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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第2章「ウェイニング・ギボス・ムーン」
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(2)



***



 まあゆりこは美少女だからイマチはちゃんということを聞いただろうけれど、普段東京暮らしだし虫を怖がっていたしむしろ美少女だから心配だし、八時半をまわってから安否確認と明日の予習も兼ねてゆりこのスマートフォンに電話をかけた。

 お風呂上がりの濡れた髪の毛から、肩にかけたタオルに水滴が滴る。ゆりこもちょうどイマチのお散歩から帰ってお風呂に入っている頃だろうか。

 十コールほど待って切ろうとしたら、ちょうどその時ゆりこが出た。


『もしもし、夏那?』

 ゆりこの声は弾むようだった。脇でテレビがかかっているらしく、大人気MCのよく通る声が聞こえてくる。

「うん、今日どうだった?」

『えっ?』

 ゆりこの声が裏返る。

 えっ、てなんだ、えっ、て。

「イマチに振り回されなかった? あと、不審者とか大丈夫? 七時半ってもう暗くなる頃じゃん」

『うん、だい、じょうぶだった』

「歯切れ悪くない?」

『ごめん夏那、わたしこれから夏休みの課題やるから』

「そう。じゃあもう切るね」


 赤い受話器ボタンを押そうとスマートフォンを耳から離したら、

『あっ、待って!』

 ゆりこが大声を出した。あまりに切実な響きなので、思わず手を止める。

「なに」

『夏那は馬鹿にするかもしれないけど』

「うん?」

『なんかほら、わたしってあんまりフツーの男の子と絡まないから、そういうのもあるかもしれないんだけど』

「まどろっこしい話し方しないでよ。切るよ?」


『……竹臣さんって、いい人だね。それだけ!』


 ゆりこは一方的にそう言って突然電話を切った。電話が切れる音がブチッといやに大きく耳に響く。電話をやめたそうにしたり、引き止めたり、でもそのくせこうやっていきなり切ったり、ずいぶんと忙しいヤツだ。

 それにしても、オミが……なんだって? いい人?

 まあ、確かに悪い人ではないけれど、なんでいきなりこの話の流れでオミが出てくるのだろう。

 不思議には思ったがかけ直すほど気になっているわけでもなかったので、あたしはそのままスマートフォンを放り投げてドライヤーのスイッチを入れた。



 その謎の真相が暴かれたのは、翌日、イマチのお散歩当番があたしに回ってきたときのことだ。



 赤ちくじーさんの家に行くと、なぜかオミがいた。室内から漏れるあかりが庭につくっている四角いスペースの中で、オミはイマチとじゃれ合っていて、あたしを見つけるとイマチに顔をなめられながら「よお」と片手をあげた。

 あたしは目を細めてじとーっとオミを見る。

「なんでいるの?」

「なんでって……一緒に散歩に行こうと思って」

「なんで」

「女の子だけじゃ危ないから」

 オミが当たり前みたいにさらりとそう答える。


 そこであたしは気づいた。

 おそらくオミはどこかから、あたしとゆりこがユカさんたちの代わりにイマチの散歩を引き受けることを聞きつけたのだろう。そんで、昨日も突然こうやって颯爽と現れて、ゆりこと一緒にイマチの散歩をしたのだ。だからゆりこの会話にオミが出てきた。きっと、そう。

 オミはたぶん、女の子が夜に出歩くという話を聞いたら放っておけなかったんだ。散歩についてきてくれる義理なんてないはずなのにね。このお人好しめ。

 ……オミが東京で怪しい人にたぶらかされていないか、本格的に心配になってきた。


「まあまあええじゃないか」

 縁側の隅っこに座った赤ちくじーさんが、足をぶらつかせながら、何か言いたげな笑みを浮かべている。

 オミが赤ちくじーさんから散歩紐を受け取って、イマチの首輪についた鎖と付け替えた。イマチは「くるしゅうないぞ」と言いたげにツンとすましている。

「行こ、夏那」

 オミが歩き出すから、あたしは仕方なくその後を追った。


 イマチの散歩コースは田んぼ道を抜けてコンビニで折り返してまた戻ってくるというものだ。普段はユカさんが担当しているということもあって、見通しはいいしコンビニのある国道沿いまで出れば人通りもあるしで、それほど危険な道のりではない。

 あたしが最後にイマチの散歩をした時、イマチは溢れんばかりのエネルギーであたしを振り回した覚えがある。しかし今日は散歩紐を持つ人が違うからか、優等生みたいにオミの前をてくてく歩いている。おまけに、途中、立ち止まって休憩なんかしたりして。


 変なの。


 イマチの散歩紐はイマドキの飼い主が使っているような、ワンちゃんの動きに合わせて伸びたり縮んだりするようなリードじゃなくて、散歩紐としか言い様がないただの太い紐だ。そのタイプの紐は引っ張られるとダイレクトにその力が手に伝わってくるから、イマチがおとなしいのに越したことはないけど、本当にイマチなのか疑わしいくらいのおとなしさである。

 オミがイマチの散歩紐を持ち、あたしが赤ちくじーさんから借りた古めかしい大きな懐中電灯で行き先を照らす。

 広々とどこまでも続いていく田んぼ道。歩いても歩いても進んでいる感じがしない。あたしとオミとイマチ、ふたりと一匹だけがループする世界に迷い込んでしまったみたいだ。懐中電灯の光が足元だけを切り取っているので余計にそう感じた。

 だからというわけじゃないけれど、沈黙が居心地悪くなって傍らのオミに話しかけた。


「オミ」

「ん」

 語尾を上げないオミの問いかけ。

 一人で来たらたぶん、超つまんなかったから、オミがいてくれてよかったなって小指の爪の先くらい思った。

「んー、と」

 話しかけたくせに特に何も考えていなかったあたしが「あ、その」とか「えっと」とか時間稼ぎしていると、オミがふっと息を吐くように笑った。

「前も来たね。一緒に、散歩」

「あ、そうだね。あたしが中二の夏。あの頃超つるんでたよね」

「そうそう。……まあ、あの時は俺、いろいろあったからなあ」

 オミの口調が苦虫を噛み潰したようなので、地雷踏んじゃったかな、と一瞬心配になった。


 二年前――あたしが中学二年でオミが高校三年の夏は、すごくいろいろなことがあった。オミは受験生でハイレベルの国立大学を目指していたし、それだけでもかなりのストレスなのに、それに加えて元カノとどろどろしていた。ぶっちゃけ言えば、元カノがメンヘラだった。

 当時ユカさんは結婚してなくて、大阪のほうで働いていて、散歩は赤ちくじーさんがしていた。確かその時は赤ちくじーさんがぎっくり腰になって、散歩のお役目があたしに回ってきたのだと思う。お祭りでオミとたまたま関わる機会があって、それをきっかけにオミもついてくるようになった。

 夏の終わりに一週間くらい一緒に散歩をして、お互いのことをたくさん話した。受験勉強の愚痴も、元カノの話も、いっぱい聞いた。

 オミとあたしは、オミが中学に入ってからほとんど話す機会がなくなっていた。だからお互いのことで知らないことがいっぱいあって、話題は尽きることがなくて。散歩の時間をすごく楽しく短く感じていた記憶がある。


「懐かしいね」

「え、懐かしまないでくれよ。あと二日とはいえ、今、一緒に散歩してるんだから」

「でもオミはまた東京に帰るでしょ?」

 我ながらちょっとワガママみたいだなって思った。でも、一度口に出した言葉は取り消せない。オミが少し目を見開いた。

 遠く先にコンビニの煌々とした明かりが見え始めている。バイクの爆音が尻すぼみに情けない声をあげていた。もうすぐ折り返し地点だ。


「……れば、いいじゃん」


 バイクの音にかき消されて、オミがなんて言ったのかわからなかった。

「え?」

 聞き返すと、オミが立ち止まる気配がする。二歩分遅れて振り返って懐中電灯で照らすと、オミがスマートフォンを手の中で弄んでいた。


「夏那のMINE教えて。俺が東京に帰ったって、連絡取ればいいじゃん」

「それもそうかぁ!」

 なんだか少し寂しく思っていた自分がバカバカしくて、おかしくなってきた。ポケットからスマートフォンを取り出して指紋認証でロックを解除すると、オミが「いい?」と尋ねてくるのでスマートフォンを渡した。あたしが笑っている間に、オミが友達登録をしてくれる。

 友達登録はサクッと終わった。返されたスマートフォンの画面、新しく追加された友達の欄に「斉藤竹臣」というアカウントが加わっている。

 そのままMINEを閉じたら、それと同時に通知音が鳴った。MINEが来たのだ。

 懐中電灯に照らされたオミの顔が笑っている。


『斉藤竹臣 がスタンプを送信しました』

 MINEはオミからだった。開くと、うんちのスタンプ。

 オミがまた歩き出す。

「夏那、小一のとき登校中に犬のうんち踏んで泣いてたよな」

「ちょっとぉー……」

 うんちのスタンプをきっかけに、あたしたちの間に流れる時が、一気に幼くなる。


 そのまま、小学生の頃の思い出話をしながら歩いた。オミの話し方は昔から穏やかで、質問系なのに語尾の調子が上がらないからわかりにくくて、変わんないなあって思った。なんにも、変わんない。

 イマチはときどき振り返る以外、ずっとあたしたちに合わせるようにゆっくり歩いていた。




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