騎士団長の怖いもの1
どうしてこう、上手く事が運ばないのか。
黒龍殿に出勤したシルディーヌは、主のいない団長部屋で行き場のなくなった握り拳を持て余していた。
「せっかく、言いたいことをまとめてきたのに、肝心のアルフがいないなんて困るわ」
シルディーヌは、アルフレッドの執務机を手のひらでペシンと叩いた。
団長の部屋は整理整頓されていて、いつ来ても綺麗だ。
書状一枚とて置かれていない机はいつもよりも大きく見え、主が留守であることを妙に主張してくる。
ここに座っているはずのアルフレッドの怖い顔を思い出し、ふと寂しいような気持ちになった。
地の底から響くような声が聞けないのは、なんだか物足りないというか、満たされないというか……。
「ち、違うわ。私ったら、なにを考えているの!」
ハッと顔を上げて、慌てて首を横に振って否定する。
これは予定が狂って意気消沈したせいで、断じて、会えなくて寂しいからではない。
「そうよ、拍子抜けしただけだわ!」
今日は朝一番に侍女長を尋ね、南宮殿の侍女増員をお願いしてきたのだが、結果としては撃沈だった。
『南宮殿の人事は、侍女長には一切の権限がありません』
仕事の現状を話して願い出るシルディーヌに、侍女長は気の毒がることもなく、あっさりきっぱりと言ったのだった。
南宮殿の使用人立ち入り禁止は、貴族院の議会を通して正式に解除されたものではないため、侍女長には人を動かすことができないという話だった。
そこでシルディーヌは不思議に思ったのだ。
ならばどうして、シルディーヌがあっさり配属されたのかと。
議会を無視できるほどに、黒龍騎士団の団長の力は強いものなんだろうか?
『あの、侍女長さま。議会の了承がないなら、一人たりとも立ち入ってはいけないんじゃないでしょうか? 騎士団長が独断していいものなんですか?』
首を傾げて問いかけると、侍女長は首を大きく横に振って、執務机の横にあるチェストの引き出しを開けた。
『今回の件は、王太子殿下からの承認があって、動いたものです』
侍女長は、これをご覧なさいと言って、一枚の書状を出して示した。
良質な薄紫色の台紙に貼られたそれには、侍女一名のみ使用人として南宮殿に立ち入ることを許可する旨が書かれてあり、フューリ殿下の印璽とサインがあった。
これは正式な王太子令であると、政治云々に明るくないシルディーヌにも分かった。
議会を通さずに王宮内の規則を曲げられるのは、国王陛下かそれに準ずる地位である王太子殿下のみらしい。
シルディーヌが黒龍殿の配属になったのは、まさに特例中の特例のよう。
まさか王太子殿下が関わっているとは思わず、一筋縄ではいかないお話で、シルディーヌは驚きを隠せなかった。
これでは侍女増員は望めないと、がっくりと肩を落とし、握っていた拳を開いてため息をついた。
『シルディーヌ・メロウ。気を落とすことはありません。どうしても増員を望むのなら、交渉してみるといいでしょう。あなたが頼めば、鬼神と呼ばれる鉄の心を持つ騎士団長でも、心を動かし、人事の検討をしていただけるかもしれません』
侍女長はシルディーヌを激励するように、わずかに微笑んだ。
今は一名のみの許可だが、南宮殿の管理者である騎士団長がもっと人数が必要だと実感すれば、人が増える可能性があると侍女長は言った。
ならば、アルフレッドに直接交渉するしかない。
以前食堂などの汚さを訴えたときは、反対に仕事の厳しさを説かれたが、今回の交渉はまったく質が違うのだ。
うまく頼めば増員してもらえるかもしれない!
侍女長の言葉で再び気持ちを奮い立たせたシルディーヌは、改めて拳を握りしめて侍女長室を辞したのだった。
そして頭の中で言いたいことを整理しつつ、意気揚々と朝の挨拶に来たわけだが……まさかいないとは……。
遅刻かしら?と考えて、ふと思う。
そういえば、アルフレッドはどこに住んでいるんだろうかと。
騎士団員にも王宮内に専用の寮があると聞いているが、アルフレッドもそこで生活をしているんだろうか。
騎士団長の仕事は多忙そうだから、疲れていてまだ寝ているのかもしれない。
いわゆる、寝坊だ。
だが、あのアルフレッドが寝過ごすことなどないと思いなおす。
いついかなるときも、しゃっきり一番に起きて、寝ている団員を蹴り飛ばして起こしそうなのだ。
きっと、ほかに用事ができたのだろう。
いないならば、ここでぼんやりしていても仕方がない。
シルディーヌは今日の仕事を開始するべく、部屋の入り口近くの壁に視線を移した。
そこには清掃スケジュールが貼られている。
シルディーヌが配属初日に提出したスケジュールに対し、アルフレッドが細かく手を入れたものだ。
『お前の、へなちょこな腕に合わせてある。だいたいこの通りに仕事をしろ』
へなちょこと言われて少しムッとしたが、新米侍女なのでなにも言い返せなかった。
かなり時間的な余裕を持って組まれていて、アルフレッドなりの気遣いがみえる。
そう、ひとりでも大丈夫なように……。
「う……なんだか、なにを言われるか想像できるわ」
お前はこの程度をこなせんのか?とか。
できないならサンクスレッドに帰れ!とか。
青い瞳に冷徹な光を宿して、イジワルく言うのだ。
これを見る限り、アルフレッドに交渉をしても無駄に思えてくる。
やっぱり増員は無理かもしれない。
まだ諦めてはいないが、握っていた拳は、すっかり力を失くしてしまっていた。
ふぅっとため息をつく。
と、部屋の扉が勢いよく開いて全身真っ黒な人が飛び込んで来たから、驚きのあまりにシルディーヌの全身が跳ねあがった。
何事かと思いきや、その人は息を切らした状態で部屋を見回して、隅っこにいるシルディーヌに気づくとホッとしたような笑顔を見せた。
「シルディーヌさん! よかった。まだここにいたんですね。おはようございます!」
「え、あ……フリードさん……おはようございます」
「ああ、なんてことだ。シルディーヌさん、俺を見たときのガッカリ感が半端じゃないですね。団長でなくて、どうもすみません」
フリードは心底すまなそうに眉を下げるので、シルディーヌはドキドキしている胸をなだめながら首を横に振った。
変な勘違いをしてもらっては困る。
「違うわ。これは残念とかじゃなくて、びっくりしただけです。あの、すごく慌ててますけど、もしかして事件があったんですか? アルフはどこに……?」
「団長は野暮用がありまして、朝一で国家警備隊のところに行っています」
「……野暮用って?」
「はい。手に負えない犯罪者がいるからここに連れてくると、あちらから連絡がありまして。なかなか自白しないそうで、団長の手を借りたいと申し出があったんです」
「え、ここに怖い人が来るんですか? アルフが連れてくるんですか?」
「いえ、今回は団長が出向いていますから、ここには来ません。ですから、団長が戻られるまで、シルディーヌさんはこの部屋の清掃をしているようにと、言付かっています」
「この部屋を? 軍の機密書類があるのに、私が掃除してもいいのかしら?」
忘れもしない初仕事の日。間違えてここに入ってしまい、スパイ容疑をかけられたのだ。
剣を向けられたことは、今思い出しても震えてしまう。
この部屋と副団長の部屋は、清掃スケジュールから外されている。
もしも、うっかりなにかを壊したり失くしたら、困るのはシルディーヌだけではない。
どうして急にスケジュール変更させるのか、謎過ぎて、どうにも腑に落ちない。
「やっぱり予定通り、入り口周りの掃き掃除と、廊下のモップがけをするわ。なにかあれば大変だもの」
「いいえ! 団長は、シルディーヌさんにできないことは命じません。どうか、この部屋をお願いします。でなければ、俺が団長に叱られますから」
フリードは必死な形相で腕を広げて、部屋を出ようとするシルディーヌを止める。
「本当に、いいのかしら?」
「はい。不安なら、なにも触らずに、ソファに座って待っていても構いませんから。団長が戻られるまでの間です」
フリードは、とにかくこの部屋から出るのは止めてほしいと言う。
そうさせる理由は、フリードに聞いてもなにも言わない。
それどころか、自分でお気づきくださいと言う。
シルディーヌは頭の中に大きな疑問符を浮かべつつも、フリードの言葉に従うことにした。
かといって、ソファに座って待っているわけにもいかないが。
「分かったわ。アルフをここで待っていればいいのね?」
フリードが出て行き、シルディーヌは改めて団長部屋の中を見回した。
アルフレッドがマメに掃除をしているようで、隅っこにも埃がない。
先日のように王太子殿下が急に訪ねて来られても、すぐに部屋に通せるよう、常に綺麗にしているのだろう。
シルディーヌがすることは少ないように思う。
それでも、とりあえず掃除道具がなければなにもできないので、ありかを探すことにする。
王宮内の道具置き場は決まっていて、どの宮殿でも正面入り口から入って右奥の小部屋にあるものだ。
だが、この部屋にはどこにあるのか。そもそも道具が置いてあるのか。
窓に背を向けて置かれた執務机、壁にずらりと並ぶ書棚、タイルの意匠がほどこされた暖炉、シンプルだが品のある応接セット。どこにも置き場らしきものがない。
だが応接セットの向こうの壁に、扉がひとつあるのに気づいた。
ツタの葉の文様が浮き彫りされた、割と高級な白い扉だ。
「あれは、書庫かしら? あの中に、お掃除道具があるかもしれないわ」
大事な場所ならば、鍵がかかっているかもしれない。
そう思いながら、シルディーヌが扉の取っ手を握ってみると、意外にも簡単に開いた。
「え……ここは……」
中は書庫でも物置でもなく、普通の部屋だった。
背の高いアルフレッドがふたりほど眠れそうな大きさのベッドがあり、テーブルセットやチェストなどの調度品もあって、シルディーヌの寮部屋よりも広い。
ベッドのシーツは乱れておらず、まるで生活感がないが、団服の上着らしきものがひじ掛け椅子の背もたれにかけてある。
「アルフは、寮じゃなくて、ここに住んでいるの?」
首を傾げると、背後で扉がパタンと閉まる音がした。