騎士団長の甘い顔3
アルフレッドとの約束の日の朝、シルディーヌは鏡の前に立ち、くるりと一回転してみた。
ふんわりと裾が広がって、艶やかなピンクブロンドの髪がさらりと揺れる。
胸元と裾にレースとリボン飾りのついた若草色のワンピースは、シルディーヌのお気に入りのもので、自分でもよく似合うと思っている。
仕事の時はひとつにまとめている髪はおろし、両サイドはねじって後ろにもっていって花の髪飾りで留めてある。
侍女がいないため、サンクスレッドで暮らしていたときのように凝った髪型にはできないが、これだけでも十分かわいらしく、満足の笑みをこぼした。
久しぶりにお洒落をすると気分がとても華やかになって、体も軽やかになる。
服装が整えば、次は持ち物の準備だ。
シルディーヌは、チェストの引き出しを開いて小さな革袋を取り出した。
茶色のシンプルなこれには、初めてもらったお給金が入っている。
婿探しをする暇もなく、むさくるしい黒龍殿でお掃除三昧だったこの一か月。
アルフレッドの言動に翻弄されつつ夢中で過ごしてきたが、報酬をいただけたのはつい昨日のことだ。
侍女長から手渡されるものだと思い込んでいたけれど、夕日が射し込む黒龍殿の団長部屋で、『給金だ。受け取れ』と、アルフレッドから渡されたのだった。
事前に知らされていなかったこともあって少し驚いてしまい、おずおずと差し出した両手の上に、アルフレッドは革袋をのせてくれた。
汚さに辟易して害虫におびえながらも一生懸命掃除して得たものは、実際の金額よりもずっしりと重く感じた。
『これが、私のお給金……』
すごくうれしくて、じーんと感激しているシルディーヌに、『まあ、へなちょこなりに、よくがんばったな』と言葉をかけたのはアルフレッドだ。
いつもイジワルなことばかり言うのに、珍しくも労われて、働いてお金を得るってとても尊いことなのだと、改めて感じた瞬間だった。
「大切に、使わなくちゃね」
シルディーヌは革袋の中からお札を三枚取りだして、残りは引き出しの中に仕舞った。
今日は、王宮に来て以来初めてのお出かけに加えて、初めて自分で稼いだお金を使う記念すべき日だ。
一緒に過ごす相手が、ドSでイジワルなアルフレッドであっても、この上なく充実した一日にしてみせる。
当初の目的とは大幅にずれてしまっているが、シルディーヌはすっかり気分を切り替えて、思い切り楽しむことに決めていた。
うきうきしながらクローゼットからバッグを取りだし、ふと壁にある掛け時計を見る。
「大変だわ!もう行かなくちゃ!」
約束の時間まで、あと三十分ほどになっている。
待ち合わせ場所は王宮の外で、正門から離れたところにある橋のたもとだ。
余裕を持って支度をしていたはずなのに、遅れたらアルフレッドになんて言われるか。
シルディーヌは急いで部屋を飛び出した。
正門から出て橋のたもとに向かうシルディーヌの瞳に、ブルーのフロックコートを着た背の高い若者の姿が映った。
広い川に渡された大きな橋は、商店街への入口のひとつになっているため、大変人通りが多い。
若者は橋のたもとに立っており、通る人波でときおり見え隠れしているが、頭一つ抜けている巨大さは遠目でもすぐに分かる、アルフレッドだ。
大変見目麗しいために人目をひいているようだが、行き交う老いも若きも避けるように遠ざかり、急ぎ足で橋を渡っているよう。
そんな中で、華やいだ様子の若い女性のふたり組みがアルフレッドに近づこうとしている。
どうやら話しかけようとしているみたいだが、目が合うとビクッと体を震わせて立ち止まり、ふたりでしっかり手を繫いで逃げるように去って行った。
それを見ていたシルディーヌは、密かに嘆息した。
無理もない。プラチナブロンドの髪を風になびかせて立つ姿は、一見とてもスマートで素敵な紳士。
だが仁王立ちで腕組みをしており、視線だけでネズミの息の根を止めそうな迫力を放っているのだ。
話しかけようとした女性ふたり組には、「勇気がある!」と褒めてあげたい気分になる。
間もなく道を歩いているシルディーヌを見つけた様子のアルフレッドだが、それでもたいそう不機嫌そうにしている。
もしやものすごい遅刻をしているのだろうか。
むっすり不機嫌オーラ全開のアルフレッドが一緒では、楽しめるものも楽しめない。
シルディーヌは焦り始め、小走りで橋のたもとに向かった。
「ごめんなさい、アルフ。すごく待たせちゃったの?」
ワンピースの裾をふわふわと揺らして駆け寄り、開口一番に謝って見上げると、アルフレッドは予想外の反応を示した。
視線だけでネズミの心臓を止めそうだった迫力と不機嫌さが消え、夏空のように青い瞳からは和やかささえ感じる。
団服を着ていないから、雰囲気が違って見えるのだろうか。
でもさっきまで感じていた鬼神の迫力は、いったいどこへ……??
シルディーヌの頭の中で小さな疑問符が踊り狂う。
アルフレッドは、そんなシルディーヌを見つめたまま黙っていたが、しばらくして思い出したように口を開いた。
「……いや、待ったのはほんの十分程度だ。俺が、早く来過ぎただけだな」
アルフレッドは左腕のひじ辺りを、シルディーヌの方へ差し出した。
「……なに?」
「腕に掴まれってことだ」
ぶっきらぼうに言われたが、シルディーヌは躊躇する。
腕を組んでお買い物だなんて、まさに恋人同士のすることだ。
こんな不特定多数の人が行き交う公道でそんなことをして噂が立てば、シルディーヌだけでなくアルフレッドも困ることになるだろう。
シルディーヌは、ぶんぶんと首を横に振って、断る意思を伝えた。
「商店を見てはしゃぎ過ぎたお前が、犬みたいにコロコロ飛び回るのが目に浮かぶ。こんな人の多い中でそんなことになったら、俺が困るんだ。お前が腕を掴まないなら、俺がお前を捕まえて歩くぞ」
アルフレッドは、有無を言わさぬ迫力で迫る。
捕まえて歩くとは、いったいどんな状態だろうか。
シルディーヌが素敵な店を見つけてふらふらと近寄れば、勝手に行くなとばかりに襟首をつままれて、そのまま獲物のように運ばれるということだろうか。
すぐに、いやいや有り得ないことだと否定するも、ドSなアルフレッドならやりかねないと思いなおす。
「飛び回ったりしないわ。素敵なお店を見つけたら、ちゃんとアルフに言うもの」
「いや、それだけじゃ駄目だ。お前、王都の商店街の賑わいをなめるなよ?」
真剣な表情のアルフレッドに強く促され、シルディーヌはやむなく腕に手を伸ばした。
途中で必要ないことに気づけば、手を離せばいいのだ。
そっと腕に手を回せば、アルフレッドの大きな手のひらが重ねられて、ぐっと押さえつけられた。
「道では絶対に手を離すなよ。まず、どこに行きたいんだ? 紅茶店か、雨具店か?」
さっきまでの強い語調と変わり、今の質問はとても優しく感じる。
ほんの数分のやり取りの中で、アルフレッドはシルディーヌにいろんな表情を見せてくる。
黒龍殿では、たいていワイバーンな顔をしているのに。
これは、プライベートの開放感によるものだろうか……。
「えっと、そうね……まず、どんなお店があるのか、ひとまわりしたいわ」
橋を渡りきって商店街に入るとすぐ、シルディーヌは人の多さに目を瞠った。
二頭立ての馬車が二台並んで通れるほど広い道なのに、まっすぐ歩くことができない。
みんな縦横無尽に動くため、ぼんやりしているとぶつかってしまいそうになる。
まるで王都中の人がここに集まっているかのようで、余裕で歩けるサンクスレッドの繁華街など比ではない。
確かに王都をなめていたと反省し、アルフレッドの腕を強く掴みなおした。
最初は気をつけて歩いていたシルディーヌだったが、アルフレッドの強いリードによって歩き慣れてくると、次第に商店街のきらめきに夢中になる。
どうにも、わくわくする気持ちを押さえられなくなってきた。
だって、道の両側にお店があるのは勿論だが、真ん中にも小さな店が並んでいるのだ。
「アルフ見て!たくさん露店があるわ!」
「ああ、見りゃ分かる。そんなに興奮するな。あの真ん中の店は旅の露天商が多いから、商店にはない外国の珍しい物が結構あるぞ」
アルフレッドにそんな説明をされると、好奇心が抑えられなくなる。
ゆっくり歩きながらちらちら見ると、壺などの美術品や、珍しい色合いの布やバッグなどを売っている店が多いようだ。
おまけに、似顔絵描きまでいる。
そんな中、若い娘が群がっている露店を見つけた。
話をしながら楽しそうにしている様子が気になって店を覗くと、かわいいアクセサリーが目に入る。
小さな看板には、手作りアクセサリーと書かれていた。
「ね、アルフ、寄ってもいい?」
「……まず、ひとまわりするんじゃなかったのか? お前、さっきから露店しか見てないだろう」
「でも、見たいわ。少しだけ、いいでしょう?」
「ふん、仕方がないな」
アルフレッドの腕から離れて、商品を眺める。
どれもかわいくてほしくなるが、中にひとつだけ気に入ったものを見つけた。
小さな赤い宝石を繋げて作られた、大きな花の髪留めだ。
それほど高くなく、今までは迷わずに買っていた値段のもの。
しかしバッグの中にあるのは大切に使うと決めた初給金で、どうせならもっと特別なものを買いたいと思う。
シルディーヌは迷った末に買うのを止めて、アルフレッドの元へ戻るべく振り返った。
アルフレッドは少し離れた位置に立っていて、シルディーヌではなくどこか他所の方をじっと見つめていた。
駆け寄ろうと一歩踏み出すと、横から走ってきた太った男性とぶつかってしまった。
「気をつけろ!」
太った男性は謝るどころか捨て台詞を吐いて走り去るが、突然のことで反論もできない。
それよりも困ったことに、華奢な体のシルディーヌはぶつかった勢いに任せて横っ飛びになり、宙に浮かんでいた。
目に映る景色がスローモーションのようにゆっくりになり、アルフレッドが何かを叫びながら駆けてくるのも見える。
だが間に合わないかもしれない。
そのまま成す術もなく、石畳にたたきつけられると覚悟して目をつむった瞬間、走りこんできたアルフレッドの腕にがっしりと抱き留められた。
「まったく、こんなに目が離せんとは……」
大きなため息が吐き出されて、シルディーヌはぎゅっと抱きしめられた。
「どこか痛いところはないか?」
「ないわ。でも強いて言えば、ぶつかった腕が少し痛いくらいよ」
「……そうか、分かった。ちょっとここで待ってろ」
「え? アルフ、どこへ行くの」
アルフレッドはシルディーヌを残し、矢のごとき速さで太った男の走り去った方へ駆けていく。
すぐに人並みにまぎれて見えなくなったが、間もなく「ぐえぇっ」とカエルを踏んだような声が聞こえてきた。
同時に大勢がざわめく声もし、道を歩いていた人の動きがぴたりと止まった。
みんなが息をのんで見つめているような雰囲気が伝わってくる。
「……まさか、アルフレッドがなにかをしているの?」
シルディーヌの胸に嫌な予感が広がる。
そう、アルフレッドは敵を完膚なきまでに叩きのめすという鬼神の騎士団長なのだ。
しかし、シルディーヌがぶつかって吹っ飛んだだけで、アルフレッドのおかげでケガもしていない。
だから太った男性は、敵やすごい悪人というわけではないだろう。
「まさか、ね……?」
一抹の不安を感じながらアルフレッドの戻りを待っていると、ざっと人が分かれて一本の道ができた。
その真ん中を、太った男を担いだアルフレッドが悠々と歩いてくる。
担がれている男性はとてもぐったりしていて、身じろぎひとつしない。
その様子を見てシルディーヌは、ある光景を思い出していた。
アルフレッドが素手で粉々にしたという室内鍛練場の硬い壁。
あの凄まじい腕力で思い切り殴られたら、生身の人間は気絶どころじゃすまないかもしれない。
そして、シルディーヌ自身も、剣を向けられたり強く抱きしめられたり、何度か命の危機を感じたことがあった。
ぐったりしているあの男性は……いや、しかし、まさか……。
息をのんで見つめているシルディーヌのところに戻ったアルフレッドは、樽のように太った男性を担いできたのに息ひとつ乱れていない。
これは、さすが鬼神の騎士団長と言うべきことだろうか……。
だが今は、そんなことに感心している場合ではない。
シルディーヌはおずおずと訊ねた。
「あ、あの?アルフ?訊いてもいいかしら?」
「なんだ、いちいち前置くな。訊きたいことがあるなら、さっさと訊け」
「そ、その人に、なにをしたの??」
生きてるの?の言葉は、口にするのも怖くて止めておいた。
「ああ、捕まえて投げ飛ばしたあと、胸ぐらをつかんで、少しばかり説教をしただけだ」
アルフレッドは淡々と答えると、シルディーヌの前の地面に担いでいた男性をどさりと下ろした。
「イテテ……ああ、なんてことだ。まったく、ひどい扱いだ……」
男性の口から呻くような声が出されて、シルディーヌはホッと安堵の息を零す。
動かなかっただけで、ちゃんと意識はあったのだ。
「こんなことが許されていいのか。たかだか小娘にぶつかったくらいで」
男性は体を擦りながら、小声で文句を言い続けている。
それを聞いているアルフレッドの雰囲気が、みるみるうちに暗黒色に染まっていき、シルディーヌはぎょっとしてしまう。
「たかだか小娘……だと?」
アルフレッドはぼそっと呟いた。
それは僅かに唇が動いた程度の小さな声だが、血も凍りつくほどに冷たく聞こえ、男性はビクッと体を震わせてアルフレッドを見、サーッと青ざめた。
「貴様。自分のしたことがどういうことか、まだ分かってないようだな?」
アルフレッドが一瞬でネズミが絶命するような視線を向けながら迫ると、男性は座りながらもピシッと姿勢を正した。
「ひいぃっ、ごめんなさいぃっ! 分かっております! はい、二度と、二度と、人混みの中を走りません! それからそのお方は、たかが小娘ではありません! 唯一無二の素晴らしい娘さんです! ど、どうかお許しくださいぃっ!」
叫ぶように言って、地面にひれ伏すように頭を下げたあと、樽のような巨体を機敏に動かして立ち上がった。
そしてシルディーヌとアルフレッドをおびえた目で見、脱兎のごとく逃げていく。




