黒龍の騎士団長2
夜の使用人食堂にはたくさんの人が集まっている。
既婚者など通いの者もいるが、大半の使用人は王宮内で暮らしているから大変な人数になる。
だから食堂は四ヶ所に別れていて、使う場所が決められているのだ。
シルディーヌが使うのは侍女寮に近い東の食堂で、アルフレッドが使うのはたぶん南の食堂だ。食事中に会うことはないはず。
シルディーヌは新米侍女仲間と一緒にテーブルを囲んでいた。
今夜は、マッシュポテトとグリルチキンにポタージュスープ。
質素だが、ここナダール王国ではごく一般的な夕食メニューである。
ほくほくと湯気の立つ柔らかなパンは、口に入れると芳醇なバターの香りが鼻を突き抜ける。
使用人の食事といえども食材がいいのだろう、田舎で食べていたパンよりもおいしくて、いくらでも食べられそうだ。
特に心身ともに疲れた今日は、食も大いに進むというもの。
小さな幸せを感じつつほおばりながら、みんなで話すのは今日の仕事のこと。
ミスをしたこと、先輩侍女に注意されたこと、お互いの情報を交換し合って愚痴を言ったりしている。
シルディーヌも今日の出来事をしゃべってスッキリしてしまいたいが、いかんせん、ことがことだけに話せるものではない。
ひたすらみんなの話に相づちを打っていると、向かい側に座っているペペロネが水を向けて来た。
「ね、シルディーヌは? 西宮殿はどうだったの?」
「素敵な貴公子さまにお会いできたの?」
隣にいるキャンディもシルディーヌの顔を覗き込む。
期待を込めた、キラキラした視線がシルディーヌに集中する。
みんな同じように、田舎から出て来た貴族令嬢たちだ。
各々事情は違えど、目的はシルディーヌと一緒で年齢もほぼ同じ。
興味津々な眼差しを向けられて言葉に詰まってしまう。
「えーっと、そうね。残念ながら、貴公子さまには会えていないわ。ひとりも」
そう言った途端に、みんなから残念そうな声が上がった。
あれからずっと黒龍殿の清掃をしていて、結局西宮殿に行っていないのだ。
『お前は整理整頓でもしていろ』
アルフレッドに言われて、ずっと、雑多なものが仕舞われた物置部屋の中にいた。
ホコリまみれの何に使うか分からない道具をひたすら雑巾で拭いていて、『今日は、もう終わりだ』と突然言われ、ぽいっと外に出されたのだ。
外はもう夕暮れになっていて、そんなに時間が経っていたのかと驚いていると『早く戻れ』と急かされたのだった。
不思議なことに黒龍殿の廊下にも入り口にも人っ子一人おらず、騎士団員にすら会っていない。
仕事が終わったことを侍女長に報告するときに、西宮殿に行っていないことを叱られると思っていたが、なんのお咎めもなかった。
約束通り、アルフレッドが何とかしてくれたのだろう。
『俺の言うことを聞くなら……』
いったいどんなことを要求されるんだろうか。
イジワルなアルフレッドの考えることだから、ろくなことじゃないだろうが皆目見当がつかない。
嫌な予感しかしなくて、シルディーヌはため息を吐きながら肩を落とした。
「まあ、シルディーヌったら、気を落とさないで。先は長いんだもの。いつかは素敵な貴公子さまに出会えるわ」
「そうよ。今日はたまたまタイミングが悪かっただけだわ」
「シルディーヌはきっと西宮殿の専属になるわ。そうすれば、毎日チャンスがあるわよ!」
「……ありがとう」
みんな優しい。心配げに眉を寄せて励ましてくれるから、シルディーヌは笑顔を作って見せる。
すると、ペペロネが「あ、そうそう、そうだわ」と、突然思い出したように話し始めた。
「先輩侍女からうかがったのだけど。たいていの貴族侍女は、貴公子さまよりも騎士団員の方に恋をしてしまうらしいわ」
「まあ! 騎士団員って、あの黒龍騎士団の?」
「荒くれ者が揃ってるって噂だけれど、そんなお方と?」
みんなの興味がペペロネの話に移り、シルディーヌも思わず身を乗り出した。
これは聞き捨てならないことだ。まさか、アルフレッドにも恋人がいるのだろうか。
いつも不機嫌そうで怖い、あのアルフレッドにも!
「そういう方ばかりじゃないみたいなの。それに騎士団員の方って、逞しいでしょう。強いところを目の当たりにすると、コロッと参ってしまうんですって。それに団服姿も素敵だし、深窓のご令嬢ほど、彼らに魅力を感じて恋をしてしまうらしいわ」
ペペロネが話すには、黒地に紺碧の刺繍の入った団服を着、黒い馬にまたがる黒龍騎士団の姿はなんとも雄々しくて素敵で、ひと目で恋に落ちてしまう令嬢もいるという。
「じゃあ、あの鬼神の団長にも、恋をする侍女がいるのかしら?」
シルディーヌがわくわくしながら尋ねると、ペペロネは「もちろんよ。しかも一番人気らしいわ!」と言って首を縦に振った後、すぐに「だけど」と顔を曇らせた。
「黒龍の騎士団長は、カタブツっていうか、全然靡かないらしいわ。王妃さま付きの伯爵令嬢が猛烈にアプローチしたのだけど、眉ひとつ動かなかったって。そればかりか、『お前よりもカエルのほうが百倍ましだ』って一蹴されてしまって!」
「えーっ!?」と、みんなの口から一斉に驚きと非難の言葉が飛び出る中、シルディーヌはひとりで納得して顔を引きつらせていた。
いかにも、アルフレッドの言いそうな言葉なのだ。
「そんなこと言うなんて!」
「いくらなんでもひどすぎるわ!」
「でしょう? お気の毒なことに、その伯爵令嬢はショックのあまりに実家に帰ってしまったそうよ。それでも、団長に恋をする子が絶えないみたいで、気をつけるようにと忠告されたわ」
「それでも恋をするって……黒龍の騎士団長というお方は、そんなに魅力があるのかしら?」
キャンディが心底分からないといった感じで首を傾げる。
ひどい言葉を投げつけられるとの噂が立っても、それをものともしない大きな魅力があるのか。
シルディーヌは、今日再会したばかりのアルフレッドを思い浮かべてみるが、やっぱり怖いばかりで魅力など微塵も感じられない。
シルディーヌは平気で話ができるが、深窓のご令嬢だったら、アルフレッドの地の底から響くような声を聞いただけで失神してしまいそうだ。
若干十九歳で黒龍騎士団を纏める団長になったのは、とても素晴らしいことではあるが……。
シルディーヌがアルフレッドのことを考えている間にも話題はいつしか別のことに移っていき、食事を終えたあとは、侍女寮にあるそれぞれの自室へと戻った。
侍女に与えられている部屋は、入り口から窓まで十五歩程度で横幅は八歩ほどの広さ。
細長くて、サンクスレッドにある自室と比べれば三分の一程度のものだ。
それでもベッドに調度品など生活用具がすべてそろっていて、ひとりで過ごすには十分快適な環境だ。
湯に入ったあと髪を拭きながら、洗濯に出すものなどの仕分けをし、明日の準備を整える。
実家では侍女がやっていたことだが、ここでは全部自分でしなければならない。
アルフレッドは『浮ついている』と言ったが、とんでもない。
身の回りのことが自分でできるようになるのも、王宮侍女として働くことの利点だ。
これを機会に自立を考える令嬢がいるとも聞いている。
明日の準備が終わって髪も渇いた後、ベッドの上に身を投げ出すようにして横たわる。
今日一日で見聞きしたものはびっくりなことばかり。
それが全部アルフレッドに関するものだということが、なんともおかしなことだ。
「みんな騎士団員に恋をする……なんて、本当かしら?」
シルディーヌは、どんな人に恋をするのだろう。
まだ恋をしたことがなく、心の中がどんなふうに変化するのか分からない。
恋することにあこがれはあるが、サンクスレッドでは相手に恵まれなかった。
できるなら、優しくおおらかな心で包み込んでくれる殿方がいい。
そそっかしくて失敗しても咎めずに甘やかしてくれるような、年上の殿方がいい。
この王宮で、そんな人に出会えるだろうか。
まだ見ぬ素敵な貴公子を想像しつつ、シルディーヌは目を閉じた。