王女と前世
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塔で暮らし始めて、一週間が経った。
「うわわわっわ」
私の悲鳴と共に、ドシャンという何かが落ちる音とバリンと割れる音がした。
あーあ……。
恐る恐る振り返れば、壁に取り付けられていた棚が落ちて、上に乗っていたガラスが割れていた。
「ぶふっ……げほ、げほ……」
舞い上がった埃に、咳き込む。
……塔で暮らし始めてから、掃除三昧の毎日。
とりあえず悪戦苦闘の末、何とか寝室は終わらせた。
そして今は、居間を片付けている最中だ。
部屋自体そんなに広くないし、正直、『すぐに終わる!』と舐めていたのだけど。
けれども想像以上に部屋は汚かったし、何より子どもの小さな手足というものは動かし難い。
『前世』の記憶で簡単にできるかと思ったけど、中々現実は厳しい。
……そう、私には生まれたその時から前世の記憶があった。
日本という国で生まれ育ったという記憶が。
当然、最初は混乱した。……というよりも、理解できなかった。
何せ気がついたら、赤子になっていたから。
割と教育を重視する家庭に生まれ、両親の過度な期待とプレッシャーに揉まれつつも無事大学を卒業。
名の通った企業に就職を果たし、両親からの期待には十分応えただろう。
そして十数年……順調にキャリアを重ね、そのまま日々は過ぎていくものだと思っていたのに。
何故か、気がついたら赤子。
寝ても覚めても、赤子。
夢だと思ったのに、全く現実に戻る気配もなし。
……一体、何がどうしてこうなった? と、誰かの首根っこをを捕まえて問い質したいと、何度思ったことか。
けれども残念ながら、体が言うことを聞かなかった。
ならばと周りを観察してみれば、明らかに見覚えのない人たちと、まるで中世のヨーロッパのような光景。
たまに視界の端に映る、魔法という名の摩訶不思議な現象。
やっぱり夢だ……と、暫くの間は思い続けた。
けれども流石に何年も暮らしていたら、これは現実なのだと悟るもの。
そうして私は『ルクセリア・フォン・アスカリード』の生を受け入れた。
否、逆か。
ルクセリア・フォン・アスカリードは、『日本で生まれ育った女性の記憶』を受け入れたのだ。
前世の記憶は私に混乱をもたらしたけれども、お陰様で何とかこの塔で一人暮らしができている。
むしろ前世の基準で考えると、この生活は破格。
何せ家賃は無し、美味しい食事付。
必要なことは、掃除と洗濯を含めた身の回りのことぐらい。
……やっぱり、最高の生活だ。
コンコンコンと急に、ノックの音が聴こえてきた。
……一体、誰だろうか?
こんなところに、人が訪れることはないと思っていたのだけど。
疑問に思いつつ、私は扉を開いた。
扉の外にいたのは、私と同じ年ぐらいの少女が一人。
薄紅色の髪に、翠の瞳が印象的な子。
……こんな可愛らしい子が、何でこんなところに?
「はじめました。私の名前は、アリシアです。貴女が、『ルクセリア様』?」
はじめました? はじめまして、かな?
そんなことを思いつつ、首を縦に振る。
「え、ええ。そうよ」
「そーですか。貴女が私のご主人様です」
告げられた言葉の意味が分からず、暫く固まってしまった。
「……ご、ご主人様?」
「私、『ルクセリア様にお仕えする』仕事を貰う、ました。なので、これからよろしくお願いします」
「ちょ、ちょっと待って! ……まずは、部屋の中に入っ……」
言いかけたところで、居間の状態を思い出して口を閉ざした。
流石にあんな足の踏み場のないところに、入って貰う訳にはいかないだろう。
……とは言え、このままここで立ち話をするのも……。
「ちょっと、ここで待ってて」
居間に戻ると、慌てて床に散らばった棚の残骸やらガラスの破片を一か所に纏めて、見えない様に隠す。
片付けは、後でちゃんとやれば良い。
そして再度玄関に戻ると、彼女を招き入れた。
「とりあえず、そこに座って」
「え……ですが……」
戸惑っている彼女を見て、『あれ、もしかして椅子にも埃が積もってたっけ?』と内心慌てる。
「ご主人様の前で、休むのは良くないと聞いてる、ますけど……」
……あ、良かった。埃じゃなかったか。
「良いから、座って頂戴。貴女が立ったままだと、話し難いわ」
彼女の言葉に内心安堵の息を漏らしつつ、再度お願いした。
「……では、座るます」
再度、安堵の息を漏らした。
立ったままだと、さっきの残骸が見えてしまう。
それを回避できて、良かった……と。