その腕に捕らわれて1
人買い組織にさらわれ、アルフレッド率いる黒龍騎士団に救出されてから今は三日目。
シルディーヌは、国家警備隊舎の中にある一室で、ソファに座ってお茶を飲んでいる。
警備隊長直々の事情聴取を終えてほっと一息ついているところで、一緒に来たペペロネが終わるのを待っているのだ。
アジトは大砲では壊しきれず、最終的には燃やしたらしいが、組織の人はフリードの指示によって救出され、医療付きの施設に収監されていると聞いた。
罪を犯した者とはいえ、ちゃんと裁きを受ける権利はある。さすが、フリードである。
組織の逮捕やさらわれた人の救出などは通常国家警備隊の管轄らしく、実際には一ミリも動いていないが後の処理は行うという、なんとも面倒なことになっていた。
表向きには、黒龍騎士団がやったことは、アジトとなっていた古い軍の遺産を壊滅したことのみで、犯人逮捕やシルディーヌたちの救出は警備隊がやったことになっている。
人買い組織が撲滅できたのはいいが、ひとこと出動すると言ってくれれば……と、説明をしてくれた警備隊長はなんとも渋い顔つきをしていた。
シルディーヌとしては『お気持ちは、お察しします』としか言えなかったのが辛い。
あの日救出されて馬で寝込んでしまったシルディーヌは、目覚めたら、ふかふかクッションの中に沈んでいた。
天井以外は見えない状態になっており、起き抜けにパニックに陥ったのだった。
『え? え? ここはどこ??』
なじみのない天井で、両脇にはクッションの壁しかなく、またさらわれておかしな場所に来たの!?
そう思いつつ、ふかふかの海から抜けそうとして、あたふたと必死にもがいていると、強靭な腕にぐいっと引かれて起こされた。
『まったく、なにやってんだ。落ち着け』
そこは団長部屋の中にある寝室で、ふかふかクッションは宮殿内にあったものを、アルフレッドがかき集めたものらしかった。
アルフレッドが言うには、『ぐーすか寝ていてまったく起きず、男子禁制の侍女寮の中まで運び込むわけにもいかず、やむなくここに寝かせた。クッションは、尻が痛いとべそをかくと困るからしいた』とのことだった。
シルディーヌが安心しきって眠ってしまったことは事実でぐうの音も出ず、『それは、とても迷惑をかけたわ。ごめんなさい』と素直に言うと、もにょもにょと『そうでもない』と返ってきた。
アルフレッドは一睡もしていなかったようなのに、普段通りに執務をこなしていた。
アジトを壊滅して戻った団員たちには一日休息を与え、副団長のフリードは、報告やら警備隊との調整やらに奔走していると聞いた。
原因を作ったシルディーヌはのほほんとしているわけにもいかず、少しでも本来の仕事をするべく宮殿入口の窓ふきをしたのだった。
ぐっすり眠って元気いっぱいのシルディーヌとは対照的な、やや疲れぎみのフリードと会ったのは日が傾きかけた頃。
侍女寮に帰る道の途中、黒龍殿に向かうところを見つけた。
そのときに、シルディーヌがさらわれた夜の出来事を聞いたのである。
日が暮れてもシルディーヌが王宮に戻ってこない。
正門の警備員から報告を受けたアルフレッドは、すぐさま宮殿内にいた騎士全員を室内鍛錬場に集めて捜索を命じた。
そして“さらわれた”との情報を得ると、すぐにフリードに出動命令を下した。
団員を総動員し、アジトに到着するや否や『大砲を五発撃って、そのまま待機してろ!』と命じて、ひとりで突入していったという。
『団長は、出動準備を進めている最中にもおひとりで動こうとされ、お止めするのに大変苦労しました』
そう言って苦笑いをしたフリードを、シルディーヌは心からねぎらった。
『団長の世界は、シルディーヌさんを中心に回っています』
真顔でそう断言したフリードは、くれぐれもこの先危険な目にあったりしないようにお願いします、とシルディーヌに釘を刺して宮殿に戻って行ったのだった。
「私を助け出すために、大砲まで持ち出すなんて……」
冷静さを欠いてしまうほど、そこまで愛されているのか。
謎の強大な愛情を向けられているのは、うれしいような困るような、自分で自分の気持ちがよく分からないシルディーヌである。
「どうして、そんなに思われてるのかしらね……」
愛情を注がれ過ぎて、そのうち壊れてしまうんじゃないだろうか。
そんな苦笑いを零していると、事情聴取を終えたペペロネが戻ってきた。
「お疲れでしょう。ペペロネ嬢もしばらく休憩していってください」
ペペロネを連れてきた愛想のいい年配の警備隊員は、お茶を持ってくるからと言い置いて出て行った。
間もなくしてペペロネのお茶が運ばれてきて、シルディーヌのカップにもおかわりが注がれる。
警備隊員が出ていくと、ペペロネが早速カップに手を伸ばして一口飲み、ふぅっと息をついた。
ふたりとも稀有な体験をしたので、あちらこちらで何度も同じようなことを訊かれてちょっとウンザリぎみだ。
それでも妙な嗜好を持った金持ちに売られるよりは数億倍マシで、救ってくれた黒龍騎士団には、口では言い表せないほどに感謝している。
助け方が、刺激的かつ個人的感情に傾き過ぎていたのが、少々難点だが。
ペペロネなどは、危うくアジトとともに木っ端みじんになりかけた身である。
そのことを本人が知らないようなのが、シルディーヌには一番ありがたいことだった。
「ね、シルディーヌ。もしかして、もしかしてだけど……あなた、黒龍の騎士団長に、ものすごーく愛されちゃってるの?」
突然尋ねられてびっくりし、シルディーヌはお茶でむせそうになった。
「あ、あら。ペペロネったら、どうして、そう思うのかしら?」
きわめて平静を装って尋ね返すと、ペペロネは「シルディーヌったら、お芝居が下手だわ」と言ってくすっと笑った。
「だって、騎士団長はシルディーヌだけを助けて、先に連れて戻っちゃったわけでしょ? ほかにもさらわれた子がたくさんいて、まだ作戦は終わってないのに。そう考えるのが普通だわ」
「やっぱり、そう思うの、よね……?」
「ええ。廊下からうめき声が聞こえてきて、部屋の中でじっと救出を待つのはすごく怖かったわ。誰かが犯人たちを倒したようなのに、誰も助けに来てくれなくて」
そうだ、シルディーヌが焚き火のそばでお水をもらったとき、ペペロネはアジトの三階で震えていたのだ。
「私だけ、忘れられちゃったのかしらって思ったりもしたわ。そしたら、ほかの子たちも私と同じ状態で……でも、シルディーヌだけがいなくて……。先に帰ったって、しかも団長と一緒って聞いた時は、本当にびっくりしちゃったわ」
ちょっぴり恨みがましく言うペペロネの気持ちはもっともで、もしもシルディーヌが逆の立場だったら、きっともっと文句を言っているだろう。
申し訳なさすぎて、どう謝ればいいのかシルディーヌは途方にくれる。
「ごめんなさい、ペペロネ」
「いやだわ。シルディーヌが謝ることじゃないわ。ね、それでシルディーヌはどうなの? 団長のこと好き?」
「好きかと訊かれると、正直よく分からないの。アルフとは、実は幼馴染みで……」
「え! 幼馴染みなの? 初耳だわ!」
心底驚いているペペロネに、幼いころのこと、黒龍殿に間違えて入ったこと、休日のことなど、今までのことを話した。
「まあ! いやだわ、シルディーヌったら。それ全部ノロケに聞こえるわ」
「そ、そうかしら?」
「あの黒龍の団長に、すごーく愛されまくってるって、よく分かったわ」
ペペロネはくすくすと笑って、お茶をクイッと飲んだ。
そして唇をペロッとなめて、なにか言いにくそうにもじもじし始めた。
言いかけては口を閉じる様が、とってももどかしい。
しっかりもののペペロネらしくなく、シルディーヌはしびれを切らして問いかける。
「どうしたの、ペペロネ。なにかあったの?」
「ええ、あったというか……その、シルディーヌに訊きたいことがあって……騎士団に黒髪の凛々しい騎士さまがいるでしょう?」
黒髪の騎士といえば、すぐ頭に浮かぶのはひとりしかいない。
「副団長のフリードさんのことかしら?」
「ええ、そのお方! ね、決まったお方がいらっしゃるのかしら? シルディーヌは知ってる? ご結婚されてるの?」
ペペロネの勢いに半ば面食らいながら、シルディーヌは記憶をたどった。
「たしか、まだ独身のはずよ」
「そう、独身なのね……」
ペペロネは嬉しそうに目を細めて、カップのふちを指でなぞった。
「フリードさまは、心細くて怖がっていた私を、優しく励ましながら外まで導いてくださったの。とても指揮を執る姿も素敵で……私、あれから、あの方のことがずっと頭から離れなくて……寝ても覚めても、こうしている今も、姿を思い浮かべてしまうの」
ペペロネは、真っ赤に染まった頬を両手で隠すように抑えた。
なんと、ペペロネがフリードに恋をしている!
シルディーヌは他人事ながらにうれしくなって、わくわくと胸が躍る。
フリードならば、人柄良し、家柄良しの、超おススメの殿方だ。
ペペロネとお似合いだとも思う。
「姿を思うだけで、胸がきゅっと締め付けられて……ドキドキして……こんな気持ちは初めてなの。ね、シルディーヌ。フリードさまのことをいろいろ教えてほしいの。なにかお礼もしたいし、好きな物とか、その、好きな女性のタイプとかも知りたいわ」
潤んだ切実な瞳がシルディーヌをひたと見つめる。
頬を薔薇色に染め、普段よりも数倍増しで肌も艶々しているよう。
恋をする乙女は、なんて美しいんだろうか。
「もちろんよ。なんでも教えるわ!」
シルディーヌはパシッと胸を叩き、とりあえず今知っていることをペペロネに教えた。
そして後にフリードも貴公子として舞踏会にも出るという情報も得ることに成功し、それを聞いたペペロネが弾まんばかりに喜び、舞踏会への意気込みをさらに強めたのだった。




