードと申します」
「お、お会いできて光栄でふ……! わ、私の名前は……」
慌て過ぎて、つい、舌を噛んだ。
そのことに気がついたのか、ギルバート様はクスリと笑う。
「存じておりますよ。ブライアン・ウィルグレットさん」
そう言いながら、彼は手で僕に椅子を示した。
「今日は突然呼び出してしまい、すいません。お時間は大丈夫でしたか?」
「は、はい。勿論です。その、割と今は暇なので」
「おや、そうなのですか。……このような報告を書く方が?」
パサリとギルバート様が二人の間にある机に置いたのは……僕が書き上げた報告書。
「どうして、これを? ……捨てた筈なのに」
「……捨てた、ではなく、『捨てられた』ではないのですか?」
ニコリと口元は笑みを浮かべつつも、目元は全く笑っていない。
むしろ、まるで僕を試すようなそれだ。
その緊張感に、ゴクリと生唾を飲む。
「それが、何ですか?」
「捨てる神もいれば、拾う神もいるということですよ。私の上司が、これらの報告をとても気に入りまして。……私も、貴方のアイディアは非常に良いと思いました」
……読んでくれたのか。
肩の力が、一気に抜けた。
今まで、一顧だにされなかった報告の数々。
それでも、諦めきれずに何度も書き上げてきた。
……いつか、上司がアイディアを認めてくれることを。
そして、自身のアイディアが国政に反映されることを。
官僚になったからには、少しでも国政に携わりたいと願っていた。
少しでも、人々が住みやすいと感じる国となるようにと。
そんな大望を抱きながらも、実際は歯車として日常の業務をこなすばかりだった。
……勿論、日常の業務が大切なものだということも分かっていた。
歯車が噛み合うからこそ、国が回り、そこに住まう人々の暮らしを守ることができるのだと。
けれどもそれと同時に、『こんなのがあったら良い』『あんなことができたら良い』と……日々の暮らしから生まれたアイディアを、捨て去ることはできなかった。
捨てられなかったからこそ、何度も上奏という形で報告書をあげていたのだ。
けれどもそれらはずっと、上司に捨てられ続けた。
『余計なことは、するな』と。
『与えられた仕事だけを、こなしていけば良いのだ』と。
……それを、やっと……読んでもらえたのだ。
どういった経緯かは分からないが、それでも有名な人物に。
「……残念ながら、このままではこのアイディアは使えない。それは、貴方も分かっていますね?」
「……はい」
確かに、そうだ。
報告書に書いたのは、アイディアを書き連ねただけのもの。
大枠だけで、緻密な計画は一切書いていない。
「けれども、貴方のアイディアは大変面白い。だからこそ、私の元で勉強しませんか? 勤務が終わった後ですから、当然時間的な制約がありますが」
「良いのですか!?」
「ええ。私の上司も、貴方のことは買っていましてね。是非、貴方に成長して欲しいと。私の元にはそう言った、私の上司に見込まれた方々が集まっていますので、部署を跨いで有益な情報のやり取りもできるかと思いますよ」
「……ギルバート様の上司、とは?」
僕の問いに、ギルバート様はにこやかに笑うのみだった。
その笑みに圧倒されて、またもや生唾を飲み込む。
「……どうしますか?勢力争いを恐れるのであれば、この話はなかったことにした方が良いですか?」
「いいえ!」
言葉に被せるように、叫んだ。
……こんなチャンス、二度と転がっていないに違いない。
ギルバート・マホガード様に、師事することができるなんて。
それに何より、今まで捨てられてきた報告書を拾い上げてくれたのだ。
それがどんなに、嬉しかったことか。
「是非、よろしくお願いします!」
「……それは、良かった。ならば、ブライアン。私のことはマホガード先生と呼んでくださいね」
「はい……はいっ!」
僅かに涙を流しながら、僕は差し出されたギルバート様の手を握ったのだった。