人形姫とご挨拶 2
本日4話目の更新です
宮中は走ってはダメよ……と、アリシアの背に向けて苦笑いを浮かべながら、小さく呟く。
裏表のない彼女の姿が、どれ程私の救いになっているか……彼女は気がついていないんだろうなあ、と俯きながら考えていた。
ふと机の上に人影が降りてきて、顔を上げる。
「……久しぶりね、ヴィルヘルム」
まさかの人物に、一瞬驚いて固まってしまった。
「久しぶりです、ルクセリア様」
彼はそんな私の反応に気がつかなかったのか……それとも気づいたところでどうでも良いと思ったのか、表情に変化はない。
ただ、淡々とした笑みを浮かべているだけだ。
「貴方も、私に挨拶?」
「貴方『も』ですか?」
「ええ。先ほど、ダグラスが来たの」
「へえ……オルコット侯爵当主が。ですが、私と彼の方は別に示し合わせた訳ではないですよ」
「そう?……珍しいことが続くと、気になるものじゃない? 何かあるのかしらって」
「別に、本当に何もないですよ」
彼は肩を竦めて、苦笑いを浮かべていた。
「それなら、何か用かしら?」
「婚約者の顔を見るのに、用事が必要ですか?」
「必要……そうね。そうでもなければ、ここには来ないと思って」
「……そんなことないですよ」
彼は一瞬、動揺を見せた気がした。
そんな彼の反応に、白々しい……と心の中で呟く。
同時に、じわじわと凍えるほどに冷たく重い感情が心に降り積もった。
そしてそれを彼に悟られないように、一瞬俯く。
彼とバーバラの仲は、周知の事実。
私と顔を合わせたのは、夜会以来今までなかったというのに、彼女とはほぼ毎日のように共に過ごしているらしい。
どちらが婚約者か、分かったものではない……そう、社交界で陰口を叩かれている。
……今更、か。
今更、傷ついてどうなるというのか。
私は俯いていた顔を上げて、ジッと彼を見つめた。
彼は、私を見つめ返しながら苦笑いを深める。
「月は……」
「……月?」
思わず、私は聞き返した。
その真意を、聞きたくて。
けれども丁度そのタイミングで、廊下の方から人の気配がした。
アリシアかと思ったけれども、違うようだ。
私が気配の主を確認し終えたのと同時に、ヴィルヘルムが口を開く。
「全く……確かに、バーバラは素晴らしい女性です。彼女と共に過ごす方が楽しいことは、否定しませんよ」
そんな言葉に、私はつい笑ってしまう。
「そう……ならば、あまり私が縛り付けてはダメね。下がって結構。挨拶は十分だから、楽しんでらしてね」
私の言葉に、何故か彼は一瞬動きが固まった。
けれどもすぐに頭を下げると、彼は去って行く。
時間にして、僅か数分。
あまりにも呆気ない婚約者との逢瀬に、胸にポッカリと穴が空いたような寂しさを感じていた。
……思っていた以上に、感情が揺さぶられている。
それと同時に、先ほどまで素晴らしいと感じていたこの景色が、すっかり色褪せてしまったように感じられた。
けれどもそんな空気を壊すように、彼と入れ替わりで戻って来たのがアリシアだった。
「ルクセリア様っ!大変おまたせ致しました」
彼女の纏う明るい雰囲気に、思わず笑った。
「おかえりなさい、アリシア」
「まずはショールをどうぞ!本日のドレスに合う、新しいショールですよ。それからお茶ですが……」
彼女のおかげで、それまで色褪せていた光景が美しいそれに変わる。
先ほどの痛みに蓋をして、私はアリシアとの会話を楽しむことにした。