同僚侍女と夜会 2
本日4話目の更新です
「あら……中央で踊っているのは、ヴィルヘルム様じゃない?パートナーは……」
ふと視界に入った人物に、注目する。
ヴィルヘルム・ラダフォード。
金髪の豊かな髪に、まるで青空のような透き通った瞳。
筋骨隆々ではないものの、服の上からでも分かるようなよく鍛えられた均整の取れた肢体。
美姫として名高いルクセリア様の横に立っても見劣りしないような、美しい顔だち。
そして五大侯爵家の一つであるラダフォード侯爵家の嫡男という、天から二物も三物も与えられているようか彼は、ルクセリア様の婚約者だ。
けれども今、彼はルクセリア様とは別の女性と踊っていた。
男性も女性も婚約者以外と踊ってはならない、ということはない。
むしろ、親交を深めることために、又は親交があると周りに見せるために、婚約者以外と踊ることが殆どだ。
けれども、必ずファーストダンスだけは妻や婚約者と踊る。
たとえ政略結婚でそこに愛がなかったとしても、妻や婚約者を軽んじていない証として、そうすることが舞踏会に参加する者の暗黙の了解なのだ。
……それなのに、ヴィルヘルムがファーストダンスを踊っている相手はルクセリア様ではない、別の女性。
しかもその相手が、最近ラダフォードが執心していると実しやかに囁かれている男爵令嬢のバーバラなのだ。
ルクセリア様が軽んじられている!……と、彼らのその振る舞いに、アリシアが激昂しないか心配になった私は、そっと恐る恐るアリシアの方を見た。
パーティーの最中、魔力の暴発がもし起きれば……幾らアリシアがルクセリア様のお気に入りだとしても、重い罰は免れないだろう。
けれども、不思議とアリシアの魔力が暴走する気配はなかった。
最悪の予想をしていただけに、ホッと安堵の息を漏らしたのもつかの間。
「……ナニ、アレ」
一刻遅れて、彼女の魔力が飛躍的に上がった。
彼女の視線の先にはいるのは、勿論ヴィルヘルムとバーバラだ。
やっぱり怒ってる……!
希望の光が見えたすぐ後に、その光を奪われた絶望は計り知れない。
慌てて頭の中でどうにか彼女に落ち着いて貰おうと、言葉を探す。
「お……落ち着いて、アリシア。姫様主催のパーティーで騒ぎを起こしたら、姫様にご迷惑をかけてしまうわ」
ほんの数秒の間に頭を凄まじいほどに動かし、考えに考えて浮かんだ言葉は……結局、ルクセリア様の名前を使うことだった。
けれどもアリシアには効果覿面だったらしく、先ほどまで漂っていた濃い魔力は徐々に落ち着きを取り戻しつつある。
「……それもそうね」
ポソリとアリシアが呟いた言葉に、自分は逃しかけていた光を掴んだのだと安堵の声を漏らした。
「ごめんなさい、つい……ルクセリア様のお気持ちを蔑ろにするあの男と、ルクセリア様に不敬を働くあの女の姿を見ていたら、怒りがふつふつと湧いてきちゃって」
そう苛立ちを露わにする彼女から、再び濃厚な魔力が漏れ出ている。
それを察知して、慌てて口を開いた。
「確かに……ルクセリア様の婚約者だと知っていてあの振る舞いは、不敬ね。そもそも彼女は高位の方々に次々と擦り寄っていたという話は有名だし。でも、それに引っかかるヴィルヘルム様もヴィルヘルム様というか……あっ、やっぱり今のなし!」
怒りを和らげるどころか、更に火に油を注ぎそうな言葉を呟いてしまったことに、慌てて口を噤む。
「だから苛つくんじゃない……!ルクセリア様のお気持ちを蔑ろにする、彼のことが。そもそも、ヴィルヘルム様ほどの方がまさか……まさか、自身の立場を理解していない筈がないのに」
「ルクセリア様のお気持ち? ルクセリア様とヴィルヘルム様は、こう言っちゃなんだけど……政略結婚でしょう?」
ルクセリア様とヴィルヘルムの婚約は、政略結婚の布石以外の何物でもない。
五大侯爵の影響力を求めた、王家。
王族の権威を掌中におさめることを望んだ、ラダフォード侯爵家。
双方の意図が合致したための婚約……そこに、愛はない。
それが、王宮に仕える使用人・貴族全員の認識だった。
「……ルクセリア様は、ヴィルヘルム様のことが好きだよ」
だというのに、アリシアはそれを明確に否定した。
静かに断定をする様は、確かな根拠があるように受け取れる。
「そう、なの?……ああ、でも貴女がそう言うなら、そうなのね。ルクセリア様から聞いたのでしょう?」
「聞いてないよ」
「え……?」
「ルクセリア様のお心は、ルクセリア様だけのもの。私だって、聞いたことないよ。……でも、ルクセリア様はヴィルヘルム様のことが好き……ううん、愛しているのだと思う。だから今も、ヴィルヘルム様のあんな姿を見てルクセリア様は哀しんでいる」
「……哀しんでいる?」
私は、ルクセリア様に視線を移す。
ルクセリア様は今この時も、招待客たちとにこやかに会話を繰り広げていた。
……あまり、哀しそうには見えない。
そもそも、全くヴィルヘルムの方に視線が向いてすらいなかった。
いつもの如く、その美しい顔に笑みを浮かべているだけだ。
「……うん、ルクセリア様は哀しんでる。分かるよ、ずっとルクセリア様のお側近くにいたから」
もう一度、私はルクセリアをじっと見た。
……分からない。
先程から、彼女の表情に変化がない。
薄笑いを浮かべながら、淡々と次々にやってくる招待客の相手をしている。
ルクセリア様が本当に悲しんでいるのか……やっぱり私には分からなかった。
「まあ……貴女がそう言うなら、そうなのかもしれないわね」
結局そう納得すると、小さく笑った。
「それにしても、貴女が落ち着いてくれたみたいで良かったわ」
「……ルクセリア様のお陰だよ。一番お辛いのはルクセリア様なのに、そのルクセリア様が耐えているのだもの。勝手に怒った挙句、ルクセリア様のご負担になる訳にはいかないわ」
……もう魔力の暴発の心配は、無さそうだと安心した。
「『人形姫』と呼ばれているからって、人形のように感情がない訳ないじゃない。だってルクセリア様は……箱庭に囲われているだけじゃなくて、自らを囲っている。だから、感情を出さないだけ」
私に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、アリシアは呟いた。
何も映っていないかのような……虚ろな瞳。
ごっそりと表情が抜け落ちた様は、普段の彼女らしからぬ様子だ。
「……ん? アリシア、何か言った?」
そんな彼女の様が少し怖くて、あえて聞こえなかったフリをして聞き返す。
「え? 何も言っていないけれど?」
けれども私の言葉に、キョトンと彼女は首を傾げていた。
先ほどまでの冷たい雰囲気は消え、いつもの彼女が戻ってきていたから……まあ良いかと、思い直す。
「気のせいかなあ……そろそろダンスが終わるよ」
「……うん、そうだね」
アリシアは頷くと、私と同様ルクセリア様に視線を向けていた。