黒龍殿の紅一点1
宮殿内の立ち入り可能な部屋を見て回り、フリードに協力してもらってなんとか清掃スケジュールを決めたシルディーヌは、団長部屋に来ていた。
外はもう日が傾き、窓から差し込んだ夕日が部屋の中を橙色に染めている。
アルフレッドは、書物を棚に戻しているところだった。
プラチナブロンドの髪が橙に染まっていて、なんだか別人に思える。
「……今度はなんだ? 膨れたアマガエルぶりは、朝よりひどいぞ」
アルフレッドは、シルディーヌの顔を見るなり眉間にシワを寄せる。
たいそう不機嫌そうだが話は聞いてくれるらしく、ソファに座るよう顎で促した。
シルディーヌは向かい合って座りざまに、握っていた拳を開いて、前にあるローテーブルをバシッと叩いて身を乗り出す。
アルフレッドは怯むかと思ったがそんなことはなく、眉ひとつ動かさずにシルディーヌを見ている。
しばらく睨み合うも、アルフレッドの無言の圧力に襲われ、勢い込んで言うつもりが消沈してしまう。
だが、ここで引き下がるわけにいかない。
ガタイのいい屈強の男ばかりいる宮殿は、女性にとってどれだけむさくるしいか。
アルフレッドにしっかり伝えると決めたのだから。
「私が膨れているのは、全部アルフのせいよ」
「ワケを言ってみろ。朝と同じことなら聞かないぞ」
「全然同じじゃないわ! 進化してるもの!」
シルディーヌは、まず食堂の汚さを切々と語る。
いろんなものが出しっぱなし置きっぱなしで、どれが誰のものか分からない。
捨てていいのか、残しておくのか。
まるで物置部屋のようで、物を動かしたら、ネズミやガサガサと動く黒いあいつが出そうで怖い。
……などなど、ひとりで掃除するのは大変だと訴えた。
しばらく黙って聞いていたアルフレッドは、ゆっくり口を開く。
「ふん、お前は、甘いな。仕事は厳しいもんだ。侍女として掃除ひとつできないなら、サンクスレッドに帰るんだな」
「イヤよ! 絶対帰らないわ。アルフはワケを知っているでしょう?」
「それなら、どんな仕事でも頑張るしかないだろう。仕事は、お前のためにあるものじゃない。仕事があるから、お前が必要なんだぞ。勘違いするな」
「そ、それは……そう……」
アルフレッドの言うことはもっともで、シルディーヌは反論できない。
子爵の令嬢でこれと言った苦労もしていなく、したと言えばイジワルアルフの標的になったことくらい。
確かに考えが甘いのだ。
「……ごめんなさい。アルフの言う通りだわ。お掃除頑張る。仕事だもの。でも、アルフに文句は言ってもいいでしょう?」
しゅんとしつつも上目遣いにすると、アルフレッドは口を押さえてふいっと横を向き、もごもごと言った。
「仕方がないから、聞いてやる」
なんだか、アルフレッドの様子がおかしい気がする。
「アルフ?」
シルディーヌが顔を覗き込もうとすると、アルフレッドは「ただし愚痴は言うな」ときっぱり言って向きなおり、肘掛けに頬杖をついた。
もういつものワイバーンなアルフレッドで、顔が赤く見えたのは錯覚だったよう。
「……それで? 全部俺のせいだと言っていたが、話は終わりなのか」
「ううん、まだあるわ」
シルディーヌはアクトラスにスパイと間違えられた話を始める。
口を塞がれて苦しかったこと。
ひょいっと担がれて尋問部屋に連れていかれそうになったこと。
それらを詳細に語ると、アルフレッドの機嫌がどんどん悪くなっていった。
「……で、その、お前を担いだ騎士は誰だ」
声にトゲがあり、シルディーヌはたじろいでしまう。
どうしてそんなに怒っているのか、分からない。
「えっと、フリードさんは、アクトラスと呼んでいたわ。すぐに下してくれて、謝ってくれたけれど、そのおかげで変な誤解をされちゃったの」
「ほう……アクトラスか。三番隊の隊長だな……」
この話のメインは、アルフレッドが侍女が来る話をしておかなかったことと、妙な誤解を生んでしまったことだ。
しかし、その肝心な部分をあまり聞いていていなく、顎をさすってなにかほかのことを考えている様子だ。
「ねえ、アルフ。聞いてるの?」
「……なんだ、ちゃんと聞いてるぞ」
アルフレッドは顎を擦りながらもシルディーヌに目を向けた。
声は、届いていたようだ。
「えっと。だからね、団長のものとか大事なお方っていう誤解を解いてほしいって、言ってるの。明日にでもみんなを集めて、違うって宣言してほしいわ」
「ほう……誤解を解いてもいいのか?」
「どうして? そんな噂が広まったら、アルフだって迷惑でしょ? 私は困るわ」
シルディーヌは胸の前で手を組み、アルフレッドによく伝わるよう大いに困って見せた。
するとアルフレッドは舌打ちをし、立ち上がって移動してくる。
シルディーヌはその様子を不思議そうに見上げた。
どうしてこちらに来るのだろうか?
背の高い体が目の前に来て見下されると、それだけで威圧感がある。
本能的に危機を感じて逃げようとすると、すぐわきの背もたれにアルフレッドの手が置かれ、退路を断たれてしまった。
恐る恐る見上げれば、唇は弧を描いているが目はちっとも笑っていない、黒い笑顔があった。
「お前は、分かってるのか?」
「え?」
「ここは、男ばかりだぞ」
「そんなこと、アルフに言われなくても分かってるわ。さっきも、さんざん訴えたでしょう?」
「いや、お前は、全然、分かってないぞ。男ばかりの怖さを」
アルフレッドが隣に座り、え?と思う間もなく腕を取られて抱き寄せられ、シルディーヌは身動きができなくなった。
「団員は紳士ばかりじゃないんだ。もしもこうされたらどうする?」
どうすると聞かれても咄嗟になにもできず、うろたえるばかりだ。
頑張って胸を押してみるが、腕が緩む気配がない。
「どうだ。男の力は強いだろう」
ピンクブロンドの髪にアルフレッドの息がかかり、それがとても熱い気がする。
胸の鼓動が聞こえそうなほどに密着していて、シルディーヌの胸が高鳴り始めた。
動こうとすればさらに強く抱きしめられ、囁くように問いかけてくる。
「抜け出せないだろ? さらに、こうされるかもしれないぞ?」
顎に触れてきた指先に上を向かせられ、視界のすべてがアルフレッドで埋まった。
顔がすごく近い。見つめてくる夏空のように青い瞳は、さっきまでよりも優しく見えて、シルディーヌの胸がとくんと鳴る。
アルフレッドは親指でシルディーヌの唇にそっと触れながら、耳に唇を寄せてきた。
「お前は、無防備すぎる」
そう囁いて抱く腕を締めるから、胸が苦しくなってきた。
室内鍛練場の壁を粉々にした力が体を襲っている。
三度命の危機を感じて、なんとか声を絞り出して訴えた。
「ま、待って。アルフ、息ができないわ」
「危ないと分かったか。俺の女ということなら、団員らは手出ししないぜ。どうする?」
「わ、分かったわ。しばらく否定しないでくださいっ」
「いいんだな?」
シルディーヌが何度もうなずくと、ようやく解放された。
危機から脱し心底から安堵していると、アルフレッドは向かい側のソファに戻り、スッと手を出した。
「なに? 握手するの?」
「違う。清掃スケジュールを出せ」
「あ、そうよね。すっかり忘れていたわ」
シルディーヌはエプロンのボケットを探り、スケジュール表を出した。
窓の外を見れば、もうすっかり日が落ちていた。




