その腕に捕らわれて2
王宮舞踏会が数日後に迫ったある日。
午後の休憩時間になる少し前、シルディーヌは黒龍殿にあるキッチンでお茶の準備を始めた。
侍女寮から持ち込んできたかわいい花柄のティーセットは、アルフレッドと一緒に出掛けたあの日に商店街で手に入れたもの。
もちろん紅茶も、あのときアルフレッドに買ってもらったアーセラだ。
「アルフは、飲んでくれるかしら」
なにしろ、シルディーヌがアルフレッドにお茶を入れるのは初めてのこと。
二人分を用意したポットにティーコゼーを被せ、ちょっぴり緊張しつつも団長部屋へ向かう。
お茶がほしいと言われたわけではない。
だからせっかく持って行っても、茶を飲む時間はない!と無下に追い返されるかもしれない。
けれど、シルディーヌはペペロネに言われたのだ。
『それなら、紅茶をいれてみたらどうかしら?』と。
快適空間作りを目指してがんばっているが、ちっとも上手くいかないと話したら、そう助言されたのだった。
『シルディーヌが入れたものなら、きっとおいしさも百倍違うはずだわ。疲れもなにもぜーんぶ吹き飛んじゃうわよ』
そう言ってにっこり笑ったペペロネに対し、正直“百倍おいしい”とはオーバーだと首を傾げたシルディーヌだったが、たしかに、アルフレッドはお仕事が忙しくていつも大変そうなのだ。
ほっと一息入れる時間があるといいのかもしれない。
空間ばかりに気を取られており、そこを使う主の心を癒すことには目を向けていなかった。
さすがしっかり者のペペロネだ、着目点が違う。
それに、シルディーヌはアルフレッドに尋ねたいことがある。
お茶を飲んでリラックスしていれば、普段あまり自分のことを話さないアルフレッドも少しは饒舌になるかもしれない。
かくして、アルフレッドに優秀だと認めてもらうのと、ゆっくりお話をするのを目的とした、シルディーヌと一緒に休憩しましょう作戦である。
トレイを持っているおかげで四苦八苦しながらも、なんとか団長部屋の扉を開けて入ると、アルフレッドは書き物の真っ最中だった。
よほど大事な書類の処理をしているのだろう、シルディーヌが呼びかけてもチラリとも顔を上げない。
手元に置いてある本をパラパラと捲ってはペンを走らせており、休憩する時間など微塵もなさそうな雰囲気を醸し出している。
一緒にお茶を飲むのは、あきらめた方がいいかもしれない。
「なんだ、用があるならさっさと言え。またなにかの文句か? まったく、お前も飽きないな」
「違うわ。いくらなんでも、そんなに何度も文句は言わないわ。今日は、アルフにお茶を持ってきたの」
「なに……お茶、だと? 俺は頼んでないぞ」
書き物をしていた手をぴたりと止めて、アルフレッドはようやく顔を上げた。
トレイを持っているシルディーヌを見る目は、ちょっぴり訝しげに見える。
「あ、そうなんだけど。たまには、アルフと一緒に休憩したいなって思ったの」
「む……お前が、俺と、休憩したいと言うのか。それは、お前が入れたのか?」
「ええ、そうなの。二人分入れてきたの。だって、私はいつもひとりで休憩してるでしょう? 話し相手がいなくて、いつもとても寂しいわ。だから、アルフとお茶を飲みたいって思ったの。アルフもゆっくりする時間が必要だと思うし……でも、忙しいみたいだから、駄目かしら……」
シルディーヌがしゅんと肩を落とすと、アルフレッドは椅子をガタッと揺らしてにわかに立ち上がった。
「いや、そうでもないぞ。仕事中に茶を飲む習慣はないが、仕方がないから付き合ってやる。早くよこせ」
スタスタと応接セットの方へ移動し、ソファにドカリと座った。
シルディーヌは急いでカップに紅茶を注ぎ、アルフレッドに差し出した。
「アルフが好きなキーマンじゃないけれど、どうぞ」
「む……あの時の新発売の紅茶か」
お茶は丁度飲み頃になっており、濃さも温度もいい塩梅だ。
シルディーヌはカップに口をつけながら、こっそりアルフレッドの反応を見る。
人買い組織のアジトから過激な救出をされてから数日が経つが、アルフレッドはいつもと変わらずに仕事中はシルディーヌに厳しく接してくる。
こうして向かい合ってお茶を飲んでいる今も、まったく穏やかな表情にならない。
ほっと一息とか、癒されているとは程遠い感じだ。
お茶で快適になってもらう作戦は、どうやら失敗のよう。
フリードには“団長の世界はシルディーヌを中心に回っている”と断言され、ペペロネには“団長に愛されまくっている”と羨ましがられ、アクトラスには“団長はいつもデレデレしている”と言われたが、シルディーヌはいまひとつ実感がない。
身に溢れて壊れてしまいそうなほどに強大な愛を注がれているのは確からしいが、団長部屋でふたりきりになっても甘い言葉は言わないし、執務中は話しかけづらい威厳を放っている。
まあ実際に四六時中デレデレされてもシルディーヌは困るし、そもそもアルフレッドが甘々になるところなど想像できないのだが。
けれど、ふと考えてみたのだ。
アクトラスの言っているデレデレとは、いったいどんな感じなのだろうかと。
一般的なデレデレな顔というのは、鼻の下を伸ばしてニコニコしているイメージがある。
そして、甘い言葉とは……。
『君は誰よりもかわいい』
『君は俺の天使だ。空を飛んで逃げないように、私の腕の中にしっかり閉じ込めておこう』
『君の美しさを前にすれば、どんな花も萎れて見えるさ』
胸をときめかせて読んだ恋愛物語の中で、一度は言われてみたい憧れ台詞を思い返してみたのだが……アルフレッドに言われたら、やっぱりちょっと気味が悪いかもしれない。
バラの花束が似合うような貴公子が口にする言葉なのだろう。現実は夢物語とは違うのだ。
アルフレッドは、これからどんな言葉をシルディーヌに言ってくれるのだろうか。
もしかしたら、なにも言ってくれないまま一年が過ぎてしまうこともあるかもしれない。
一年経てば、シルディーヌはサンクスレッドに帰らなくてはならない。
アルフレッドはどうしたいのだろう。
そしてシルディーヌ自身も、アルフレッドとどうなりたいのか、よく分からないでいる……。
シルディーヌはペペロネがフリードに恋をしていることを話し、さりげなく王宮舞踏会を話題にのせる。
今アルフレッドに訊きたいのは、ただ一つだけ。
ちょっぴり訊きづらいことだが、思い切って口にした。
「アルフは、舞踏会に招待されていないの?」
子爵令嬢のシルディーヌと違って、アルフレッドは貴族ではない。
庶民の騎士から、実力で騎士団長へと成り上がった身だ。
国防の要である騎士団長ならば、貴族院の長官と同等かそれ以上の身分になっていて、舞踏会にも出られるはずなのだ。
「舞踏会なら、騎士団長になる前からずっと、毎年フューリ殿下に誘われているぞ。だけどああいうチャラチャラした世界は性に合わないから、まだ一度も出たことがないな」
「え、それって、もしかして王太子殿下直々のお誘いを、毎回お断りしているってことなの!?」
そんなことしてもいいの?という思いを込めて訊き返すと、アルフレッドはこともなげに肯定する。
「断るのは、そんなにたいそうな事じゃないぞ。フューリ殿下とは、騎士学校時代に知り合った友人だ。俺の性格をよく知っているから、社交に関しては、無理を言ってこないんだ」
「でも、それにしても、無礼な気がするわ」
「違うな。あれは半分冗談も入っているんだ。にやっと笑って、“どうだ、暇つぶしに出ないか?”って誘い方なんだぞ……まあ、王太子として出席を命じられていたら、また別だったがな」
アルフレッドは平然と言い、お茶を一気に飲み干して立ち上がった。
「ごちそうさま。こうして一緒に飲むなら、アーセラも悪くないな。ちょっと気分転換になった。これから仕事がはかどりそうだ」
ぽそっと言ってシルディーヌの頭をポンと撫でたアルフレッドの瞳が、とても穏やかに見える。
不意打ちに褒められて優しくされて、シルディーヌの胸がトクンと鳴った。
「それ、本当なの?」
「俺は、ウソは言わない」
「じゃあ……これから、毎日入れてもいい?」
「ああ好きにしろ」
そう言い置いて、アルフレッドは執務に戻って行く。
自分のしたことが役に立った嬉しさと、滅多にみられないアルフレッドの穏やかな瞳が見られた喜びとが、シルディーヌの胸を支配する。
なんとも言えないほんわかした気持ちに包まれながら後片付けをし、その後の仕事を上機嫌で終える。
そして、結局今度の舞踏会に出るのかどうかはっきり聞いてないことに気づいたのは、ずっと後の、侍女寮にもどってからのことだった。




