王宮生活は前途多難2
「わあ! すごく広いんですね!」
「はい。全団員が暴れまわっても、余裕で稽古ができる広さです」
まず最初に来たのは、一階にある室内鍛錬場。
一階フロアの半分以上を占めるほどの広さがあり、団員たちは毎日ここで剣と体技の訓練をするとフリードは言う。
壁も床も板張りで、上部に明り取りの窓があるだけ。
宮殿内とは思えないほど、シンプルな造りだ。
床にも壁にも剣が刺さったような傷がたくさんあって、かなり激しい練習をしているのが想像できる。
壁に一か所だけ新しい板がはめ込まれている部分を見つけ、シルディーヌはそこを指さしてフリードに尋ねた。
「あそこだけ、修理がしてあるんですね?」
「ああ、あれは、団長が着任した当初に大穴を開けてしまった部分です。最近になってやっと修理させたところですよ」
「へ!? アルフが開けたんですか?」
修復部分は大体人ひとり分くらいの大きさがある。
棒みたいなもので、うっかり穴を開けちゃった!というレベルではない。
なにをしたらあんな大穴が開くのだろう。
「はい。黒龍騎士団は、性格の荒い者が多いですから、仕方ありませんね」
「フリードさん。それ、全然答えになってません」
「ああそうですよね……すみません。でも、これをシルディーヌさんに言ってもいいものか……怖がらせてしまうかもしれません」
「そんな中途半端じゃ、かえって気になるわ。なにを聞いても驚かないので、教えてください」
フリードは悩むような仕草をした後、自分が言ったと言わないでくださいと念を押したので、シルディーヌは大きくうなずいた。
「団長はまだ若いですから、バカにする団員もいまして、着任された当初は命令を聞かない連中が多かったんです」
「でも、アルフは多くの騎士たちの中から抜擢されたんでしょう? 敵を完膚なきまでに叩きのめす力とかで。バカにするなんて、おかしいわ」
「はい、その通り。しかも団長はそれだけではないです。頭脳明晰なところも評価されて、団長に任命されたんです。それを面白くないと思う連中がいるものでして。団長はそいつらをここに集めたんです」
言うことを聞かないから集めるのも大変で、当時から副団長であるフリードが手伝ったという。
「それで……アルフはなにをしたんですか?」
「全部で五十人くらいはいたでしょうか。そいつらをご自分の周りに取り囲ませて、『まとめて俺にかかってこい。俺が勝ったら、何事も問答無用で俺の指示に従え』と言ったんです。それで、かかって来た屈強の騎士たちを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ続け……疲れて倒すのを諦めた騎士たちは、やがてかかって来なくなりました」
「はあ……じゃあ、その、ちぎって投げた騎士たちがあの壁にぶつかり続けて……それで、穴が開いたんですか?」
同じところに投げ続けるのは、至難の業ではないだろうか。
玉投げだって、的に当てるのは難しいのに。
「いえ、違います。団長は、最後に、あの壁の部分を、素手でべこべこの粉々に壊して見せたんです。疲れ知らずで、それはもう、まさに鬼神のような凄まじさでした」
「素手で!?……実は、丈夫そうに見えても、簡単に壊せたりします?」
「とんでもありません! ここに使われている木は、安物じゃありません。激しい鍛錬に耐えられるよう鋼のように丈夫なものが使われているんです。大砲ならば簡単に壊せるでしょうが」
シルディーヌは呆気に取られてしまい、声も出ない。
それが本当ならば、アルフレッドの拳は大砲並みということになる。
鬼神の異名は伊達ではない。
「団員一の力自慢でもここの壁は壊せませんでしたから、相当のものです」
「試した人がいたんですね……」
「それ以来、団長に逆らう者は誰ひとりいません」
それはそうだろう。もしも逆らうならば、死を覚悟しなければならないレベルだ。
「それから半年ほど経った今は、戦略の立て方の素晴らしさや人となりを知り、心から団長を尊敬している者ばかりです。だから、シルディーヌさんは、どうぞ安心してください!」
フリードは、手を握らんばかりの勢いで懇願するように言う。
その黒曜石のような瞳はシルディーヌをひたと見つめていて、返事をするまで動きそうにない。
安心とは、なにに対して?
いまいち意味が分からないまま、戸惑いつつも頷いて見せたのだった。
次に行ったのは、入り口近くにある守衛室。
ここにも誰もおらず、簡素な机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。
フリードは、宮殿の警備は団員が交代制で行うが、真面目に任務をする者は少ないという。
それは、『立ち入り禁止』であることと『黒龍殿は恐ろしいところ』ということが周知の事実なため、誰も宮殿に近づく者がいないかららしい。
一日中ぼんやり立っているのは、行動的な騎士団員にとっては、拷問に値する苦行なのだそう。
「あの、本当に、誰も、来ないんですか? ほかの宮殿と間違えてきたりとか……そんなことも?」
シルディーヌがおずおずと尋ねれば、フリードはアハハと笑った。
「そんな、そそっかしいお方はいませんね。黒龍殿の屋根には青地に黒龍の団旗が掲げてありますから、間違えようがありません。ネズミ一匹たりと近づきませんよ」
「……はあ、旗が……そう。そうですよね」
「そもそも侍従侍女の立ち入りを禁じたのは、昔戦争していた当時のことに起因しています。戦況が厳しくて団員たちがピリピリし、誰彼構わずに剣を向けてしまう者がいたためなんです。実際命を失くした侍従や侍女もいたと聞いていますから、相当ひどい有り様だったのでしょう。その過去もあって、ここに近づく者はいません」
警備の必要はほぼありませんと言って、にっこりと笑うフリードに対してシルディーヌは乾いた笑顔を返しておいた。
屋根に旗なんかあったかしら?と、外観を思い出してみるが、ぼんやりとしていてよくわからない。
こんなシルディーヌのようなうっかりさんがいるのだから、油断は大敵だと思うのだが、平和になった今は立ち入り禁止の意味が薄れているのだろう。
アルフレッドに剣を向けられたあの時、シルディーヌはしっかり命の危機を感じたのだが……。
「団長が着任する前は、“必要なし”と、入り口警備は任務から外されていたんです。急に復活したために、余計に苦行となっています」
そう言ってフリードは苦笑いをする。
「でもでもフリードさんっ、そうは言っても、油断大敵なんです! しっかり警備するべきです! いつ何時スパイが来るか分からないもの!」
胸の前で手を組んで力説するシルディーヌを見、フリードは一瞬目を丸くしたが、すぐに感心する様に何度もうなずいた。
「うーん、さすがシルディーヌさんですね。団長と同じ事を言います。そうなんです。確かにスパイが来るかもしれない。だから団長は、この先団員以外の守衛をおくことを考えているようです」
それはよかったとシルディーヌはホッとするが、フリードの言葉のところどころに違和感を覚えてしまう。
それがどこで、どうしてなのかは不明で、ただ首を傾げるばかりであった。
次は入り口から右側の部分、室内鍛錬場の隣にある部屋に移動する。
ここも大きな部屋のようで、両開きの扉がひとつあるだけだ。
「ここが、団員たちの食堂兼休憩室です。ああ……ここは……そうですね、ちょっと中を確認してきます。シルディーヌさんは、廊下で待っててください」
いいですね?と言うフリードの黒曜石の瞳がチカッと光った。
それは少し攻撃的なもので、有無を言わせない迫力がある。
穏やかで真面目そうな騎士の顔から、黒龍の副団長のそれになっている感じだ。
「フリードさん。中に、なにかあるんですか?」
見られてはまずい物とか、危険な物とか。もしくは人か。
だがフリードは、質問には答えずに扉に手をかけたので、シルディーヌは、扉が開いた瞬間を狙って部屋の中を覗こうと、精いっぱいの背伸びを試みる。
だが、さすが黒龍騎士団の副団長と言うべきか、目にも留まらぬ動作で扉を開け閉めして中に入られ、チラリとも見えなかった。
廊下に取り残され、ポツンと佇んでいたが、扉に耳を当てて中の様子を探ることにする。
部屋の中からは、ガタガタと物を動かすような音が聞こえてくる。
数人が怒鳴るような声もし、シルディーヌはこくんと息をのんだ。
「いったい、なにが行われているのかしら」
ますます扉に耳をくっつけ、中の音を真剣に聞くシルディーヌ。
その華奢な体が、背後から伸びて来た手によって、ぺりっと扉からはがされた。
叫ぶ間もなく大きな手のひらで口がふさがれてしまい、がっしりとした腕に体を拘束されて身動きひとつとれない。
その万力のような力の持ち主の声が頭の上から降って来た。
「侍女がここでなにをやってる。立ち入り禁止だぞ。スパイか?」
「ひ、ひがひがふっ」
口だけでなく鼻までも塞がれていて、息苦しさに眩暈がする。
再び命の危機を感じ、シルディーヌは騎士であろう男の手の甲を爪でガリガリとひっかいた。
「イテテテテ! こいつ、抵抗するな!」
おかげで男の腕が緩んだので、シルディーヌは逃れようとしてバタバタと必死でもがく。
すると男の手に再び力が入り、あろうことか、よいせっと肩に担がれてしまった。
「よし、俺が尋問してやる。女は久しぶりだ。たっぷり、時間をかけるかな」
「は!? ちょっ……離して! 違うの!」
男はやけにうれしそうな感じで、シルディーヌはパニックになり、まともに反論できない。
「待って、ってば」
手足をばたつかせると、ますます拘束が強くなる。
食堂の扉がどんどん遠ざかっていき、助けを求めようにも、担がれているおかげでお腹が圧迫されており上手く声が出ない。
尋問って、どの部屋でするのか。
フリードはすぐに居場所を突き止めてくれるのか。
焦っていると食堂の扉が開き始め、フリードが姿を現した。
その全身真っ黒い姿がやけに神々しく見える。
「フリードさんっ、助けてっ」
「シ、シルディーヌさん!?」
一瞬ぎょっとしたフリードはすぐに気を取り直し、慌てて駆け寄ってくる。
「待て! アクトラス! どこへ連れて行く気だ。その人は、団長のものだぞ!!」
「へ!?」
「なに!?」
シルディーヌの間抜けな声とアクトラスの声が重なった。
アクトラスはぴたりと止まって、素っ頓狂な声を上げる。
「団長のものって。副団長、マジですか!?」
「ああ、だから下せ。今すぐ下せ。さっさと下せ」
フリードは早口で三回も下せと言い、アクトラスに“お前は大変なことをしているんだぞ”と伝えている。
そのおかげか、シルディーヌは壊れ物を扱うがごとくそっと下ろされた。
そしてアクトラスは、ビシッと敬礼をする。
「なにも知らなかったとはいえ、大変失礼しました! 大事なお方を犯罪者扱いしたこと、許してください!」
そのクマのような大きな体をシルディーヌは見上げる。
顔色は青くて口を真一文字にしており、額には汗が滲んでいるよう。
こんなクマのように強そうな騎士が、おびえたうさぎのような瞳をしているとは。
やっぱりアルフレッドは、とても怖い存在なのだと分かる。
だが、“団長のもの”とか“大事なお方”とか。
どうしてそんなふうに思われているのか不思議でならない。
大事なお方に『アマガエルに似ている』などと暴言を吐く男性がどこにいるだろう。
誤解はしっかり解いておかねば。
「はじめまして。私は、シルディーヌ・メロウと申します。この宮殿のお掃除を担当する侍女です。決して、団長のものとか、大事なお方とかではありません。ただの侍女です。よろしくお願いします」
子爵令嬢らしく、紺色のお仕着せの裾を少し持ち上げて丁寧に挨拶をする。
特に“ただの侍女”の部分に、力を込めて言ったつもりだ。
アクトラスは安堵してくれるだろうと思ったが、予想外の反応が返って来た。
「はっ、ただの侍女……そういう設定ですか! 了解いたしました!!」
そう言って再びビシッと敬礼をする。
「……設定って?」
シルディーヌは首を傾げた。
なんだかきちんと伝わっていないみたい?
そう思いつつフリードの方に視線を移せば、なにやら訳知り顔でうなずいていた。
「あの、フリードさん? 私は、ただの侍女ですよ?」
念を押すようにすると、フリードは思い出したように「ああ、そうでしたね」とポンと手を打った。
「シルディーヌさん、食堂の中を案内します。行きましょう」
シルディーヌはモヤモヤとした気分を抱えつつも、先導するフリードの後を追う。
その後ろから、アクトラスもついてきた。
「お前ら、いいか。入るぞ」
フリードがひと声かけて入った食堂の中は、広さは十分あるが雑然としていた。
おそらく室内鍛錬場の半分ほどの大きさだろうか。
六人掛けのテーブルセットは一応整然と並んでいるものの、団服の上着らしきものが無造作に椅子に掛けてあったり、テーブルの上に丸めてあったりする。
朝食のものであろう食器がテーブルの隅に積み上げてあり、娯楽用の書物らしきものが数冊床に落ちていた。
入り口近くからパッと見ただけだが、随分長い間掃除をしていないだろうと思われる。
まさに男の住処という感じで散らかっていて、むさくるしいことこの上ない。
生まれてこの方こんな荒れた部屋は見たことがなく、子爵のご令嬢であるにわか侍女のシルディーヌは、逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
ここをひとりで清掃すると思えばうんざりする。
これは、アルフレッドに恨み言のひとつでも言わないと気が済まない。
シルディーヌは、顔を見たら一も二もなく文句を言うことに決め、密かに拳を握りしめた。
「すみません、これでも少し片付けたんですが……」
フリードは申し訳なさそうに頭を掻くから、シルディーヌはがっくりと肩を落とす。
さっき聞こえてきていた物音や怒鳴り声は、片付け中のものだったと判明したのだ。
片付けて、この状態とは……ショック過ぎる。
団員は窓の方で一列に並んでおり、シルディーヌのことをじろじろ眺めていた。
「基本的に団員はここで食事をし、出動するまで控えています。今ここには七十名ほどがいますが、みんな細々とした任務がありますので、午後にはほとんどいなくなりますよ」
フリードが説明してくれる間も注がれる団員からの無言の視線は、言いようのない圧迫感を与えられる。
荒くれ者の多い黒龍騎士団員たち。
ひとことも発しないので、なにを考えているのか分からず、たいそう不気味だ。
それに、今まで会った騎士の反応から察するに、アルフレッドは清掃担当の侍女が来ることを説明していないと思われる。
フリードだって、片付けさせるのに精いっぱいで、きちんと説明したのか怪しいものだ。
今食堂の中にいる団員は、侍女がここに来たことを訝しんでいるかもしれない。
そう思えば、この視線の痛さを納得できた。
シルディーヌは、とりあえず挨拶をすることに決め、居並ぶ団員の方を向き、引きつりながらも精いっぱいの笑顔を見せる。
「はじめまして、みなさん。私はシルディーヌ・メロウと申します。今日からこの宮殿の清掃担当となりました。よろしくお願いします」
団員の間から「清掃担当?」「なんだ、団長の女じゃないのか?」「へえ、見学じゃないんだ」などのささやき声が上がった。
張り詰めていた場の空気が少し和んだように感じ、シルディーヌがホッと胸をなでおろした、そのときだった。
ふっと視界に影ができ、不思議に思ったシルディーヌが見上げると、アクトラスが斜め前に立っていた。
片手を腰に当て、もう片方の手はシルディーヌを示している。
「いいか、お前ら。このシルディーヌさんはただの侍女だが、実は団長の大事なお方でもあるんだぞ。ちゃんと挨拶をしろ。そんで、シルディーヌさんの言うことを聞けよ。よし……敬礼!」
アクトラスの号令で、団員はいっせいにダン!と床を鳴らして姿勢を正し、ビシッと敬礼をする。
「了解! シルディーヌさん、よろしくお願いします!」
床を踏み鳴らした影響と団員の声の大きさとで、窓がビリビリと揺れる。
その迫力に圧倒されてしまい、シルディーヌは目が回りそうになる。
侍女が来たことを喜んだり、団長に女ができたと喜んだり、団員同士で異常な盛り上がりを見せていて、まるで宮殿全体が揺れているよう。
このままでは、“団長のもの”だの“大事なお方”だのと噂が広まっていき、婿探しに多大な影響を及ぼすことは間違いない。
だが、否定の声は一切届きそうになく……。
こうなれば、アルフレッド本人から否定してもらうのが一番だ。
そうだ、団員が集まったときに、ひとこと『違う』と言ってもらえれば済む。簡単なことだ。
シルディーヌは、アルフレッドの不機嫌そうな顔を思い浮かべ、再び拳を握りしめたのだった。