君は誰?
二
駅を出ても、僕たちはしばらく走っていた。なに
せ痴漢現場から逃げ出した犯人なのだから、出来る
だけ犯行現場から離れないとやばかった。
「はあーここまで来ればもう大丈夫よね」
彼女が言った。初めて見たときも美人だと思った
が、息が上がってハアハア言っている彼女はさらに
美しかった。さっきは、着てる服まで見る余裕が無
かったが、意外にラフな格好をしているなと思った。
ジーンズの上には、胸のふくらみがはっきりわかる
Tシャツそれに薄手のジャケットだった。
「フゥー久しぶりの全力疾走だったからもう息が上
がって、君は大丈夫?」
「全然、大丈夫でも面白かったわね。あの女子高生
逃げたーって叫んでたわよアハハハ」
彼女は周りも気にせず大きな口をあけて楽しそう
に笑った。僕もつられて笑ってしまっていた。
「あのー、お礼をいうのが遅れたけど助けてくれて
ありがとう。おかげで痴漢冤罪の犯人にならなくて
済みました。でも、助けてもらってこんな事、言う
のも変なんだけどどうして僕を?」
「顔、顔よ」
怪訝そうな、それこそ、そんな顔をしている僕に
彼女が答えた。
「あの、大人を舐めきっているような女子高生の生
意気な顔にムカついたのよ」
そんな事で、助けてくれたのかと僕が思っている
と彼女がさらに付け加えた。
「それに、傍目で見てもあなたに痴漢行為が出来る
ような度胸があるとは到底思えなかったの」
痴漢行為が出来るのを度胸かどうかは別として何
だか褒められてるのか、けなされてるのか複雑な心
境だった。
「でも、僕寝てたから知らなかったけど、君僕の隣
に座っていたんだね」
すると、彼女がいたずらっぽく笑って言った。
「あーっ、あれ全くの嘘よ」
「えっ、嘘だったの!」
驚いていいる僕に構わず彼女は、自販機にお金を
入れ炭酸のジュースを二缶取り出すと一本を僕に差
し出した。
「はい、どうぞ喉渇いたでしょう」
僕が恐縮して受け取らないでいたら、彼女は僕の
胸に缶ジュースを押しつけてきた。
「受け取れないよ、助けてもらったのは僕の方なん
だからせめてお金払わせてよ」
と、僕が言うと彼女は缶ジュースのプルトップを
引き上げて中のジュースを飲みながら答えた。
「良いわよ、缶ジュースの一本や二本いつでも奢っ
てあげる。それに助けたのだって、私が好きでやっ
たことなんだから、あなたが恩に思う必要なんてな
いわよ」
「解った、じゃあ遠慮なくいただくよ。それでさっ
き言ってた嘘って本当?」
貰った缶ジュースのプルトップを引き上げるとプ
シュッと炭酸のガスが抜ける音がした。
「それは、本当の事よ最初はあなたの恋人でも装う
かと思ったけどあなたがもし芝居に乗らなくて否定
されたら困ると思って、咄嗟に考えたの中々のアイ
デアだったでしょ」
僕は、感心しながら彼女の話を聞いていた。
「ふーん、そうなんだ。でも、そのハッタリがバレ
るとは思わなかったの」
彼女は、ちょっと上目づかいにしながら言った。
「うーん、それも少し考えたけどあの女子高生が嘘
をついているって直感的に解ったの、私こう見えて
も結構人間観察には自信があるんだ。これは私の職
業にも関係してるのかも」
「職業?、ところで君は何をしている人、まさか警
察関係とかじゃないよね」
僕は、真顔で聞いてみた。
「馬鹿ねえ、警察関係だったら貴方とっくに留置場
の中よ」
そりゃ、そうだと思ったがその上で彼女に聞き直
してみた。
「じゃ、なんの職業か教えてよ」
彼女は、少し考えたがすぐに答えてくれた。
「それは、秘密お互い相手の事はあんまり詮索しな
いで別れましょ。知らない方が良い時もあるから、
それよりあなた会社に行く途中だったんじゃないの、
そっちの方は大丈夫なの?」
そう言われて、僕は会社の就業時間を完全にオー
バーしているのに気づいた。慌ててスマホを出して
会社に電話を掛けた。
「あっ、課長ですか実は寝坊してしまって今大至急
会社に向ってます。誠に、誠に申し訳ありません」
僕が、平身低頭ひたすら謝り続けた結果課長も
解ってくれたみたいで「それじゃ、出来るだけ早
く来いよ」と言ってくれた。ホッとして電話を切
り視線を彼女に戻すと、もうそこに彼女の姿は無
かった。いつの間にか彼女は消えていた。
「とうとう、名前も聞かずじまいだったな」
自販機の脇から黒い猫がヌッと出た。そして僕を
チラ見して、そのままビルの間の細い路地にするり
と入って行くのを見ていて、あの猫みたいな女性だ
ったなと思った。そして彼女が消えたと思われる方
角に向って一礼をして、それから急いで僕は会社に
向かった。