その腕に捕らわれて3
きっと、アルフレッドは舞踏会には来ない。チャラチャラした世界は苦手だと言っていたのだから。
そう自分で判断したシルディーヌは、アルフレッドに出欠を訊かぬまま王宮舞踏会当日を迎えていた。
舞踏会の始まりは夜の七時で、朝から王宮全体がそわそわした空気に包まれている。
なにしろ伯爵家以上の貴族が集まる、年に一度の大舞踏会なのだ。
アルフレッドは『フューリ殿下の暇つぶし』と言ってのけたが、相当な一大イベントである。
侍従たちが最後の調整とばかりに王宮内を忙し気に走り回り、王宮警備隊は夜に向けて警備の準備に余念がない。
そんな中黒龍殿だけはいつもと変わらず、騎士団長であるアルフレッドをはじめ、団員たちは日常の任務を淡々とこなしている。
舞踏会に参加するフリードまでも普段と変わらない様子で、まるでここだけが別世界のよう。
気になってフリードに尋ねると、騎士団員は警備を要請されていないため、なにも準備することがないから日常のままだと返ってきた。
黒龍殿の中でウキウキそわそわしているのは、シルディーヌだけだ。
夜に思いをはせながら仕事をこなしたシルディーヌは、侍女寮に戻るなり急いでドレスに着替えてペペロネの部屋を訪ねた。
ここでキャンディたちも加わって、お互いの世話をし合って身支度を整える手はずなのだ。
ワイワイと華やぎながらアドバイスをし合い、メイクと髪のセットをしてアクセサリーを身に着ければ、上品でかわいらしい貴族令嬢たちの出来上がりだ。
舞踏会開始時刻も間近になり、シルディーヌたちは大広間へと移動を始める。
正門から続く道には馬車が連なっており、着飾った令嬢や貴公子が続々と集まってきている。
そして大広間に一歩入ると、シルディーヌはそのきらびやかさに息をのんだ。
壁とドーム状の天井には美しい風景画が描かれ、金色に染められた梁が額縁のように張り巡らされている。
いくつもある巨大なシャンデリアが柔らかな光を落とし、壁際に作られているブースでは宮廷楽団が緩やかな旋律を奏でており、優雅で美しい夢のようなひとときを演出していた。
それに大広間はとてつもなく広く、シルディーヌから見て一番遠い端っこにいる人はとても小さく見え、衣装で男女の区別ができる程度だ。
これならば国中の貴族が集まったとしても、ぎゅうぎゅう詰めの大混雑にはならないだろう。
さすが、王宮の大広間である。
それでも、集まってくる貴族たちで大広間の中は次第に混雑してきた。
「すごいわ……こんな中で王太子殿下を見つけるなんて、たやすいことじゃないわね」
キャンディが呆然とした様子でつぶやくと、ペペロネもため息交じりに言う。
「そうよね。こんなに人の多い中で、フリードさまを見つけられるかしら……」
シルディーヌはもちろん、みんなも大きな舞踏会に出るのは初めてで、豪奢な雰囲気に圧倒され気味だ。
美しい色のドレスを着た華やかな令嬢グループが、鈴の転がるような声で談笑しながら大広間の中を縦断していく。
堂々として、それでいて優雅。その場慣れした姿は、シルディーヌにはキラキラと輝いて見えて憧れてしまう。
その令嬢のグループに、物腰の柔らかい貴公子のグループが話しかけている。
ついこの間想像した、夢物語の中の甘~い言葉を言いそうな人たちで、なんだかとってもまぶしく映る。
開始時刻が迫るにつれて人がどっと増え、あちらこちらで談笑する塊が出来始めた。
その中心には、権力のある貴族がいるのだろう。
王宮舞踏会の規模はとてつもなく大きく、シルディーヌの知っている社交界など、ごくごく狭くてちっぽけなものだと改めて思い知らされる。
そんな中、ペペロネが「シルディーヌ。私、フリードさまを探してひとまわりしてくるわ!」と、瞳に燃える様な意欲をたぎらせて離れていった。
「やっぱり、恋する乙女の行動力はすごいわよね……」
「失礼ですが、シルディーヌさんですか?」
ふと背後から声をかけられて振り向けば、貴族然としたフリードが微笑んでいた。
つい先ほどペペロネがフリードを探して人の海の中に出発していったところなのに、なんてタイミングが悪いのか。
「フリードさん、こんばんは」
「やっぱりそうでしたね。見違えるような美しさで、声をおかけするのを一瞬迷いました」
フリードは濃紺のタキシード姿をしており、いつも全身真っ黒な団服姿しか見ていないので、とても新鮮に映る。
いつもの凛々しさに加えて上品さが前面に出ており、フリードも甘~い言葉が似合いそうな雰囲気を醸し出していた。
「フリードさんこそ、見違えたわ。とても素敵なんですもの」
親しい人に会えたことがうれしく、シルディーヌの緊張が一気に解ける。
「そうそう、今日は団長も来られるはずですよ」
「そうなの? アルフはなにも言っていなかったわ」
「なにも言っていなくとも、来られるでしょう。シルディーヌさんが心配なはずですから」
そう断言するフリードも、はっきりとアルフレッドの出欠を知らない様子だ。
フリードと話をしてリラックスしているシルディーヌのそばに、背後からすすすと近寄って、つんつんとドレスの袖を引っ張る者がいた。
頬を染めて瞳を潤ませた、恋する乙女のペペロネだ。
ひと回りして戻って来て、シルディーヌと一緒にいるフリードを見つけたのはいいが、自分からは話しかけられないらしい。
そんなペペロネを見て、フリードはふわりと笑った。
「ああ、あなたは、あの時の事件で一緒だった……たしか、ペペロネさんですね? 黒龍騎士団副団長のフリードです」
丁寧に礼を取って挨拶をするフリードに対し、ペペロネも令嬢らしく礼を返す。
「フリードさま。私のこと覚えていてくださったのですか?」
「もちろんですよ。美しい女性のことを忘れるはずがありません」
「まあ、そんな、美しいだなんて……!」
感激のあまりに卒倒しそうになるペペロネを、シルディーヌは慌てて支えた。
やっぱりフリードは、騎士とはいえ生まれながらの貴公子だ。女心をくすぐる言葉をさらりと言ってのける。
「ペペロネ、しっかりして」
「ありがとう。大丈夫よ、シルディーヌ。今は勝負どころですもの。がんばるわ」
しっかりと自分で立ったペペロネから手を離すと、大広間の上手側にいる人たちがざわめき始めた。
「ああ、殿下がお出でになりましたね」
フリードの言った通り王太子殿下が現れたようで、じきに音楽が止み、話し声も静まった。
「今宵は、年に一度の宴だ。みんな日頃の憂さを忘れ、大いに騒ぎ、踊り、楽しんでくれたまえ!」
王太子殿下が簡単な挨拶をされた後、大広間の中がわっと沸きかえり軽快な音楽が流れ始めた。
王太子殿下が近くにいた令嬢を誘ってダンスを始めると、老若男女も手を取り合って中央に進み出る。
音楽に合わせて、色とりどりのドレスがふわりふわりと可憐に舞い、花が咲いたように美しい。
「フリードさま、お相手をお願いしますわ」
ペペロネが勇気を出して誘うと、フリードは優雅に手を差し出した。
「ペペロネ嬢、喜んでお相手いたします」
うれしそうにフリードの手を取ってエスコートされていくペペロネを見送って、ふと周りを見れば新米侍女仲間がひとりも近くにいなかった。
みんなそれぞれダンスに誘われており、踊っているのが見える。
ひとり取り残されたシルディーヌは、とりあえずアルフレッドを探してみることにした。
こういう場が苦手だと言っていたが、フリードの推測通りに、本当に来ているのだろうか?
きょろきょろしながら歩くシルディーヌの前に、突然人が現れて行く手を遮るように立った。
それは黒地に金の刺繍の入った豪華な衣装を身に纏った……。
「やあ、シルディーヌ。久しぶりだね。あれ以来、害虫に遭遇してないかい?」
「お、王太子殿下! はい、あの、今宵はご機嫌麗しく……」
まさか王太子殿下にお声をかけていただけるとは思わず、半ばパニックになりつつも礼をとって上ずった声を出すと、殿下はあははと声を立てて笑った。
「ああ待った。今夜は堅苦しい挨拶はしなくていいよ。それより、二曲ほどダンスの相手をしてくれないか?」
急に声を潜めて頼むように言う王太子殿下の麗しい顔を、シルディーヌはきょとんとして見上げた。
「……はい? 私でいいのですか?」
「ああ、君がいいんだ」
王太子殿下にぐいぐい手を引かれ、シルディーヌは中央に導かれていく。
まだ返答もしていないのに、王太子殿下はお構いなしの様子。
女性に優しくおおらかで快活なイメージがあったが、案外強引だ。
王太子殿下は戸惑っているシルディーヌに柔らかい微笑みを落とし、流麗にダンスの始まりの礼を取る。
見惚れる様な所作、サラサラと揺れる髪、じっと見つめてくる優しい瞳、完璧なリード。
この気品と威厳と麗しさは、上流の貴公子でも到底対抗できない。
王太子殿下のすべてが太陽のように光り輝いて見え、金も宝飾品もすべてがかすんで見える。
周りの人などまったく目に入らず、ふたりだけの世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥る。
スローな曲調なこともあり、ほわほわと空に浮かぶ雲のような夢見心地でいるシルディーヌに、王太子殿下はなんとも優しい笑顔を見せた。
「急に誘って悪かったね。うるさい叔母から少しの間逃避したくてね。ちょうど君を見かけて、声をかけてしまった。もしかして、探し物の最中だったかな?」
「いえ、大丈夫です。でも、殿下にも、苦手なお方がいらっしゃるんですね?」
「ああ、いるよ。早く結婚しろとおっしゃって、ご自分のお気に召した女性を次々に紹介してくるんだ。まったく、うるさいことだよ」
殿下がチラリと目をやる方には、シルバーのドレスを纏った気品あふれる年配のご婦人がいる。
殿下と踊るシルディーヌを見る目はきつく、なんだか値踏みをされているよう。
全身から厳しそうなオーラが溢れ出ており、殿下ばかりでなく、誰もが苦手とするタイプに思えた。
「私がこんなふうに不満を言っていること、内緒にしておいてくれるかい?」
王太子殿下はささやくような小声で言うから、その甘い声の響きで悩殺されそうになる。
「シルディーヌ。誰にも、だよ。いいね?」
とどめとばかりにいたずらっこい微笑みを向けてくるから、シルディーヌは声も出せずに何度も首を縦に振った。
こんな“君だけにしか言わない”みたいな特別感を出されたら、女性なら誰でも胸を射貫かれてしまう。
王太子殿下は結構女たらしのようだ。無自覚かもしれないが。
「あの……殿下は、まだお相手をお決めにならないんですか?」
「ああ、もう少し自由でいい。まあ、実を言うと少し気になる女性がいるにはいるんだが……これが、気難しい男に“手を出すな”と釘を刺されている。上手くいかないものだよ」
「そうなのですか」
なにもかもを身に備えていて、なんでも簡単に手に入れられそうな王太子殿下でも、人の心を手に入れるのは難しいらしい。
けれど、こんな素敵で女たらしの王太子殿下に求愛されたら、恋に落ちない女性はいないと思う。
王太子殿下の行動を止められる気難しい男というのは、よほど力のある人物なのだろう。
国王か宰相あたりだろうか。
「ああそうだ。気難しい男といえば。私は、君に礼を言わないとならない」
「ええっ、殿下が私にお礼なんて、滅相もございませんっ。そもそも私はなにもしていませんっ」
「ん? ああそうだな、君自身は、そうかもしれないな」
殿下はくっくっくと声を殺すように笑い、シルディーヌは頭の中に大きな疑問符をいくつも浮かべた。
「でもそれでも、言わせてくれ。我が国一番のカタブツで気難しい男を社交の場に引っ張り出してくれたこと、本当に感謝するよ」
「は、カタブツな人を、私がですか?」
「ああ、そうだ。君しかできない事だったよ」
「……はい? そう、なんですか。ありがとうございます」
「それはそうと、君は視線を感じないかい?」
「え?」
「なにかが身に刺さるような。そうだな、たとえば、身が凍り付くような恐怖を感じないか?」
恐怖を感じると言いながらも、王太子殿下は平然としているように見える。
笑顔を浮かべており、緊迫感はない。
シルディーヌは恐怖は感じないが、王太子殿下を狙うご令嬢たちの「あれはどこの誰なの!?」的な、嫉妬の視線を浴びていることだけは分かっている。
けれどそんなことで王太子殿下が恐怖を感じると言うはずもない。
「それは、まさか、殿下を狙う刺客のものですか!」
「いや、そういうものではないから、心配しなくていいよ。それに、あれは私だけに向けられているようだから、君には影響がないのだな」
そう言ってひとりで納得し、シルディーヌの背後に視線を流していかにも楽し気にクスクスと笑う。
その様子からも、刺客ではないと分かったものの、シルディーヌの頭の中には疑問符が増えるばかりだ。
高貴な人の考えることはよく分からないが、ひとりで楽しんでいて、シルディーヌにはズバリと教えてくれない。
王太子殿下は、S系思考の持ち主なのかもしれない。
だからドSなアルフレッドと気が合うのだろうか。
「ああ楽しい時はすぐ終わるものだな。君と話せてよかったよ」
「それは、光栄でございます。今宵の殿下とのダンスは、私にとってとてもいい思い出になりましたわ」
約束通り二曲を踊り終え、王太子殿下がダンスの終わりの礼をとる。
すると、終わりを待ってましたわ!!とばかりに方々からいそいそと中央に出てきたご令嬢たちに、王太子殿下はどんどん囲まれていく。
その様は華やかな蝶が、ただ一輪の凛々しい雄花に群がるかのよう。
あちらこちらから甘い声でかけられる誘いの言葉を、王太子殿下は笑顔でそつなくかわしている。
こんなに引く手あまただと、自身にとって最良のお相手を選ぶのも簡単そうで難しいのかもしれない。




