その腕に捕らわれて5
「離して!」
「ほら、観念しろよぉ、シルディーヌ~。その貧相な器量じゃ、僕以外に嫁の貰い手がないだろぉ?」
さっきまでは“王太子に誘われるいい女”と言っていたのに、まったくひどい言い草だ。
カーネルこそ、その器量じゃ婿に迎えられないだろうに!!
「嫌なの!」
馬車の扉が開いて乗せられそうになり、最後の力を振り絞って抵抗する。
捕まえられた腕がちぎれそうに痛いが、構っていられない。
こうなればカーネルの手の甲を抓ってやろう、そう思った時だった。
ザザッ!と靴が地面を滑るような音がし、ヒュン──ッと風切り音が鳴った。
「え、今のはなに?」
一瞬の後に馬車の扉がぽろっと外れ、車体にぶつかって派手な音を立てながら地面に落ちていく。
「は? なんで、急に外れたんだぁ?」
呆然とつぶやくカーネルと、唖然とするシルディーヌ。
落ちていく扉の向こうに、剣を振り下ろした格好の、鬼神のごとき気迫を纏ったアルフレッドがいた。
「あ……アルフ……?」
アルフレッドは肩で息をしながらもカーネルを睨み、剣を突きつけて重低音の声を出す。
「カーネル。貴様、ソイツをどこへ連れて行く気だ」
「うわっ、ま、待ってくれよぉ。マクベリーには、関係ないだろう!?」
カーネルは青ざめながらも叫び、それでもシルディーヌから手を離さない。
アルフレッドの勢いは、離しても離さなくてもカーネルを斬りそうだ。
カーネルは震えながらもシルディーヌを引き寄せて、しっかり抱え込んだ。
いざとなれば、盾にする気なんだろう。
「関係大有りだな。ソイツは、俺の女だぞ」
「な!? うそだろぉ! マクベリー! こんな女だぞぉ!?」
カーネルはアルフレッドとシルディーヌを交互に見て、引きつりながらも媚びるような笑顔を作った。
なんとかして、現状を打開しなければならないのだ。乏しい頭を必死に回転させている。
「マクベリーなら、もっといい女がより取り見取りだろぉ? さっきまで、いい女と仲良くしてたじゃないかぁ。このぉ、うらやましいぞぉ!」
「……カーネル、その汚い腕を切断されたいか? それとも無駄口を叩けないよう舌を斬るか。いや……二度と息ができないように、喉を斬るか」
アルフレッドは淡々と言い、カーネルの腕から口元にかけてゆっくり剣先を移動させ、最後に喉に突きつけた。
鬼神の気を纏った非情な瞳に見据えられ、カーネルは脂汗をだらだらと流してごくりと喉を鳴らす。
「ほ、本気、かぁ? そ……そんなことが、お前にできるはずないだろう」
「できるぞ。俺は、黒龍騎士団の団長だからな。コイツを避けて貴様だけを斬ることなど容易だ」
アルフレッドは剣を握る手にグッと力を込め、冷ややかに微笑む。本気で斬るつもりなのだ。
「安心しろ。一気にはしない。俺の女に触れたことを、心の底から後悔する時間を与えてやる。ゆっくり時間をかけて、なぶるように、斬る」
「うひっ、待ってくれよ! 離すよ! 返せばいいんだろぉ。なんだよ、こんな女、こっちから願い下げだぁ!!」
恐怖に顔をゆがめ、カーネルはシルディーヌをどんと突き放した。
そしてあたふたと馭者席に乗り、自ら手綱を握って馬車を動かして逃げていく。
一方、突き飛ばされたシルディーヌは、アルフレッドの胸にぽすんと受け止められ、ぎゅっと腕の中に閉じ込められた。
頭の上で大きな息がはかれて、リップ音が小さく鳴る。
「……間に合ってよかった」
「アルフ……ダンスに夢中じゃなかったの?」
「そんなわけあるか。あれは、フューリ殿下に『舞踏会に出るなら、しっかり社交してくれよ。お嬢さん方のダンスの誘いを無下に断ったらいけない』と、きっちり命じられていたんだ。おかげで抜け出すのに時間がかかって、助けに来るのが遅くなった。ごめんな」
「殿下の、命令だったの?」
「そうでなきゃ、踊らない。俺が触れたい女は、この世界でたったひとりしかいないぞ」
アルフレッドの指が、大事なものに触れるようにシルディーヌの頬を滑る。
瞳はとても穏やかで優しく、カーネルに見せていた鬼神のような恐ろしさなど欠片もない。
ドSで、仕事に厳しくて、敵には容赦のない人。
とんでもない幼馴染みなのに、離れたくない。
ずっとそばにいたい。
いつまでも、アルフレッドの瞳の中心にいたいと願う。
アルフレッドの精悍な頬にそっと触れると、少しだけ汗をかいていた。
シルディーヌを助けるために、必死で走ってきてくれたのだろう。
そう思えば、愛しさが増す。
シルディーヌの頬をゆっくりと滑らせていたアルフレッドの指は、柔らかな唇で止まった。
艶を含んだ瞳がシルディーヌを見つめている。
こんなアルフレッドの表情は初めて見る、大人の男の顔だ。
「俺が、お前を幸せにする。この先ずっと、一生」
「……いいの? 私は、貧相だし、美人じゃないわ。すぐに飽きるかも……」
突然、ガランと音を立てて剣が地面に落ち、シルディーヌの唇はアルフレッドに塞がれていた。
背中と後頭部をしっかり支えられ、気遣わし気に入り込んできた舌が口中を愛し気に這う。
しっとり濡れた舌がシルディーヌの意識を奪うように何度も絡められ、唇をねめつける。
次第に体の芯が熱くなり、甘い吐息だけが漏れる。
初めての口づけは蕩けるように甘く、シルディーヌは立っていられなくなり、アルフレッドの服をぎゅっと掴んだ。
恥ずかしさも、ここが外であることも忘れ、アルフレッドが与えてくる情熱を懸命に受け止める。
長い長い口づけ。
何度も角度を変えてむさぼるようにされてシルディーヌの意識が飛びそうになったとき、アルフレッドがようやく離れた。
濡れた妖艶な唇と熱い眼差しを、ぼんやりと見つめる。
「お前に飽きるはずがないだろう。俺は、ガキの頃からずっとお前しか見ていないんだぞ」
「……でも、すごく、イジワルだったわ」
「あれは、好きの裏返しだ。どんなにイジワルしても、お前はいつでも元気でかわいいんだ。そんなお前を見るのが好きだ。それは、今も変わらない」
シルディーヌの髪を指先でそっと梳きながら、熱く見つめてくる。
ときどき耳をくすぐるように触れられて、アルフレッドの優しい指使いに酔いそうになる。
けれど、確かめたいことがある。
イジワルしても元気でかわいいところを見るのが好きと言うのは……。
「そ……それって、今も同じなの?」
「ああ、ずっと変わらないぞ。かわいいお前が好きだ。それに、俺は子爵家のお前に釣り合うように、がんばって今の地位を手に入れたんだぞ。今更ほかの男に渡せない。奪われたら、絶対に取り戻す。それが、フューリ殿下だろうと同じだ」
王太子殿下の名前を口にしたとたんアルフレッドの瞳が鋭くなり、シルディーヌの体をぐっと抱きしめた。
「ダンスをしながら、フューリ殿下となにを話していた?」
「え、見ていたの?」
「ああ、随分楽しそうだったな。無論、殿下が」
「え、えっと、あの時は……」
なんと答えればいいのか。王太子殿下のお相手事情の話は口止めされているのだ。
シルディーヌが口ごもっていると、アルフレッドの瞳がどんどん悪い意味で据わっていく。
「フューリ殿下に、口説かれたのか?」
「違うわ」
「ほう……本当に、そうか?」
アルフレッドは優しく頬に触れてくるが、表情がすごく怖く、ゆらゆらと鬼神の気が漂っているようにも見える。
このままでは、王太子殿下に直に問い質しに行きそうだ。
真実を訊き出すために、王太子殿下を脅すようなことはしないだろうが、一抹の不安が胸をよぎる。
焦りつつも答えを探していて、シルディーヌはふと思い出した。
王太子殿下が、“身も凍り付くような恐怖を感じる”と言っていたことを。
まさかあれはアルフレッドの……!
誰に対しても容赦がないなんて、やっぱり脅しに行きかねないのだ。
「え、えっと、この国の騎士団長の眼力の強さについて?……みたいな、話です」
ウソは言っていない。
だが、アルフレッドは怪訝そうな顔をしている。
これ以上追及されないように、なんとか気をそらさなくてはならない。
そう考えたシルディーヌは、カーネルに捕まえられていて赤くなった腕をアルフレッドに見せた。
「ね、アルフ、見て。私、アルフに助けられて、すごーく安心したら、急に腕が痛くなってきちゃったわ。ほら、赤いでしょう? 腫れているのも」
「なに!? それを早く言え。痕が残ったらどうするんだ!」
「きゃあっ」
シルディーヌは電光石火の早業で抱き上げられ、医療室に連れられて行く。
医官による手厚い治療を受けながら、シルディーヌは将来を思いやった。
うれしくも困ることが多々あるアルフレッドの強大な愛。
それを一身に受け止め続ける、とっても幸せで、ちょっと難儀な日々を──。
【完】
お読みくださりありがとうございました。
このあと番外編があります。




