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王宮侍女シルディーヌの受難  作者: 涼川 凛
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騎士団長の怖いもの2

「え……?」



振り返るとアルフレッドが扉にもたれるようにして立っており、シルディーヌは驚くよりも、不思議なものを見つけた気持ちになった。


足音もなく気配も感じさせずに近づくのは、優秀な騎士たる所以か。


つい十分ほど前にフリードからここで待っているように言われたのに、もう帰ってきている。


国家警備隊のところは、短時間で行き来できるほど近いんだろうか。


それとも、単に早朝から出向いていたのか。


フリードの態度と言葉からは、とても時間がかかりそうな印象を受けたのに?


頭の中に大きな疑問符を幾つも浮かべて、声も出さずに見上げるシルディーヌを、アルフレッドは無言のまま見つめ返している。


その雰囲気が、いつもとちがう。


青い瞳が潤んだように見えるし、頬がちょっぴり紅潮している。


なにより、いつもそれなりに整っている髪が、嵐の後の草原のようになっている。



「アルフ……忘れ物したの?」


「なんでだ。俺は、そんなにそそっかしくないぞ。それに、野暮用は済ませてきたから、ここにいるんだ。忘れ物と思ったのは、どういうことだ」


「え、だって、アルフが尋問するのはとても怖い人なんでしょう? もっと時間がかかると思っていたの」


「ふん、他愛ないぞ。尋問始めて五分ほどで落ちた。もっと骨のある奴だと思っていたが」



アルフレッドは悪魔的な顔でニヤリと笑う。


いったいどんな尋問したのか。怖い犯罪者がすぐに落ちるなど、強大な恐怖心を与えたのだろうか。


想像しただけで身震いしてしまい、シルディーヌは訊かないことに決めた。



「でも、すごく髪が乱れているわ。とっても急いで戻ってきたみたい。だから、また戻るのかな?って思ったの……」


「ちっ、これか」



アルフレッドはうめくような声をあげ、バツが悪そうな表情をする。


今日のアルフレッドは、なんだか様子が変だと感じる。


いつもワイバーンのような怖い顔一辺倒なのに、表情があるというか、ちょっぴり色があるというか。



「……俺が馬を飛ばして帰って来たのは、別のワケがあるからだ」



アルフレッドは指先で前髪を整えながらも、シルディーヌから視線を外すことがない。


夏空のように青い瞳は、ピンクブロンドの髪、翡翠色の瞳、ルビーのように赤い唇、そして細い腕へと、なにかを確かめる様にゆっくり動いている。



「別の理由って?」


「俺は、ここに心配な事がある。それは、厄介で、難儀で、面倒だ。でも、少しも放置することができない。手の届くところにいないと、気になって困るほどだ」



そう言って、シルディーヌに一歩近づく。


アルフレッドの声も瞳も真剣なもの。


まっすぐに見つめられて、シルディーヌは胸の中でアルフレッドの言葉を噛みしめた。


気になって仕方がないほどに、黒龍殿のことを思っているのだ。


ここには軍の機密がたくさんあるし、騎士団長として、立派な心構えを持って仕事をしているのだろう。


幼い頃からずっとイジワルアルフの印象しかないが、意外にも心配性で責任感が強い一面もある。


団長に相応しい人なのだと見直してしまう。


改めて立ち姿を見れば、帯剣した正式な騎士の格好はとてもスマートで凛々しい。


以前ペペロネが言っていたように、これで颯爽と馬に乗っていれば、さぞかし素敵に見えるだろうと思う。


清んだ青い瞳にずっと見つめられていると、中身がドSだと知っているシルディーヌでも、うっかり魅了されそうになる。


騎士団長として立派で、見た目は素敵ならば、令嬢侍女たちが恋してしまうのも分からなくはない。



シルディーヌが密かに納得していると、アルフレッドは上着を脱ぎ始め、腰に付けていた剣を外してベッド脇の壁に立て掛けた。


その様子をぼんやり見ていたシルディーヌは、ハッと思い出した。


そうだ、ここは、アルフレッドの部屋だった。



「ごめんなさい。ここはアルフの部屋よね。私は仕事をするわ」



そそくさと出ようとするシルディーヌの前に、アルフレッドの腕がある。


それは、とおせんぼをしているようで、シルディーヌは首を傾げて振り返った。


いつも黒い団服姿のせいか、上着を着ていない白シャツ姿がやけに新鮮に感じる。


嵐の後のようだった髪は手櫛で整えられており、表情はいつものワイバーンな雰囲気に戻っていた。


威圧感を覚えつつもじーっと見つめていると、アルフレッドはじりっと間合いを詰めた。


だがあくまでも自然な動作ゆえ、距離を縮められたことにシルディーヌは気づいていない。



「俺はここには住んでないぞ。着替えを少し置いてあるだけだ」


「……そう、なの?」



シルディーヌは拍子抜けした声を出した。


わざわざ止めたのだから、もっと重要なことを言うと思っていたのに、それだけ?と。


やっぱり、今日のアルフレッドは少しおかしい気がする。


でも、どうしておかしいのかは、まったく分からない。



「王宮の外に俺の邸があるから、そこから通っているんだ。ずっとここにいたら、息が詰まるからな」


「え、騎士団の寮じゃなくて……外に、アルフの邸があるの!?」



間借りではなく、マクベリー邸が!?


シルディーヌは飛び上がるほどにびっくりしていた。


若干十九歳の独身の身でありながら、自分の邸を持つなんて、貴族院の貴公子でもなかなかできないことだ。


ついさっき『それだけ?』と思ってしまったのが、申し訳なく思う。



「すごいわ、アルフ!」



胸の前で手を組んで、尊敬の眼差しを向ける。


いたずらばかリして教会の神父さんに叱られていたアルフレッドが、なんて立派になったんだろうか!


幼馴染として、とてもうれしく思う。そのキラキラと輝く翡翠色の瞳を見て、アルフレッドの表情が微妙に柔らかくなった。



「ああ、団長になったときに購入したんだ。優秀な侍女もいるぞ。執事も雇ってある。……だから、いつ邸に来ても、快適に過ごせるぞ」


「え……“優秀な侍女”がいるから、マクベリー邸は快適なの?」


「そうだ。なにもしなくていい。加えて、邸は王宮の近くにある。おまけに商店街も近い。生活するには便利な場所にあるぞ。将来を見据えて、購入を決めたんだ」



アルフレッドは「どうだ? いい条件だろう」と言って、満足げにニヤリと笑う。


立地条件が良く、使用人の体制も整っている邸。


それはとても素晴らしいことだ。


けれどシルディーヌは、王宮の近くで便利云々よりも、“優秀な侍女”という言葉が頭の中でガンガン響いていた。


ここが快適な宮殿でないのは、むさくるしい男の巣窟であり、今までのおざなりな掃除の積み重ねが原因なのだ。


なによりも、アルフレッドが侍女を褒めたのが気に入らない。


アマガエルに似てるだの、サンクスレッドに帰れだの。


シルディーヌは一度も褒められたことがないのにと、ぷっくり膨れる。


にわか侍女だが、プライドはあるのだ。


マクベリー邸の侍女に対し、対抗心がメラメラと燃えあがった。


腰に手を当てて精いっぱい背伸びをし、アルフレッドに目線を近づける。


すると、いつになくたじろいだ様子を見せたから、気持ちに勢いがついた。



「あら、私だってすぐに優秀な侍女になるわ。この宮殿だって、素晴らしく快適な空間にしてみせるもの!」


「あ? なにを言ってるんだ。お前は、ちゃんと俺の話を聞いていたのか?」



アルフレッドは眉間にシワを寄せ、一気に不機嫌極まりない表情になった。



「ええ、しっかり聞いていたわ」



怯むことなく答えるシルディーヌを見、アルフレッドは顎に手を当ててしばらく考える素振りをした。


間もなくして、いっそう低い声で問う。



「それなら、どうして、妙な決意表明になるんだ? 説明してみろ」


「それは……だって、アルフがマクベリー邸の侍女を褒めるんだもの。今はまだ新米だけど、私だってちゃんと仕事ができるわ」


「む……お前は、俺に、認められたいのか?」



アルフレッドの目が少し見開かれ、声が少し柔らかくなった。


手がゆっくりと動いて、シルディーヌの背中に触れるかどうかの位置でぴたりと止まる。


手のひらは握ったり開いたり、近づけたり離れたりと、忙しなく動いている。


だが、気配を殺す優秀な騎士の技により、シルディーヌはまったく気づくことができない。



「ええ、私だって侍女だもの。がんばってお掃除するわ。そうすればこの宮殿だって居心地がよくなると思うの。アルフが邸に帰りたくなくなるほどに」


「ほう……この俺に、そう思わせる自信があるのか? お前が、ひとりでできると言うのか?」



イジワルな笑顔を見せながら、アルフレッドは再びじりっと間合いを詰める。



「もちろんだわ。今にきっと『仕事ができる、大したもんだ』って、認めることになるわ!」


「ふん、それほど言うならば、お前が作る快適空間を見せてもらおうか。まずは、この部屋からやってみろ」


「ええ、やってみせるわ!」



アルフレッドの部屋を快適空間にする決意をし、ぐっと拳を握ってからハッと気づいた。


今日は侍女増員の交渉をするはずだったのに、これでは逆になっている。


売り言葉に買い言葉というべきか、うっかり『ひとりでできるわ!』宣言をしてしまった。


見たこともないマクベリー邸の侍女に対抗意識を燃やした自分を叱りたい気持ちになるが、後悔してももう遅い。


そもそもどうしてあんなにムキになったのか、自分でもよく分からないシルディーヌである。


女の意地かしら?と思いながら、握った拳を見つめていると、アルフレッドが問いかけてきた。



「ところで、執務部屋の掃除はしたのか?」


「あ……まだしてないわ。お掃除道具を探していたら、アルフが帰って来たんだもの。時間がなかったわ」


「まったく、先が思いやられるな。優秀な侍女は、テキパキ仕事をするもんだぞ。俺が来る前に、掃除道具を見つけているだろうな」



アルフレッドは呆れたような声を出すが、「道具はチェストの横にあると」言って、シルディーヌの背後を示す。



「チェストの横?」



その場所を振り返り見ようと動いたシルディーヌの背中に、ポンと、平たいなにかが当たった。


思いもよらずに温かいそれに、ぐっと力が入ったと感じるとともに、アルフレッドの方へ引き寄せられる。



「え? アルフ?」



たくましい胸に頬を押しつけられて、一瞬ぎゅっと抱きしめられるがすぐに解放された。



「午前中はここにいろ。そそっかしく、物を壊すなよ」



ぼそりと言い置いてアルフレッドは執務の部屋へ戻っていく。


パタンと扉が閉まり、残されたシルディーヌには、一瞬抱きしめられた驚きと、注意されてムッとした感情が混在する。


さらに、侍女増員が絶望的になった残念感も加わり、なんとも不可思議な心理状態に陥る。


その悶々とした気持ちを、夢中になって掃除することで、なんとか解消したのだった。



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