その腕に捕らわれて4
王太子殿下の叔母の方を見ると、壮年の貴族たちに囲まれて談笑している。
どうやらシルディーヌは叔母から逃げるための役に立てたようだ。
再びアルフレッドの捜索を開始したシルディーヌが向かう先に、もうひとつの人だかりがあった。
それはちょっと遠くて中心人物は不明だが、ダンスを踊るスペースにあって、王太子殿下に群がる蝶の群れのようなかたまり。
「すごいわ。殿下のほかにも、モテモテの貴公子がいるんだわ。どんなお方かしら」
人気貴公子の姿をひと目見たい。
好奇心から、アルフレッドを探しながらも、華やかな彩りのドレスの集まりを気にするシルディーヌ。
近づくにつれて、中心にいるのはやたらと背の高い貴公子だと分かった。
そして、そのあまり動かない後ろ姿が、なんだか見覚えがあるような気がしてくる。
「あそこにいるのは、まさか……ひょっとして……もしかして」
シルディーヌの胸がざわざわと騒ぐ。
間もなく始まったダンス曲をきっかけに、群がっていた令嬢たちがぱぁっと散っていく。
残されたダンススペースで、緑色のドレスを着た赤毛のご令嬢と向かい合って始めの挨拶をしているのは、紫紺のタキシード姿の凛々しい殿方……。
「あ……アルフ!……やっぱり、そうだったの」
黒龍の騎士団長は令嬢たちからの人気が一番なの!と、ペペロネから聞かされてはいたが、まさか王太子殿下とほぼ同等とは思っていなかった。
ダンスも優雅で女性の扱いに手慣れた様子で、初めての舞踏会とは思えないほどに堂々としている。
「まさか騎士団長のマクベリーさまがいらっしゃってるなんて! 今夜はなんて幸運なんでしょうか」
「そうですわ。この機会に、私の名前を覚えていただかなくてはなりませんわ」
「噂通り、とても素敵な殿方ですわね」
シルディーヌのそばにいる令嬢たちが、ダンスをするアルフレッドをうっとりと見つめている。
みんな綺麗でスタイルもよく、胸の谷間が見えそうな色気たっぷりなデザインのドレスを着ている。
シルディーヌには、アルフレッドと踊っている緑色ドレスの令嬢も、大人の色気むんむんに見えてしまう。
そうすると、無表情に思えるアルフレッドも、鼻の下を伸ばしているように見えてくるから不思議だ。
「あれが、アルフのデレデレな顔なのかしら」
『シルディーヌさんが心配なはずですから』
フリードはそう言っていたが、アルフレッドは令嬢と踊るのに夢中で、シルディーヌなど眼中にないようだ。
幼い頃から思い起こせば、アルフレッドがほかの女性と一緒にいるところを見るのはこれが初めて。
いつも男友達と一緒か、ひとりでいた。
そうだ、アルフレッドと話す女性は、ずっとシルディーヌだけだったのに。
イジワルしてくるのも、シルディーヌだけ。
なのに……。今は、手を伸ばせば届く位置にいたアルフレッドが、急に遠くなったように感じる。
胸がぎゅっと痛み、ダンスをする姿から目を逸らした。
それでも、アルフレッドがほかの女性といる姿が頭にこびりついて離れない。
ますます大人の色気むんむんの美しい女性の方が、お似合いに思えてくる。
真っ向勝負されたら家柄も色気も教養も、田舎の子爵令嬢で年下のシルディーヌは太刀打ちできそうにない。
アルフレッドから強大な愛情を注がれていることも、夢でみた出来事のようだ。
「アルフのバカ」
しょんぼりしながら大広間の隅っこの方へ移動する。
ワクワクドキドキの夢のような王宮舞踏会が、一気に色あせていく。
シルディーヌはダンスを楽しむ輪から遠く離れ、だだっ広い大広間の隅の壁に背中を預けた。
「アルフがほかの女性と踊っているのが、こんなに、ショックだなんて……」
たかだかダンス、なのに。
なんて心が狭いのだろう。
アルフレッドはドSでいじめっ子で、シルディーヌがぷっくり膨れて文句を言うとすごく面倒そうな顔をして……でも、たまにとても優しい。
「ああ見つけたぞぉ、シルディーヌ~」
「はい?」
横から声をかけられ、顔を上げたシルディーヌの目に映ったのは、黄色のタキシードを着た丸いお腹がはちきれんばかりの人。
ぽてぽてとお腹を揺らしてそばまで来るのは、身震いするほどに苦手な男だ。
「え!? ふ、ふ、ふ、とっちょ、カーネル!? どうして、ここにいるの!?」
「どうしてって、招待されたからに決まってるだろぉ。これでも、毎年来てるんだぞぅ」
カーネルはウシシシシと笑い、自慢げに胸を張る。
「そ、そうなの。それはすごいわね……」
田舎とはいえ、カーネルも貴族の中では上流の家柄だった。
けれど、なんて趣味の悪い色の衣装なんだろうか。
遠目では黄色に見えたが、タキシードはぴかぴかのゴールド色だった。
これでは気味悪がって、ご令嬢方は誰も相手にしないだろう。
「シルディーヌ~、しばらく見ないうちに、垢ぬけたじゃないかぁ。今は、王太子殿下にダンスに誘われるいい女なんだなぁ」
「見てたの? というか、これ以上近寄らないでほしいわ」
「なに言ってるんだよぉ。婚約話が持ち上がってる仲だろう?」
「そんなの、私は承知していないわ!」
「でも、僕さぁ、ママにお嫁さん連れてきてって、言われてるんだよねぇ。舞踏会で綺麗な子見つけろって、すごくうるさくてさぁ」
ウシシシシと笑いながら、ギラギラと脂ぎった顔でシルディーヌに迫って来る。
「い、言われているから、どうだって言うの!」
シルディーヌは嫌な予感と悪寒がして一目散に逃げたいが、大きな柱と壁が邪魔をする。
人を呼びたくても声の届きそうな位置には誰もおらず、王宮警備隊員の姿が遠くにひとり見えるだけ。
みんな宮廷楽団の奏でる音楽とダンスとおしゃべりに夢中で、隅の方など気にも留めない。
落ち込んでいたとはいえ、こんな人気のないところに来るべきじゃなかったのだ。
「だから、この際シルディーヌでいいなぁって思ってさ。ママも王都に来てるけど、疲れたからって宿にいるんだ。今から会わせてやるから来いよ。王太子と踊るような女なんだ、喜ぶぞぉ。ママの疲れなんか吹き飛ぶぞぉ」
カーネルがますますうれしそうにウシシシシと笑うから、シルディーヌはサーッと青ざめた。
相変わらず、気遣うのはママばかりの男だ。
もしも宿に連れていかれて“ママ”に会わせられたら、婚約話が勝手に進んでいきそう。そうなったら最悪だ。
「わ、私でいいって、なんなの、それ! 勝手に決めないで!」
シルディーヌは全身がガクガクと震えてしまい、足が動かしづらいが必死に壁伝いに逃げる。
「勝手にって、困った言い草だなぁ。カーネル家の方が、シルディーヌの家より格上なんだ。僕が決めれば断れないだろう? いいから、来いよぉ」
カーネルに腕を取られそうになり、シルディーヌは咄嗟に身を屈めて避け、お腹と腕の間をすり抜けた。
ところが、ドレスの裾がピンと張ってそれ以上動けず、勢い余ったシルディーヌはべちゃっと派手な音を立てて転んでしまった。
「イタタタタ、どうして動けないの?」
起きざまに振り向いてみると、なんとカーネルがドレスの裾を踏んでいた。
そして、シルディーヌの腕をむんずと掴むと、引きずるようにして大広間の外へと連れいていく。
「た、助けてっ」
予想外の事態で、喉が詰まって大きな声が出せない。
がんばって足を踏ん張ってみるが、華奢なシルディーヌの抵抗などちっとも効き目がない。
大広間の外にいた警備隊員に助けを求めるが、カーネルがうまくかわしてしまう。
「ウシシシシ、この子僕のお嫁さんで、ちょっと喧嘩中なんですよぉ。頭冷やしに外に出るんだ。邪魔しないでくれよ」
「はあ……そうなんですか?」
「ち、ちがいますっ。お嫁さんじゃないですっ。助けて」
「ああ、あんまり興奮しすぎて錯乱してるんだな。かわいそうに。シルディーヌ、いいから来いよ。頭冷やそうよ」
ぐいぐい引っ張られるシルディーヌを見、警備隊員は怪訝そうな顔をしながらも、なにもせずに見送ってしまう。
なんて役に立たないんだろうか!
警備の対象は王族や重鎮や重要人物のみで、名も知らぬ田舎の子爵令嬢などどうでもいいのか。
「どうしたらいいの?」
アルフレッドの顔が浮かぶが、今ごろは美女と優雅にダンス中だ。
シルディーヌの危機など知る由もないだろう。
涙がじわっと出て、視界が歪む。
「……アルフの、バカ」
とうとう宮殿の外に出てしまい、疲れて抵抗する力も弱くなってきた。
カーネルのものであろう、金ぴかの趣味の悪い馬車に近づいていく。
このまま馬車に乗せられ、“ママ”に会わせられるのは、絶対嫌だ。




