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※開封後はひと夏のうちにお召し上がりください  作者: 村崎千尋
第2章「ウェイニング・ギボス・ムーン」
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(1)



 情報が溢れている。

 ちょっとした生活の知恵とか、今話題になっていることとか、誰かの撮ったとても綺麗な写真とか。人ん家の昼ご飯とか他人の腹事情とか眠いだとか暑いだとか、人生において何の益ももたらさないようなくだらない情報のほうが遥かに多いけど。

 そんな情報たちをツブヤイターのタイムラインで追いかける。スクロールで画面を更新して、時には友人の呟きにメッセージを送ったりもする。真顔でニコニコマークの絵文字をつけながら。


 だから、画面がふいに暗くなってスマートフォンが震えだし、上部に「木村ゆりこ」と表示された時、なんだか懐かしさをともなった新鮮みを感じてしまった。今のご時世、友人との連絡手段に普通の電話を使うなんて……ババくさ。

 でもちょっとわくわくする。八十年代ファッションが一周回っておしゃれな感覚と少し似ていた。


「もしもし」

『もしもし?』

 ツーコールで出たためか、ゆりこは少し驚いているみたいだった。語尾が少し上がっている。

『暇なの?』

「暇をつぶすのに忙しい。何か用?」

『連れ回覧板しない?』

「は?」

 ゆりこのやつ、暑さで頭がやられたのかと思った。

 熊谷とか多治見とかに比べたら「暑い」とぼやくのも失礼なくらいだが、山がどーたらこーたらなナンタラ現象で、六弥町もいわゆる猛暑日と呼ばれる暑い日が続いている。すごく不謹慎な話になるが、救急車のサイレンをよく聞くようになった。

 そもそもなんだよ、連れ回覧板って。連れションみたいに言いたいのはわかるが、語呂が悪すぎて正直サムい。


「大丈夫?」

『何が?』

「ゆりこ、バラエティ番組とかでスベってない?」

『夏那はそういうとこ失礼だよね』

 口ではそう言いつつも、ゆりこの声は笑っている。

『パパ忙しいから、わたしがこれから回覧板をまわしにいくの。一人だと絶対たいへんだから夏那も来てよ!』

「え、なにそれ。回覧板まわすだけじゃん。誰のとこ行くの?」

『赤ちくじーさん』

「却下」

 あたしはそれ以上ゆりこの話を聞かずに電話を切った。ゆりこからもう一度着信があったけれど、ソッコー拒否を押した。





 ――ああ、回覧板! 田舎の悪しき風習!


 一歩踏み出すたびに毛先がふわふわはねるゆりこのおかっぱ頭を見つめながら、あたしは町内会に向かって思いつく限りの呪いの言葉を唱えていた。

 蝉時雨は時雨というにはあまりに激しく、洪水を起こさんばかりの土砂降りとなっていて、耳が痛いくらいだ。

 そんな中、車も通れないような森の中の細道を、あたしとゆりこは登校班みたいに縦一列になって歩いていく。回覧板が入っている厚手のビニール袋を胸に抱えたゆりこは先ほどからとてもご機嫌な様子で、鼻歌まで歌っているのが腹立たしかった。


 あの電話の後、あたしは徹底的にゆりこからの着信を拒否し続けたが、ゆりこはなんと家にやってきた。おそらく車庫に車が一台もないのを見て、あたししか家にいないことを確信したうえでの行動だろう。十秒おきで五分間、計三十回もピンポンを鳴らしやがった。

 仕方なく応対に出たあたしに、ゆりこはにこやかに言った。「じゃ、行こうか」と。

 テレビの中で天使のようだとか五千年に一度の美少女だとかもてはやされる「ゆりこスマイル」が悪魔の笑みに見えたのは初めてだった。


「一人だろーが二人だろーがあのジジイの厄介さなんて変わんないよぉ……」

 無視しているのか、それとも蝉の声で聞こえないのか、ゆりこは何も答えない。

 ひとつかふたつちくりと嫌味を言ってやろうと頭を回転させていると、黒い虫があたしたちを追い越すようにすぐ脇を飛んでいった。田舎ではわりとメジャーな虫で、ハチに似たフォルムと主張の激しい羽音はどちらも笑っちゃうくらい大げさなくらいなのだが、それに驚いたゆりこが「きゃ!」とか弱い声をあげて少しよろけた。

 なんだか、嫌味を言う気もすっと消え失せてしまう。

「それ、刺さない虫」

 男子なら守ってあげたくなっちゃうんだろうなあとどこか冷めた気持ちで見つつ、親切なあたしはそう教えてあげた。


 こういうとこ、ゆりこは都会っ子だよね。八年も六弥で暮らしていたくせに。

「毒とかない?」

「ないよ。てか、あのジジイのがよっぽど毒な気がする」

「まあまあ。……毒を食らわば皿まで、的な?」

「意味違うから」

 あたしの指摘に、ゆりこがわざとらしくない自然な笑い声をあげるのが聞こえた。ちょっとした一言が炎上する昨今の芸能界において、国語ができないのってすごく致命的だと思うけど。出かかった言葉はなんだか上から目線の評論家みたいに思えて、あたしはすんでのところでそれを飲み込む。


 しばらく森を行くと突然視界が開け、見渡す限り延々と田んぼが広がっている。森を抜けたのだ。

 道が広くなると、ゆりこが少し歩調を緩めてあたしの隣に並んだ。

「わたし、赤ちくじーさんのところ行くの、すごく久しぶり」

 Eラインの整った綺麗な横顔が、わずかな笑みをたたえる。芋臭い髪型をしてても、すっぴんでも、サブカル女みたいな赤ブチメガネをかけていても、やっぱりゲイノウジンなんだなあとしみじみ思ってしまった。

 ゆりこはあたしがそんなことを思っているとはつゆ知らず、そういえば小学生の頃赤ちくじーさんが、と話し始めている。


 “赤ちくじーさん”というのは、おそらく六弥町の南地域で一番有名な老人だ。「赤ちく」っていうのはこの地方の方言で真っ赤な嘘のことである。

 フレンドリーで人当たりがいいのは長所なんだけど、いかんせん、赤ちくじーさんは名前の通り嘘ばっかりついている。ある時心配した家族が総合病院に連れて行っていくつも検査を受けさせたが、結果はいたって正常。認知症でも精神的な病でもなんでもなく、単なる性格の問題だと結論づけられたそうだ。

 あたしも小さい頃、赤ちくじーさんのくだらない嘘に何度も騙されて、それを喜々として披露したがために恥をかかされたことがある。何度も何度もある。

 その嘘というのがまた妙にリアリティのあるものばかりで、おまけにところどころ真実を混ぜてきたりもするため、「これは本当なんじゃないのか」とマインドコントロールされてしまうのだ。

 現在は娘夫婦と暮らしており、赤ちくじーさんが嘘をつくとちゃんと娘さんが「それ嘘だから」と訂正を入れてくれるため被害は最小限に抑えられているが、そうでなかったら六弥町のこどもたちはとんでもない嘘を信じるはめになっていただろう。


 本当に、ろくでもないジジイである。


「赤ちくじーさん、元気かな」

「あたしも高校入ってから会ってないけど、元気なんじゃないの。死んだって話聞かないし」

 田んぼ沿いの道を歩いていくと、ぽつんと一軒、平屋の木造住宅が建っている。赤ちくじーさんの家だ。

 敷地内に入り、防犯用の大きな音が鳴る砂利を踏みしめて玄関まで行くと、傍らの犬小屋から獰猛そうな大型犬が飛び出してきた。低いけれど百デシベルくらいありそうな鳴き声が、その声の輪郭をにじませて広い土地に響き渡る。

「あ、イマチ! 生きてる!」

「そりゃ生きてるでしょ。オオサンショウウオみたいな犬だし、半裂きどころか八分割しても死ななそう」

「どういうこと?」

「オオサンショウウオって、別名ハンザキって言うんだ。半分に裂かれてもまだ死なないくらい生命力強いから」

「へえ。夏那って物知り」

 ハンザキ、とゆりこは少しおかしなイントネーションで言う。ハンザキね、と訂正するけど、もう一度ゆりこが口にした「ハンザキ」はやっぱり声の上がり方がおかしかった。


 イマチが駆け寄ってくると、ゆりこがしゃがみこんで両手を広げる。

 イマチは赤ちくじーさんの家で飼っている犬だ。柴犬の血が混じった雑種の中型犬で、目が半月と満月の間くらいの楕円形でとろんとしている。あたしが物心ついたときにはすでに赤ちくじーさんに飼われていたので、もう十何歳かになるだろう。

 こいつがまた飼い主の性格のひねくれ方がそのままうつったような偏屈犬でして。何度か犬の散歩のアルバイトをしたことがあるが、あたしが右に行けば左に行こうとし、左に行けば右に行こうとし、止まれば進み進めば止まり、といったような調子なのだ。

 おまけによく脱走して、あたしたち近所のこどもはイマチ探しに駆り出されることがたびたびあって、イマチにいい思い出はない。


 もちろんそれだけではない。

 イマチはゆりこの腕の中に飛び込み、その頬や胸に顔をすりよせている。

「ね、ね、夏那も撫でてあげなよ」

「あたしはいい」

 イマチもお望みじゃないだろうしさ。

 ゆりこは「ふーん」とイマイチ納得できないような顔で頷くと、またイマチをかわいがり始める。イマチもされるがままだが、ちらりとあたしを見やった目がひどく冷たかった。


 そう、なんとこのイマチ、犬畜生の分際のくせして顔で女を選別するのだ。

 ゆりこみたいな美人にはとても懐いていい子にする反面、あたしみたいなあまり可愛くない女子にはそっけなくする。そのせいでなんとなくイマチのことを好きになれずにいると、その本性を知らない美人や男どもから「顔面ブスのくせに動物にも優しくない性格ブス」というレッテルを貼られてしまうという悪循環。

 あーやだやだ。


「イマチの鳴き声が聞こえなぐなったからどんな美人さんが来たかと思ったらぁ、なんだ、夏那坊じゃねぇか」

 いつの間にか、縁側から赤ちくじーさんが顔をのぞかせていた。しわしわの顔が面白がるような笑みを浮かべてあたしのことを見ている。

「“なんだ”ってなに、“なんだ”って。ゆりこもいるけど」

 ゆりこのほうを顎でしゃくると、ゆりこが慌てて立ち上がった。

「ゆりこ?」

「木村さんとこの」

「ああー、木村さんとごのな。こりゃまぁべっぴんさんになったなぁ。東京さいんたって聞いだけど」

「あ、はい。今は東京で暮らしてます。でも、夏休みだけこっちに帰ってきて。赤ち……おじいさん、お元気そうで安心しました」

「まあ、まだ死ぬつもりはないから、安心して東京で暮らしなさい」

 なんだか、あたしに対してよりゆりこに対してのほうが対応がマイルドなのは気のせいじゃないだろう。やっぱり男の人ってオスだろうがジジイだろうが可愛い子のほうがいいんだなあって、赤ちくじーさんの鼻の下が伸びてるのを見ながらぼんやり思った。

 なんだか面白くない。


 さっさと帰ろうと思って、ゆりこの手から回覧板を抜き取って赤ちくじーさんに突き出す。赤ちくじーさんはそれを受け取ると一旦家の中に戻り、少し経ってからもう一度顔を出した。

「暑いから、熱中症にならんように、帰る前に麦茶さ飲んでけ。たけのこの里あるけんど、食うか?」

「えっ、いいんですかぁ?」

「なんでこの暑いのにチョコ菓子ー?」

 あたしとゆりこの声が重なった。

 なるほど、かわいがられる差はこういうトコか。

「文句あんならやらんぞ」

「いや、食べます食べます」


 縁側に並んで右から、赤ちくじーさん、ゆりこ、あたしという順で並んでチョコが溶けてベタベタになったたけのこの里をつまむ。

「ゆりこちゃんゆりこちゃん」

「なんですか?」

「知ってたか?」

 あ、また始まった、と思った。思ったけどゆりこには何も忠告しないでおいた。


「きのこの山、たけのこの里のほかに『すぎのこ村』っていうお菓子があったんだけどな、全国に散らばった過激きのこ派の陰謀に巻き込まれてな、大規模な暴動が……」

「ええっそうなんですかぁ?」

 ゆりこが目を丸くする。

 ちなみに、すぎのこ村が存在したのは真実である。ただ、陰謀や暴動は起きていない。単に売上の問題だ。

 でも言わない。


「フリーマーケットの語源は『自由な市場』じゃなくてな、他動詞のエフ、エル、イー、イーで、『~を捨てる』からきてんだよぉ。ゆりこちゃん、学生だから、わかっぺ?」

「知りませんでした!」

 フリーマーケットの語源のフリーが「Free」ではないのは本当。でも「Flee」ではない。「Flea」――蚤、汚い、みすぼらしいということ。つまり、フリーマーケットっていうのは蚤の市という意味で、がらくた市ってことだ。

 でも言わない。


「そんでなぁ、授かり婚のことを外国では『しょっとがん・まりっぢ』って言うんだけどなぁ、それは避妊なしで行為をする様子が――」

「六十歳以上年下の女の子に下ネタ話すなこのクソエロジジイ! 正しくは、嫁の父が怒ってショットガンを持って責任をとるよう迫るからだから!」

 我慢できずに思わずツッこんでしまった。ぽかんとするゆりこの向こうで、赤ちくじーさんがあたしを見てニヤニヤしている。どうやら、頑なにだんまりを決め込むあたしを会話に混ぜるための罠だったらしい。

 うっかりはまってしまったことを後悔しつつ、指についたチョコを舐めとって麦茶をあおる。


 ……と、あることに気づいた。


「ユカさんたちは?」

 いつもなら赤ちくじーさんの話の真偽を判定してくれるはずの娘さんがいない。赤ちゃんの泣き声もしないし旦那さんの車も見えない。

「今日から三泊四日で友達家族と長野にいっとる」

 赤ちくじーさんが腰に手を当てて伸びをしながら答えた。

「ふーん、そっか。じゃあじーさん暇だね」

「脚も腰も痛いし若い子と話すことくらいしかやることもない」

「それはほどほどにしてよ」

 はっはっは、と赤ちくじーさんは八十歳超えとは思えない元気な笑い声をあげる。全然笑い事じゃないんだけどなあ、とふと視線をそらして、イマチと目が合った。


 日差しが強いからか、イマチは遠くの木陰でだらしなく寝転んでいる。舌を出してヘッヘッと犬特有の呼吸をしている。犬っぽい表情でもイマチがやるとこっちを小馬鹿にしているような印象だから不思議だ。目が合ったイマチは、一瞬「げ」という顔をして、すぐにそっぽを向いた。

 ……腹立つな。

 そんなあたしの苛立ちはつゆ知らず、赤ちくじーさんが「んだ!」と手を叩いた。

「夏那坊、ゆりこちゃん、バイトしねか?」

「バイトォ?」

「なんのですか?」


 赤ちくじーさんがイマチを呼ぶが、ヤツは飼い主に呼ばれたというのにガン無視している。顔すら動かさない。

「っかー、ごじゃっぺ! おいイマチ! イマチ!」

 いくら呼んでも来ないイマチにいくつか方言で悪態をついた後、赤ちくじーさんはヤツを呼ぶのを諦めた。代わりに、傍らに置いてあった擦り切れたような紐を手に取って太ももを軽く打つ。

「これよぉ、イマチの夜の散歩な。いづもはユカが行っとって、旅行中はおらが行く予定だったんだけど、腰痛くてな。夏那坊とゆりこちゃん、暇だったら、いんか? 小遣いやるよぉ」


「マジ? やる」

 小遣いというワードを聞いてあたしは即決した。うちの高校はバイト禁止だから、収入源は主にお母さんからもらえるお小遣いだ。イマチを連れ回す程度でお金がもらえるならそれにこしたことはない。

「夏那がやるなら」

 ゆりこも頷く。

「助かんなぁ」

 赤ちくじーさんが満足げに頷いた。




 ユカさんたちの旅行が三泊四日なので、散歩のアルバイトは今日から三日間ということになった。夜七時半から近所のいつものルートを辿って、だいたい三十分程度とのことである。

 二日目の夜は仕事が入っていてできないというので、一日目の夜をゆりこが、二日目の夜をあたしが担当し、最終日の夜を二人でやろうということに決めた。

 ちなみに、バイト料はけっこう弾んでもらえるらしい。




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