ドSな愛は強大1
「夢をみていたのかしら?」
シルディーヌは黒龍殿の入口を箒で掃きながら、こてんと首を傾げた。
なにをしていても思い出すのは昨日のこと。
邸でバイオリンの音色を聴きながら食事をするなんて、シルディーヌにとっては初めての経験だった。
とても雰囲気が良く食事も美味しくて、時間が経つのも忘れるほどに楽しかった。
あんな特別で素敵でロマンチックなことを、イジワルなアルフレッドが考えるなんて……。
それに昨夜アルフレッドは、『夜遅いから危ない』と言って、マクベリー邸から侍女寮の前まで送ってくれた。
王宮内なら警備が行き届いているから危険はないし、人目につくと困るから、シルディーヌは正門まででいいと断ったのだが、頑として譲らなかった。
『駄目だ。お前は考えが甘過ぎる。寮の玄関まで送る』
アルフレッドは気迫満点な声でそう言って、しっかりとシルディーヌの手を掴んで、玄関前で『おやすみなさい』と言うまで離さなかった。
買い物袋を全部持ってくれて、暗闇の中で人の気配を感じると腕の中に入れて隠してくれたりした。
令嬢として扱ってくれたというか、女性として扱ってくれたと言うか、シルディーヌを大事にしてくれている感じがすごく伝わってきたのだ。
それに商店街では、シルディーヌは一度も代金を支払っていない。
アルフレッドがいつの間にか支払いを済ませてしまっていて、後から代金を渡そうとすると毎度視線で遮られた。
最後には厚意に甘えてしまったけれど、昨日はアルフレッドの誕生日だったのに……。
「これじゃ、逆だわ。おかしいわ」
一日の態度を思い返せば普段とは違って紳士的に思え、考えれば考えるほどに、あり得ないと思える言葉が頭に浮かぶ。
「でもまさか、そんなはずないわ」
だってアルフレッドは、とても口が悪いのに。
今日の朝だって、『ふん、今日こそ、俺を快適にしてくれるのか?』とイジワルく言ったのだから。
「ちっとも優しくないんだもの」
アルフレッドは、難解すぎる。
せっせと箒を動かしながらもぶつぶつ呟いていると、背後から呼びかける者がいた。
振り向くと、数束の書状を抱えたフリードが階段を上がってくる。
ちょっと心配そうな顔をしているが、なにかあったのだろうか。
「フリードさん。アルフのお使いに行ってきたんですか?」
「はい、そうなんですが……シルディーヌさん、大丈夫ですか?まさか、具合が悪いんですか?すぐに団長に言わなければいけません」
「そんなことないわ。元気いっぱい、いつも通りよ」
シルディーヌは笑顔を見せるが、フリードはなにか言いにくそうな、困ったような表情をしている。
「私、どこか変かしら?」
「はい、その、ずっと同じところしか掃いてませんでしたので、おかしいなあと思いまして」
「え? あ……」
言われてみれば、全然動いていなかったことに気付く。
入口ポーチのほぼど真ん中をひたすら掃いていた。
入口両側に立つ警備員たちが、笑うでもなく憐れむでもない、なんとも微妙な表情をしてシルディーヌを見ていた。
「ちょっと、考え事をしていたの。だから……」
「どうかしたんですか? まさか、団長とケンカしましたか」
フリードがそう口にした途端、警備員のふたりが「げげ! マジですか!」「あの団長とケンカ? この侍女が?」と、シルディーヌを値踏みするように見る。
彼らは王宮警備隊員で、黒龍殿に配備されたばかり。
ここではシルディーヌが“団長の女”で通ってることをまだ知らない。
そうなった経緯を彼らに説明するわけにもいかず、シルディーヌはフリードをポーチの隅に誘って声をひそめた。
「ケンカじゃないわ。逆なの。だから戸惑ってるの」
シルディーヌは、商店街でお金を使わなかったことや、誕生日なのに『物はいらない』と言われたことを簡単に話した。
とにかく、謎の答えのヒントがほしい。そう思ってのことだ。
「おかしいでしょう? アルフだったら、ほしいものをたくさん“無理でも準備しろ”って言いそうなのに。逆だったの」
「あー、シルディーヌさん。それは、違います。団長のほしいものは、この世でたったひとつしかありませんから。物は買えますが、それは、買えません」
「それは、まさか……。ひょっとして……もしかして」
シルディーヌは、こくんと息をのんだ。
言葉にするにはとても恥ずかしい。
けれど、フリードの意見を聞いてみたい。
「ほしいものは……あの、その、わ……わ、私だったり、するのかしら? なんて! そんなこと、ありえ」
「いいえ、あります」
即座に否定の言葉をくっつけようとしたシルディーヌを遮り、フリードはきっぱりと言ってうなずく。
「団長の愛情は生半可なものじゃありません。愛は、常日頃から滝のようにざんざか降り注いでおられます」
「え、滝のように?? アルフが、毎日?」
「はい。団長の様子を見ていれば分かります」
毎日とは、そんなばかな。あのイジワルなアルフレッドが。
それは、フリードが“団長の女”というフィルターを通しているから、勘違いしてるのでは?
そう考えるが、フリードには明確な根拠があるのかもしれない。
「た、たとえば、どんなふうに?」
「そうですね。これだけは、言えます。団長は、ほぼシルディーヌさんの意向に基づいて行動されています」
「私の、意志をもとに?」
「はい……具体的なことはご自分で発見してください。人から聞くものじゃございません」
そう言い残し、フリードは書状の束を抱えなおして宮殿の中へ入って行く。
シルディーヌはその真っ黒い後ろ姿を見ながら、ぽつりとつぶやいた。
「滝のようって……本当なの?」
シルディーヌは、サンクスレッドにある大きな滝を思い出してしまい、ぶるっと身震いしたのだった。
アルフレッドが、婿候補!?
あのドSで鬼神な、いじめっ子だったアルフレッドが!!
まさかの選択肢が急浮上し、シルディーヌは困惑している。
いったいいつから恋情を抱いていたのだろうか。
もしやサンクスレッドにいるときからか。
幼い頃はいたずらすることばかり考えてて成功すればさも楽しそうに笑い、大人になった今はシルディーヌを困らせることを楽しんでいるようなのに。
日頃の言動からは、どうにも愛情がざんざか降ってくるようには感じられないが、ドSな男なりに精いっぱいの愛情表現をしているのだろうか。
アルフレッドはほぼシルディーヌの意向に基づいて行動をしていると、フリードは言っていた。
それならば、今までのどんなところが……??
「えっと、私は、アルフになにを言ったかしら?」
ひとりで掃除するのが大変だと文句を言ったときは、翌日には、謹慎処分を受けたアクトラスが一日掃除を手伝ってくれた。
あれはもしや、掃除を手伝うようにアルフレッドが命じたのだろうか。
それから、凶悪な犯罪者と廊下でばったり会ったら怖くて震えてしまうと言ったこともある。
後日犯罪者が連れてこられる事態になったとき、連れてくるなどとんでもない!と言って、すぐさま国家警備隊へすっ飛んで行ったという。
あれは、シルディーヌに犯罪者と会わないように、怖がらせないようにするため?
街へ行きたいが人攫いが出るからどうしよう的なことを言ったら、アルフレッドも休みを取って付き合った。
アルフレッドの誕生日だったこともあるが、商店街ではなんだかんだ文句を言いつつもシルディーヌが行きたいお店に連れて行ってくれた。
よくよく思い出すと、アルフレッドはシルディーヌを思うがための行動を取っているようだ。
それならば、わざわざ王太子殿下から許可をもらって黒龍殿の配属にしたのは、シルディーヌに婿探しをさせないためなのか!?
常にそばにおいておき、監視するためだとも言える。
なんということだろう。シルディーヌはアルフレッドの作り出す囲いの中に、まんまと入れられたことになる。
ワイバーンな態度の陰に隠れてピンと来ないが、どうやらとんでもない量の愛情を向けられている感じだ。
このままでは、降り注がれる愛情の滝壺から脱け出せなくなりそうだ。
そして流されるままに結婚!?
イジワルアルフとの結婚生活なんて、どんなものになるのか。
アマガエルに似てるだの能天気だの、さらには犬のようなどと言う人なのだ。
シルディーヌには理解不能な愛し方をされそうなのが怖い。
それでも、太っちょカーネルより数倍良いことは、間違いないのだが。
悶々と考えながら東の食堂に来て、いつも通りに食事を準備してテーブルにつくとペペロネの姿がなかった。
東の食堂に一番近いところで仕事をしているから、いつも一番に来てテーブルを確保しているのに。
「ペペロネなら、さっき侍女長に呼ばれて侍女長室に行ったわ。ね、それよりシルディーヌったら、どうしたの? 今日は具合が悪いのかしら」
キャンディがシルディーヌを見て顔を曇らせる。
「そんなことないわ。元気いっぱいよ」
「そう? いつもはこの縁ギリギリまで注ぐスープが常識的だし、いつも山のように積んでるパンは、なだらかな丘程度よ?」
「あ……」
言われて手元の皿を見れば、たしかに分量が少ない。
今日はそれほど空腹を感じていないみたいで、自分でもちょっと驚いてしまう。
アルフレッドのことで頭がいっぱいだったせいかもしれない。
「少ないのは、今日はあんまり動かなかったから……かしら。それより侍女長は、ペペロネになんの用事かしら?」
仕事が終わってから侍女長に呼ばれるのは珍しいこと。
もしかして、ペペロネに縁談かも!?などと言って、キャンディたちと盛り上がっていると、当の本人が戻ってきた。
にこにこと上機嫌な様子でテーブルまで来ると、空いた場所に一枚の紙を広げた。
「侍女長からとっても素敵な情報をいただいたの! ほら、見て!」
広げられたそれを、シルディーヌたちは額をくっつけ合うほどに身を乗り出して見る。
そこには、大きく書かれた『王宮舞踏会』の文字と開催日時があった。
「王宮舞踏会……!?」
「ねえペペロネ? 侍女長からいただいたと言うことは、これ、私たちも参加できるのかしら?」
「そうなの!! 侍女長がおっしゃるには、今年は王太子殿下の計らいで、私たちみたいな田舎の子爵侍女にも、参加の機会が与えられたんですって! 希望者は申し出てほしいとおっしゃって、私にまとめるようにって!!」
「まあ! 王太子殿下が!? なんて素敵なことなのかしら! もちろん、参加しますわ!」
キャンディが瞳をキラキラと輝かせてシルディーヌの方を見るので、満面の笑みで大きくうなずいてみせる。
舞踏会といえば、独身男女の出会いの場!
きっと貴族院の貴公子も公爵家の貴公子も、たくさん来られるはず!
それに、王太子殿下とお近づきになれる大チャンス!
そんなふうに、みんなでひとしきり盛り上がり、新米侍女全員が舞踏会参加を決めた。
「ところで、みんなはドレスを持ってきてるの?」
ペペロネに尋ねられ、キャンディは一着持っていると答えているが、シルディーヌは持ってきていない。
サンクスレッドの家に頼んで送ってもらうか、どうするべきか考えているとペペロネがポンと手を叩いた。
「私もドレスを持ってきていないの。だから、どうせなら、一緒に買いに行きましょう! 素敵なドレスを着て、貴公子さまの視線を釘付けにするの!」
ペペロネの瞳が燃えるような輝きを放っている。
この場にいる誰よりも、舞踏会での出会いに賭けているような感じだ。
「視線を釘付け……そ、そうよね、そうしましょう! 私がペペロネにぴったりのドレスを選ぶわ」
シルディーヌは二つ返事でそうすることに決め、アルフレッドの不機嫌顔が思い浮かんだがすぐに頭の中から追い出し、ペペロネと休みの日を合わせることを約束した。




