騎士団長の甘い顔4
「……アイツ、走らんと誓った口はウソか」
アルフレッドは、逃げていく背中をにらみつつ、吐き捨てるように言う。
再び追いかけようとする気配を感じ取ったシルディーヌは、アルフレッドの服の端をぎゅっと掴んだ。
このままでは楽しいはずのお出かけが台無しになりそうで、玉砕覚悟で気をそらすことを試みる。
「ね、アルフ。もういいでしょう?あの人は充分わかったはずよ」
「ふん、どうだかな。懲りずに繰り返す奴は山ほどいるぞ」
「そ、そうかもしれないけれど……」
アルフレッドは仕事熱心だから、悪いことをする人を許せないのだろう。
けれど、どうしてこんなにあの男性に執着するのだろう。
シルディーヌにぶつかっただけで、大悪人ではないのに。
「えっと、でも、アルフは今プライベートでしょう?私、アルフとお買い物を楽しみたいわ」
そう言った瞬間、アルフレッドは男性を睨みつけるのを止め、シルディーヌの方に向き直った。
「……お前は、俺と、楽しみたいのか?」
「ええ、そうよ。せっかくのお休みなんだもの。ほら、アルフも紅茶を買うって言っていたでしょう? 早くおすすめの紅茶店に連れて行ってほしいわ」
ね?と言って精いっぱいの笑顔を作って見つめると、アルフレッドの表情から暗黒さが消えうせ、いつもの雰囲気に戻った。
「そうだったな。早く行こう」
アルフレッドはシルディーヌの腰に手をまわして、そっと抱き寄せるようにする。
早く行こうと言いながらも、アルフレッドは動こうとしない。
シルディーヌの体をふわりと包んだ腕は、まるで高価な美術品を扱うがごとく慎重で優しい。
ついさっきまでは、鬼神のような腕力を見せていたというのに。
シルディーヌはそんなアルフレッドに戸惑いつつも、不思議と心地よさを感じていた。
ドSな男の腕の中が安心できるなんて、自分でもよく分からないが、いつまでもこうしていたくなる。
でもここは商店街のど真ん中。
今は、太った男性の一件でみんなの注目を集めてしまっているはず。
それに恋人同士でもないのに密着しているのは、すごくおかしなことだ。
恥ずかしくなったシルディーヌが離れようと身じろぎするけれど、容易く解けると思っていたアルフレッドの腕は、びくともしない。
シルディーヌを腕の中に入れて離さない理由が見つからず、もしやこれも“拘束”という名の罰なのかと思い至る。
商店街に入る前に“人が多い”と注意を受けていたことは確かで、周りを見ずに走りだそうとしたのは、いけないことだった。
謝ろうとして口を開きかけると、不意にアルフレッドが歩き始めたのでタイミングを失う。
シルディーヌの腰を引き寄せたままで、足取りは大切な荷物を運ぶかのように慎重。
それはシルディーヌのことを気遣っており、縦横無尽に歩く人並みからしっかり守られていると感じる。
急な態度の変化に戸惑いつつもアルフレッドを見上げれば、周囲に視線を配りながらもしっかり前を向いていた。
その精悍な横顔を見、シルディーヌはあるひとつの言葉を頭に思い浮かべた。
でもそれは、これまでの言動から考えれば有り得ないようなもの。
だがしかし、今のアルフレッドの紳士的な様子は、その可能性がありそうで……。
でもまさか、そんなはずは……。
「あの、アルフ。ちょっと待って?」
「なんだ。また寄りたい露店を見つけたのか。面倒な奴だな。どこだ」
舌打ちをしそうな勢いで言われてしまい、さっき頭に浮かべた甘い言葉は早々に打ち消した。
やっぱりいつもと変わらない、イジワルアルフだ。
「違うわ。この歩き方は、おかしいと思うの。私がアルフの腕を掴む約束だったでしょう?」
シルディーヌは、自分の腰にあるアルフレッドの手の甲をペシペシと叩いた。
精いっぱいの、離してほしいアピールだ。
「なんだ、そんなことか」
「ここは公道よ。とっても大事なことだわ」
「そうだな、大事なことだ。お前が夢中になってコロコロ飛び回ると予想はしたが、まさか人とぶつかって吹っ飛ぶとは思わなかった。ちょっと、目を離したすきに……」
いったん言葉を切ったアルフレッドの表情が、後悔をしているように歪んで見える。
「この先は、俺がお前を捕まえて歩くことにする。だから、ペシペシ叩かれても、抓られても、ひっかかれても、片時も手を離すつもりはないぞ」
シルディーヌの腰にある手に、僅かに力が入った。
その語調と様子から、アルフレッドが本気なのが伝わってくる。
「誤解しないで……抓ったり、ひっかいたり、そんな乱暴な事しないわ」
否定しながらも、シルディーヌは内心ちょっぴり慌てていた。
頭のいいアルフレッドには、シルディーヌのすることなどお見通しのよう。
実はちらっと考えたのだが、後々“お前がつけた、このケガの責任を取ってもらおうか”などと迫られ、とても恐ろしい報復が待っていそうで叩くにとどめたのだから。
けれど、口は悪いが、アルフレッドがシルディーヌのことを心配しているのは、事実のようだ。
一緒にいる責任感からなのか、それとも、シルディーヌだからなのか。
アルフレッドの胸の内は難解で、シルディーヌは首を捻るばかり。
でもどちらにしても今は意向に従うほかになく、抵抗をあきらめて買い物を楽しむことに決める。
周りに目を向ければ、かわいい雑貨店に素敵な洋品店など、興味をそそる店構えが次々と目に入って再びわくわくと胸が躍り始める。
「ね、アルフ。あのお店にも寄りたいわ!」
「……覚えておく。後でな」
まずはアルフレッドおススメの紅茶店に行くと、紅茶のいい香りが店中に漂っていた。
内装は茶色を基調とした色合いで、とても高級な雰囲気がする。
ショーケースには紅茶を使ったクッキーやケーキなども売っていて、どれも欲しくなって迷ってしまう。
「アルフは、どの紅茶を買うの?」
「俺はいつもキーマンだ」
アルフレッドは、迷わずにキーマンを購入している。
それに対し、シルディーヌはキャンディの先輩侍女が運命の人に出会ったというだけで、紅茶店に行きたいと思ったため、なにを買うと決めていない。
いつも飲む紅茶はダージリンだが、今日は初給金を使うのだ、できれば新しいものに挑戦したい。
「お連れさまはお迷いのご様子ですね。これは新発売の紅茶です。あちらに座って試飲できますが、どうですか?」
う~んと悩み続けているシルディーヌに、かわいい女性店員さんが店の隣にある喫茶コーナーを示した。
そこでは数人の男女が花柄のカップを手に談笑している。
割と広めのスペースで椅子も大きく、ゆったり落ち着いた雰囲気がして、とても素敵だ。
「今なら特別に、焼き立ての紅茶クッキーもお付けしますよ」
「まあ、本当ですか!?」
にっこり笑顔の店員さんに、シルディーヌも満面の笑みを返す。
きらきらと光る瞳でアルフレッドを見つめて促すと、「む……仕方がないな」とため息交じりに言い、喫茶コーナーに移動する。
向かい合って座って待っていると、すぐに紅茶が運ばれて来た。
「新発売のアーセラです。香りがいいので、ストレートでどうぞ」
カップに注がれた液体はオレンジ色で、果物のような甘い香りが立ち上っている。
「いただきます」
さっそく口にすると、苦みがなくて柔らかな甘みと香りがふわっと広がり、最後に少しの酸味が口中に爽やかさを残した。
ほんわりと温かい気分になり、心も体も癒されるいい感じだ。
侍女のお茶の時間に飲んだら、身も心もすっきりして、きっと最高な気分になるだろう。
これを買うことに決めてアルフレッドを見れば、カップを持ったまま窓の外を見ていた。
太った男性に吹っ飛ばされたあの時も、アルフレッドは他所を注視していたことを思い出す。
今はなにを見ているのだろうか。
何気なく視線を辿れば、若い女の子のグループが目に入り、何故かムッとしてしまう。
「アルフったら、どこを見ているの? さっきも、別のところを見ていたでしょう?」
「こう人が多いと、挙動不審な奴がすぐ目につくんだ。さっきお前が露店を見ていたときも、スリっぽい男を見つけたな」
「え!? あのとき、そんな人がいたの? 今も外にいるの?」
「ああ、商店街に来ているのに、店じゃなくて人ばかり見ている奴がいる。目つきも十分怪しいな」
そう言いながらも、アルフレッドは落ち着いた感じだ。
「捕まえなくていいの? 職務質問とか、しないの?」
「しない。今は団服を着てないし、ましてや希少なプライベートだ。ここは国家警備隊が管理しているから、事件が起きても、奴らに任せておけばいい」
「そういうものなの?」
鬼神と呼ばれる黒龍の騎士団長とは思えない発言で、シルディーヌは意外に思う。
犯罪を見つけたらすぐさま飛んで行って捕まえそうなのに。
現に、シルディーヌにぶつかっただけの男性を、瞬く間に捕まえて来たのだから。
でも考えてみれば、騎士団長だからといって、プライベートに仕事をするのはおかしいことかもしれない。
アルフレッドの対応は正しいのだろう。
「まあ、団服を着ていても、今日はなにもしないがな」
「分かってるわ。貴重なお休みだもの。アルフも仕事を離れたい時があるのよね。いつもお仕事大変そうだもの」
労いの気持ちを込めて言うと、アルフレッドは紅茶をクイッと飲み干してテーブルに置き、シルディーヌをじっと見つめた。
「いや、ちょっと意味が違うな。今は俺にとって大事な時間だからだよ。だが、邪魔が入れば排除する」
邪魔というのは、もしや太った男性の一件だろうか。
大事な時間というのは、滅多に取らない休暇とどう違うのか。
それは、まさか……。
シルディーヌの中で、いったん打ち消した甘い言葉が再び浮上する。
いや、でも大きな勘違いかもしれない。
「えっと、それはつまり……どういう意味なの?」
「そのままの意味だよ。で、紅茶はどうするんだ?決めたのか」
「ええ、このアーセラを買うわ。すごく気に入っちゃったもの」
「ふん、単純な奴だな。勧められたら、なんでも買いそうだな。気をつけんと、そのうち粗悪品をつかまされるぞ」
「そんなことないわ。大切なお金を使うんだから、ちゃんと吟味するわ。これは、本当に気に入ったから、買うの。毎日休憩時間に飲むつもりよ」
「……ふむ、まあ、いいだろう」
アルフレッドはぼそっと言った後店員を呼び、アーセラを注文すると、シルディーヌがお金を出す前に、さらっと支払いを済ませてしまった。
「ほら、行くぞ」
「アルフ、紅茶代を……」
差し出された手を取りながらおずおずと尋ねるシルディーヌを、アルフレッドはジロッと睨む。
視線だけで黙らされてしまい、どうやら買ってくれたのだと悟った。
「ありがとう」
「礼を言うな。紅茶くらい、大したことじゃない」
荷物を持ち、シルディーヌの腰を引き寄せて歩くアルフレッドは紳士的で、黒龍殿でのワイバーンぶりとは大きな隔たりを感じる。
そしてその後も「まったく、ここだけで日が暮れるぞ」と渋い顔でぼやきながらも、アルフレッドはシルディーヌの買い物に付き合ってくれた。
雨傘と雑貨、ほしいものを手に入れてホクホク顔のシルディーヌは、アルフレッドに向き直った。
「ありがとうアルフ。今日はとても楽しかったわ」
「満足したな? ならば、今からは、俺に付き合ってもらうぞ」
「……え? 今から??」
商店街にいた時間が長く、もう日が傾きかけてきている。
用があるのなら、もっと早く言ってくれればよかったのに。
シルディーヌがそう言うと、アルフレッドは首を横に振った。
「今からの方が、都合がいい。多分、丁度いいくらいだな」
アルフレッドは謎めいたことを言い、商店街の入り口近くにある広場へとシルディーヌを誘った。




