騎士団長の甘い顔2
翌朝の空は黒い雲が広っていて、今にも雨が降り出しそうだった。
シルディーヌが赤い雨傘を持って黒龍殿に来ると、一階のホールでは騎士たちが出かける準備をしていた。
今日は曇天のためか、みんな団服の上に雨避けのマントを羽織っている。
五人くらいのチームで出かけるところは何度か見たことがあるが、今朝は三十人ほどが真剣な面持ちで準備を整えていた。
多分これが黒龍騎士団の中の、一部隊の人数なのだろう。
多くは険しい顔つきをしていて、数人で固まってメモ書きのようなものを見ている。
なにか事件が起こったのか、いつになく物々しい雰囲気で、シルディーヌは圧倒されてしまう。
それにホールが騎士でいっぱいなため、心理的にも物理的にも進みにくい。
黒龍殿の入口で止まり、思い切って騎士たちの中を突っ切るべきかと悩みつつ眺めていると、顔見知りの騎士の姿を見つけて安堵の笑みがこぼれた。
ガタイのいい騎士たちの中にあっても、ひときわ目立つクマのように大きな体は、アクトラス隊長だ。
彼に頼めば、簡単にホールの中を通れそうだ。
「アクトラスさん!おはようございます」
「お、シルディーヌさん。おはようございます!」
入口で立ち往生しているシルディーヌの元に、アクトラスが近づいてくる。
その表情は、以前一緒に掃除をした時に見た人懐っこい顔とは違って、とても険しいものだ。
「アクトラスさん。なにか事件があったんですか?」
「はい、凶悪な事件です。今街では、綺麗な若い娘が突然いなくなるということが頻発していまして、団長から見回りの強化と捜査をする様に命じられたんです」
「いなくなるって……もしかして人攫いなんですか?」
「はい、おそらく。背後には人買いの大きな組織があると睨んでいます。見目麗しい嫁入り前の娘ばかりを狙って売るなど、絶対に許しがたいことです!」
アクトラスは瞳をギラリと光らせて大きな拳を握り、燃えるような闘志を見せる。
「今日は俺の隊が一日中目を光らせてきますから、犯人たちにはなにもさせません。聞き込みもして、事件解決に全力を注いできます!」
人攫いの件は国家警備隊が捜査をしているが、なかなか犯人にたどり着くことができず、アルフレッドに応援要請が来たという。
それに、今日のような天気の悪い日は要注意日で、雨が降れば街の通りに人が少なくなるうえに、雨傘などで視界が悪くなるため、比較的犯罪が起きやすいらしい。
今日はアクトラスの部隊と国家警備隊が協力して、街を警戒するのだ。
「シルディーヌさんも街に出ることがあったら、どうか気をつけてくださいよ。もしもシルディーヌさんが攫われたら、本当に、シャレになりませんから」
そう言って、アクトラスはシルディーヌの小さな手を握った。
その真剣な様子に、思わず息をのむ。それほどに、事件は深刻なものなのだ。
「教えてくれてありがとう、アクトラスさん。十分気をつけます。ほかの侍女にも注意しておくわ」
「よおし! お前ら、準備はいいな。行くぞ! 整列!」
アクトラスの号令で、騎士たちが整列して一斉に床を踏み鳴らして敬礼をする。
「じゃ、シルディーヌさん、行ってきます」
「はいアクトラスさん、みなさん、お仕事がんばってください」
出発する騎士たちを見送った後、シルディーヌはアルフレッドに朝の挨拶をするべく二階に向かった。
階段を上がるとすぐに、廊下の奥にある団長部屋から全身真っ黒な騎士のフリードが出てくるのが見えた。
扉を静かに閉めて足音を立てずに歩く姿は、曇天のせいで廊下が暗いのも相まって、少し不気味に映る。
アルフレッドといいフリードといい、足音を立てないで歩くのは優秀な騎士の必須条件なのか。
「あ、シルディーヌさん。ちょうどよいところでお会いしました」
フリードは、シルディーヌを見つけると急ぎ足で近づいてきた。
「下で、アクトラスの隊を見ませんでしたか?」
「ええ、捜査と見回りをするって、出かけて行きました。街で人攫いが出るって、アクトラスさんに聞いて、気をつけるように言われました」
「はい、その通りです。十分気をつけてください。今街は危ないんです。綺麗な娘であれば、ご令嬢だろうが町娘だろうが、見境なく攫われています。もしも街に行くことがあるなら、絶対にひとりで行っては駄目です。もしもシルディーヌさんが攫われたら、どうなるか……」
そこまで言ってフリードは言葉を切った。
そして、なにを想像しているのか分からないが、黒い瞳を鋭く光らせたまま大きく顔を歪める。
「え? え? どうなるかって、いったいなにがですか?」
「いえ、すみません。言っておいてなんですが、それはこちらの事情ですから、どうかお気になさらず。とにかく、シルディーヌさん。街では、ふたり以上での行動をお願いします。必ずです。いいですね!?」
フリードに肩を掴まれんばかりの勢いで念を押されて、ドキドキしながらも、何度も大きくうなずく。
その様子を見て安心したのだろう、フリードは「失礼します」と言って足早に去っていった。
その背中を見送って団長部屋に向かいながら、どうするべきか悩む。
キャンディの昨夜の話から、行動範囲を広げることに決めたシルディーヌ。
アルフレッドに交渉をして休みをもらい、街に出ようと思っていたのだ。
『綺麗な娘』限定ならば、シルディーヌにはあまり関係ないようにも思う。
だが、アクトラスにもフリードにも真剣な顔で注意されてしまうと、しばらく街に出るのはよした方がいいように思う。
しかし確実に婿探しをするために、これからは一日も無駄にしたくないのが本音だ。
「どうしようかしら……?」
ペペロネたちと一緒に街に出るという考えもあるが……。
ゆっくり歩いていたが、とうとう団長部屋に着いてしまった。扉の前でぴたりと止まって、休みの交渉をするべきか考える。
すると突然目の前にある扉がパッと開き、中から伸びて来た手に腕を掴まれ、シルディーヌはそのままぐいっと部屋の中に引き込まれた。
突然のことで抵抗もできず、シルディーヌは引っ張られるままにアルフレッドの胸に飛び込んでいた。
そして何故かそのまま腕の中に納められてしまい、一瞬頭の中が真っ白になる。
どうしてこんな事態になっているのか。
戸惑い、疑問符がいくつも浮かんでしまうが、不思議なことに抵抗しようとは思わない。
それは、シルディーヌを引き入れた強引さとは裏腹に、体を包む腕からは優しさを感じるからだろうか。けれど……。
「ったくお前は、部屋の前まで来たなら、さっさと入って来い」
恐ろしいまでに低い声が頭上から聞こえ、朝っぱらからとても機嫌が悪いと分かる。
「だ、だって、考え事してたんだもの。止まってしまうのも、仕方ないでしょう? でもどうしてアルフは、私が廊下にいるって分かったの?」
田舎の子爵家とはいえ、シルディーヌは貴族令嬢。
淑女のたしなみとして、いつなんどきもしとやかに歩いている。
そのため靴音は静かで、微々たるものだ。
だから部屋の中にいたアルフレッドには、シルディーヌの足音は聞こえないはずなのだ。
「俺は、騎士だぞ。部屋に近づく者の気配を感じ取るくらい簡単だ。特にお前は、能天気な気配がだだ漏れだからな。すぐに、分かる」
「失礼ね。全然能天気じゃないわ! 毎日ちゃんと、いろいろ真面目に考えているもの!」
ぷっくり膨れて反論するシルディーヌを見、アルフレッドの目がイジワルく光る。
「ふん。それならさっき、扉の前ではなにを真面目に考え込んでいたんだ? 言ってみろ」
早く言えと促されて、シルディーヌは言葉に詰まってしまう。
婿探しのためのお休み交渉に悩んでいたなんて、仕事の鬼であるアルフレッドにしてみれば、不真面目極まりないことに違いない。
シルディーヌにとっては、一生に関わる、ものすごく大事なことなのだが。
言うべきか迷っていると、アルフレッドの腕にグッと力が入って密着寸前になった。
これまでずっと腕の中に入れられたまま。
普通こういう状態は、恋人同士の甘い営みが常識だと思うのだが、アルフレッドの場合は“拘束”という名の罰のひとつなのだろうか。
しかし悪いことをした覚えはなく、罰を受ける謂れはない。
アルフレッドの態度や思考は、本当に難解だと思う。
けれど、見つめ合っていると、ごくたまに、ほんの一瞬だけ優しい表情をするときがある。それも謎だ。
「え、えっと……お、お休みをもらうべきか、どうするか……なの」
迷った末に正直に言った結果、アルフレッドの眉間に深いしわができた。
「……休んで、なにをするんだ」
「街に出ようと思ったの」
「なに、街だと? まさか、誰かと一緒に行くつもりなのか? 相手は、誰だ」
「違うわ。ひとりよ。王都に出て来たけれど、まだ一度も街へ出ていないわ。すぐにお仕事が始まったもの。少しは王都ライフを楽しみたいわ」
「む……そんなに行きたいのか」
「ええ、買い物したいわ。紅茶店とか雑貨店とか行きたい。それから、今持ってる赤い傘は古いから、新しい雨傘も欲しいわ。それに、素敵な公園にも行ってみたいの」
買い物も楽しみだが、途中で素敵なお相手と出会うことを想像し、翡翠色の瞳をキラキラと輝かせるシルディーヌ。
運命の人との出会いは、いつどこであるか分からないもの。
可能性のありそうな場所は、とりあえず全部行ってみるつもりだ。
そう、定期的に月に一度は街に出なければ。
ぐずぐずしていたら、一年などあっという間に過ぎてしまう。行動あるのみだ!
「ふむ……意外に希望が多いんだな」
「けれど、アクトラスさんもフリードさんも、今は街に出るのは危ないって言うから、迷っていたの……」
「なるほど、あいつらに聞いたのか」
「フリードさんには、ひとりで行っちゃ駄目だって念押しされたわ。でもペペロネたちと一緒に行くなら、休みを合わせないといけないから難しいの」
「ふむ、悩む必要はないな」
「え? どうして?」
「俺が一緒に行ってやるからだ」
「は……? アルフが!?」
「ああ偶然だな。俺も紅茶店に行きたいと思っていたんだ。ちょうどいい、付き合え」
「え? え? でも、アルフは今、人攫いの事件で忙しいでしょう? 黒龍殿から離れたらいけないんじゃないの??」
「大丈夫だ。ここにはフリードがいるからな。唯一留守を任せておける男だ」
「でも、やっぱり、凶悪な事件だもの。いざというとき、団長がいないと困ると思うわ」
「そんなことはないな。俺がいないだけで団を動かせんなら、副団長を名乗る資格がない」
「でも、お休みの日までアルフと一緒だと、休んだ気がしないわ」
「それは、諦めろ」
婿探しのためのお出かけなのに、アルフレッドが一緒だと意味がない。
なんとか阻止しようとするシルディーヌだが、アルフレッドは考えを変える素振りはない。
それどころか、アルフレッドは黒い微笑みを向けてきた。
「お前は、前に“俺の言うことをきく”と約束しただろう?」
「……へ?」
シルディーヌはハッと思い出した。
そういえば、初日にそんな約束をしたのだった。
「プライベートだ。約束を実行してもらおうじゃないか」
これでは断る術がない。
シルディーヌがしぶしぶ返事をすると、ようやく腕の中から解放された。
「ちょっと待ってろ」
アルフレッドは執務机に向かって何事かを考えたあと、紙切れにサラサラとペンを走らせた。
「ほら、忘れるなよ」
渡されたそれには、日時と場所が書いてある。
シルディーヌは複雑な思いでそれを見つめ、エプロンのポケットにしまった。




