王宮生活は前途多難1
王宮侍女の朝は早い。
日が昇るのとほぼ同時に起きて、身支度を整えて朝食を済ませていなけらばならない。
王族の方や貴族院の方々が活動を始める頃には、傍で控えていなければいけないからだ。
侍女でこうなのだから、朝食を用意する厨房などは日が昇る前に起きているだろう。
昼夜交代制とは聞くが、大変な仕事だと思う。
そう思えば、焼き立てのパンを口にするにも、自然に感謝の気持ちがわいてくる。
サンクスレッドでのほほんと暮らしていたときは、そんなこと思いもしなかったこと。
ベーコン入りのスクランブルエッグにボイルキャベツとミルク。
いつもの侍女仲間と一緒にありがたく食べて、侍女長のところまで朝の挨拶に向かう。
まだ新米で正式に配属先が決まっていないので、今日の仕事内容を確認するためである。
本宮殿の一階隅にある執務室に伺うと、侍女長はすでに机に向かって書き物をしていた。
シルディーヌたちが挨拶をすると、侍女長はすくっと立ち上がった。
おくれ毛ひとつなくひっつめた髪は少し白髪が混じっているが、歳は四十半ばで未婚。
もともと伯爵令嬢だったが、王宮での侍女生活が性に合っていたためにずっと留まっていると自己紹介されている。
ビシッと姿勢正しくて威厳があり、シルディーヌたちも身を引き締めた。
「今日は、正式な配属先を申し渡します」
侍女長は、名を呼んで配属先を告げたあと、小さな書状を渡していく。
みんな昨日仕事をした場所が告げられているから、シルディーヌも西宮殿に配属されるはず。
いや西宮殿では仕事をしていないが多分きっとそうなる、と思っていたのだが……。
「シルディーヌ・メロウ。あなたは南宮殿です。アルフレッド・マクベリーさまに指示を仰ぎなさい」
「……え?」
耳にした瞬間にシルディーヌはカチンと固まった。
侍従でも先輩侍女でもなく、何故にアルフレッドのもとで働くことになるのだろう?
「まあ、南宮殿って『黒龍殿』ですわ」
キャンディが気の毒そうな声を出す。
すると、ペペロネが一歩前に出た。
「侍女長さま。質問があります」
「はい、ペペロネ、なんでしょう」
「南宮殿といえば、立ち入り禁止ではないのですか? 侍女侍従ともに、誰も立ち入ってはいけないと聞いています。どうして、シルディーヌが配属になるのでしょうか」
シルディーヌの気持ちやみんなの疑問を代弁する様に侍女長に尋ねてくれる。
侍女長は一歩前に出ているペペロネを下がらせると、ちらりとシルディーヌの方を見た。
「確かに南宮殿は立ち入り禁止です。ですが、宮殿内の清掃をする侍女がひとりほしいと、昨日マクベリー団長から希望がありました」
まあ、団長が自らいらしたの?と、囁きあうような声が上がる。
「さらに、新米の侍女を希望されました。あなたたちは、昨日の時点ですでに各担当長から合格のサインをもらっていますので、動かせません。ですが、シルディーヌは動かせる状態にあるということです。以上です」
これ以上は問答無用とばかりにきっぱりと言い、侍女長はシルディーヌに小さな書状を差し出した。
それを受け取ったシルディーヌは、書かれてある文字を眺める。
配属先が書いてあり、担当長の欄にはアルフレッドのサインがしっかりと記されていた。
「さあ、仕事を開始してください。しっかり、頼みましたよ」
侍女長のひと言で、それぞれの配属先に向かう。
みんなが軽い足取りで行く中、シルディーヌは重い足取りで黒龍殿へと向かった。
まもなくたどり着いた黒龍殿は、昨日とは違う様相を呈していた。
まず、正面入り口に団服を着た騎士が三人立っている。
入り口は階段を五段ほど上がった高さにあるが、三人の内ふたりは両サイドで背を壁に預けたような格好でいる。
なんだか不貞腐れているような感じに見える。
そしてもうひとりはほぼ真ん中で直立不動の姿勢でおり、近づいて行くシルディーヌに気づいたようで、階段を駆け下りて来た。
「侍女のシルディーヌ・メロウさんですね?」
「……はい、そうですが」
丁寧な口調に戸惑うシルディーヌに、騎士は胸に手を当ててスッと頭を下げた。
ナダールでの紳士が目上の者に対して行う挨拶で、シルディーヌも慌てて礼をとった。
「私は黒龍騎士団の副団長を務めているフリード・ラッセルと申します。団長が上でお待ちです」
フリードはアルフレッドに負けないくらい背が高く、黒い髪に黒い瞳でかなりの美丈夫だ。
立ち居振る舞いもスマートで、おそらく貴族騎士だろうと思われる。
昨夜ペペロネが言っていた、騎士団員は荒くれ者ばかりじゃないというのは本当らしい。
入り口のホールには、帯剣している数人の騎士がいた。
今から出掛けるところなのか、外套を着て何やら話をしている。
フリードと一緒にいるシルディーヌを認めると、きょとんとした表情で互いに顔を見合わせたあと近づいてきた。
「副団長、その子はどうしたんです?」
「どこで捕まえてきたんすかあ?」
「尋問なら、俺、手伝いますよ!」
さすが騎士たちと言うべきか、動きが素早く、シルディーヌはあっという間に囲まれてしまった。
アルフレッドほど巨大ではないがガタイのいい男たちで、かなりむさくるしい。
「お前らは寄るな。この方は犯罪者じゃない、団長の客だぞ」
「げげ、団長の!? マジ?」
「へえ、女の客とは珍しいっすね」
「副団長、もしかして、団長の女ですか?」
「あんた、名前は?」
「わ、私は、彼女じゃないですっ」
「客だって言っているだろう。お前らは早く任務に行け。団長に殺されるぞ」
フリードに命じられ、騎士たちはつまらなそうに返事をしてホールから出て行った。
「すみません。ここに外部の人が入ることがないから、珍しいんですよ。まれに、国家警備隊が扱いに困った凶悪犯罪者が連行されてくるくらいで」
「え! 凶悪な!?」
「大丈夫ですよ。団長が尋問するとすぐに大人しくなるので」
「はあ、そう、なんですか……」
アルフレッドは、いったいどんな尋問をするのか。
昨日シルディーヌが受けたものとは、次元の違う恐ろしさということだけは分かる。
黒龍殿は、思っていたよりも遥かにとんでもないところだ。
シルディーヌは心底逃げ出したくなるのをぐっと堪え、前を歩くフリードに声をかけた。
「あのっ、質問してもいいですか?」
「はい、どうぞ。私でお答えできることであれば」
「騎士の方々は普段どこにいるんですか?」
「本部に控えている者もいますが、大抵任務についています。取り締まりに出ていたり、要請があれば、王太子や宰相の警護などにもいきます」
「……昨日は?」
「そういえば、昨日はほぼ全員出ていましたね。たまにあるんですよ」
フリードは二階廊下を歩きながら早口で説明し、シルディーヌを団長部屋へ入るように促した。
「私はここで失礼します。おひとりで入っていただくように、言われていますので」
シルディーヌは、フリードに見送られながら団長部屋に足を踏み入れた。
アルフレッドは執務机に座っており、難しい顔つきで書状を読んでいる。
何も言わなくても、入って来たのがシルディーヌだと気づいているようで、こちらをチラリとも見ないまま、右手をスッとあげて“待て”の仕草をした。
おかげで挨拶をするタイミングを逃してしまい、不本意ながら無言のまま待つ。
少し時間がかかりそうで、シルディーヌは仕事をするアルフレッドを観察した。
武骨な長い指が書状を捲り、長めの前髪が影を落とす青い瞳は、滑らかに文字を追う。
よほど大事な書状なのだろう。真剣な表情は初めて見るもので、団服姿も相まってとても立派に思える。
さすが上に立つ者だと見直してしまうが、騙されてはいけない、中身はイジワルアルフなのだ。
「待たせたな」
まもなく読んでいた書状を机に置き、難しい顔つきのまま顔を上げ、やおら頬杖をついた。
「なんだ? お前の、そのアマガエルが膨れたような顔は。いったいどうしたワケだ?」
「あ、アマガエル!?って、アルフったら、酷いわ! 淑女に対して失礼よ!」
確かに頬を膨らませてはいたけれど……と小さな声で付け加える。
するとアルフレッドは頬杖をやめて立ち上がり、シルディーヌのそばまで来て屈んだ。
急に顔が近づいて来て、たじろいでいるシルディーヌに構わず、しげしげと見つめている。
「やはり全然失礼じゃないぞ。この、翡翠色の大きな瞳に小ぶりな顔は、十分アマガエルに似ている」
「なっ、私は、あんなに目が離れてないわっ。アルフこそ、いつもワイバーンみたいな怖い顔してるわよ。女性と話をするときは、もっと優しい顔をすることをお勧めするわ。でないと、素敵な恋人ができないわよ」
カエルと言われ、ペペロネがしてくれた伯爵令嬢の話を思い出し、口を尖らせてぷいっと横を向く。
アルフレッドの人を不愉快にするのが得意なとこは、昔よりも磨きがかかっている。
余計なお世話だろうが、本気で直した方がいいと思う。
そうでないと、一生独身だ。
「俺は、一生を共にしたいと思う“ただひとりの女”に好かれればそれで十分だ。ほかの女どもに愛想を振りまくつもりはないな。妙な勘違いをされるのは御免だ」
そう言って、アルフレッドはシルディーヌをじっと見つめる。
勘違いされ、何度も困ったことがあるような口振り。
ペペロネの言っていた『一番人気』というのが真実味を帯びる。
だが、その“ただひとりの女”に嫌われたらおしまいだろう。
そこを分かっているのか。
そもそも好きな人がいるのか。
いるなら、優しく接しているのか。
いろいろ思ったが、不毛な会話が続きそうな気がし、聞かないことに決めた。
「そんなことより、俺は、お前が怒っているワケを聞いているんだぞ。素直に答えろ」
アルフレッドは不機嫌そうに言う。
それならそう素直に聞けばいいのに、アマガエルなんて謂うから話がそれたのだ。
「どうもこうもないわ。アルフの言っていた条件って、ここの専属になることだったの? 侍女長から聞いたときはショック過ぎて頭の中が真っ白になったわ」
「なにを言ってるんだ。これは仕事だろう。条件に入らんぞ」
「だって、今まで関係者以外一切立ち入り禁止だったんでしょ。急に『侍女が欲しい』だなんて、おかしいわ」
「前々から、掃除をする者が欲しいと団員から要望があったんだ。団員は忙しいんだ。当番制にしていても、おざなりだ。お前が配属されたのは、たまたまだ」
おざなりの掃除と聞き、シルディーヌは思い出した。
そういえば、とても汚かったと。
モップがみるみるうちに黒くなったのだ。
そう、剣を向けていたアルフレッドに攻撃を仕掛ければ、怯むだろうくらいに。
「でも、ここは怖いわ」
「む、どこがだ?」
「中に入ったらすぐにガタイのいい騎士の人たちに囲まれて、ちょっと息苦しかったの」
「囲まれただと? なにかされたのか!」
「違うわ。ちょうど任務に出掛けるところだったみたいだけど。じろじろ見られていろいろ言われただけよ」
「出掛けるところ……とは。ふむ、あいつらだな……」
「それに、たまに手に負えない犯罪者が来るって、副団長のフリードさんに聞いたわ。うっかり見かけたり、すれ違ったりしたら、きっと恐ろしくて震えてしまって仕事どころじゃないわ」
「む……なるほど」
黒龍殿の配属から外してもらいたい。
そんな気持ちを込めて上目遣いに見れば、アルフレッドは、腕組みをして何事かを考えているようだった。
もうひと押しかもしれない。
そう思ったシルディーヌは、堅物アルフに通じるかは不明だが父親に甘えるような要領で迫ってみることにする。
「それから、貴公子さまに会えるチャンスがないもの。婿探しが難しくなるわ」
「それは、諦めろ。別の方法を探せ」
すぐにきっぱりと返事が返ってきたので、ちょっと怯むが、諦めずに食い下がってみる。
「嫌よ。婿探しは、私の王宮生活のテーマだもの。目標なの。だから……西宮殿がいいわ」
そう言った途端に、アルフレッドの顔つきが豹変した。
悪い顔でニヤリと笑う様は、まるで頭部に悪魔のツノがあるよう。
「知ってるか? 西宮殿の侍従は厳しいぞ。お前がミスすればガミガミ叱る。そんなとこを貴族院の連中に見られたらどうなる?」
「そんな……きっと、ミスしないもの。アルフは悲観的だわ」
「どうだかな。西宮殿と間違えるほどにそそっかしいんだ。大事な壺を割られたりしたら迷惑だ。俺は、仕方がないから、身を切る思いで、そそっかしいお前を黒龍殿の配属にしたんだ。俺の優しさに感謝しろ。だから、西宮殿はやめておけ」
アルフレッドは早口で言って強引に話を終わらせると、シルディーヌに反論する間も与えずに副団長のフリードを呼びつけた。
アルフレッドは呼びつけたフリードと小声で会話を交わした後、シルディーヌに向かって命じた。
「お前は清掃のスケジュールを決めて、俺に提出しろ」
「え? 私が決めるの?」
仕事は指示を受けてするものだと思い込んでいたシルディーヌは、首を傾げてアルフレッドを見る。
黒龍殿の中は危険がいっぱいな印象があるし、シルディーヌが立ち入ってはいけない場所もあるだろう。
それに昨日と今で団長部屋と物置しか入っていない。
不案内なのに、どうやって決めればいいのか。
「そんな、アマガエルが雨を乞うような顔をするな。フリードに宮殿の中を案内させる」
またアマガエルって言った。しかも人前で。それに雨を乞うとはどんな表情か。
そんな憤りを覚えているシルディーヌを無視し、アルフレッドは「フリード、頼んだぞ」と言って、さっさと執務机に向かってしまう。
この部屋に入って来た当初と変わらぬ雰囲気を醸し出し始め、シルディーヌは開きかけていた口を閉じた。
もう“上に立つ者”の顔になっているのだ。言い返す隙も与えないなんて、アルフレッドはズルイ。
「じゃあシルディーヌさん、行きますよ。細かい規則もお教えしますから」
フリードは扉を開けた格好で、シルディーヌのことを待っている。
「……はい、よろしくお願いします」
ムカムカする気持ちを腹の中に収め、部屋を出て行くフリードの後に続いた。