(5)
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隣町の駅に併設された寂れたショッピングセンターの一階。個人経営のお惣菜屋さんとチェーン店のスーパーにはさまれた、イートインスペースの一角。
ジュースの自動販売機が立ち並ぶそこに陣取ったあたしたちは、スーパーで買った百六十ミリリットルのコーラ缶(自動販売機よりスーパーで買うほうが安いのだ)で乾杯をする。あたしは炭酸があまり得意なわけではなかったが、せっかく友人が買ってきてくれたコーラを無駄にするわけにもいかなかった。
じゃんけんで負けてスーパーまでひとっ走りした子に百円玉を渡して、受け取ったコーラの固いプルタブを慎重にひっかく。あたしは缶ジュースを開けるのが下手くそで、気を付けないといつも爪の先が割れてしまうのだ。
「それでは、この優子が乾杯の音頭をとらせていただきます」
優ちゃんが張り切ってそう言うのを無視して(優ちゃんはいじられキャラなのだ)、みんなで開けたばかりの缶をぶつけあった。
マッキーがバイクの免許を取得したことや優ちゃんが数学の追試地獄からついに抜けられたこと、八月に入って一週間が経とうとしていることを祝う言葉を、おのおの好き勝手に口にする。要は、騒げる口実なんてなんでもいいのである。
「かんぱい!」
「かんぱーい」
飛び交う言葉に、あたしもノッた。
ファミレスに行くお金すらないけれど、せっかく中学の時仲が良かった友人たちで集まったのにもう帰るというのも味気ない、八月七日の夕方四時半のことだった。
通りすがりの大人たちは、地べたにしゃがみこんで大騒ぎをするあたしたちに眉をひそめる。でもあたしは知らんぷりを決め込む。
「こんなところにいたら迷惑だから、行こうよ」
なんて、場をシラけさせるようなことは誰も言わない。言えない。ただひたすらに、浮ついた空気と妙な連帯感に溶かされながら笑い声をあげるのだ。
「六弥中に佐原っていたじゃん?」
グループのリーダー格のマッキーが言った。
「ああ、数学のハゲ?」
「あいつ最近植毛したらしいよ。後輩が言ってた」
「えー、ウチらがつけてあげたサハラ砂漠ってあだ名どうなっちゃうのぉ」
「ねえそれマジなの? ヅラじゃなくて? ハゲキャラ本気で捨てちゃったらあとに残るもの何もなくね?」
「砂漠だけに」
「ハイそれな」
みんなとの話は楽しい。面白くて、軽快で、何も考えなくていい。
脳みそなんか、いつも空っぽだ。
でも一度、ゴールデンウィークに集まったときに、通りすがりの酔っ払いのおっちゃんに注意されたことがある。地べたに座って人の通行の邪魔になっていることに対してではなく、あたしたちの刹那的な会話や態度に対してだ。
『あんなぁ、お嬢ちゃんたちなぁ、十代ってのはなぁ、進路とか恋愛とか友情に悩んで、スポーツや勉強に打ち込むのが醍醐味なんじゃあないのかぁ? “イマ”しかできないことがあるだろ? こんなところで時間を無駄にしている場合じゃあないだろ?』
酔っ払いだということもあってテキトーにあしらったが、あまりに中学生日記じみたそのシチュエーションにその日はシラけて解散しようということになった。
あたしは、帰り支度を始めるみんなを見て、焦ってんなあってもやもやした。
進路とか恋愛とか友情に悩んで、スポーツや勉強に打ち込むのが十代の醍醐味? そんなのババアたちが宝石箱に大事に大事に閉じ込めてる思い出(ただし百二十パーセント美化)じゃん。平成を生きるあたしたちに押し付けないでほしいんですけど。
――っていうような反発心すら、あたしの場合、ダルくて浮かんできません。なんにも響いてません。ごめんね、アリガタイオセッキョウをしてくれたおっちゃん。
みんなはちょっと心にキたみたいだけどね。
その日の帰りの電車で黙り込むみんなを見て、あたしはそのもやもやの正体が軽い優越感だって気づいた。
みんなは焦るしかないよね。でも、あたしはこのメンツの誰よりも頭のいい高校に通ってて、運動だってそれなりにできるし、顔も化粧で盛らなきゃ見られないほどってわけでもないし(マッキーなんか一重のしじみ目だからいつも目頭の不自然なアイプチの二重に加工している)、趣味や打ち込んでいることはないけどインスタントな娯楽はあるから生きていくには大して困ってない。
将来はテキトーな私大に進学して、テキトーなところに就職して、テキトーに働いて生きるんだろうな。
そう、人生がそれなりにイージーモードなのだ。
だから焦らない。
だから反発しない。
余裕があるから。
「でさぁー……」
「それな」
「ウケる」
「あ、でもさ」
十六の年はたったの三百六十五日しかないから、あたしたちは忙しない。大食い選手が食べ物を平らげていくように、浮気者の男が彼女を乗り換えていくように、話題は使い捨てられて次へ次へと移り変わっていく。
もしかしたら佐原がハゲを脱出するのに原稿用紙千枚くらいの葛藤やドラマがあるのかもしれないけれど、そんなの、あたしたちには知ったこっちゃなかった。なにせ、どれもこれもインスタントに時間を消費できるツールでしかないもんで。
それから何度話題が巡ったのだろう。
結局二時間も話し込んでしまった。
全員のコーラがなくなる頃、ようやく解散しようということになった。けれども、女子高生とはえてしてそういうものなのだが、「帰ろう」「終わろう」と言ってからが本番のようなところがある。あたしたちも例に漏れずそうで、駅の改札口に向かってのろのろと歩きながらもずっと駄弁っていた。
電光掲示板に表示される時刻表を見る限りだと、まだ電車の時間には余裕があるようで、それがさらにあたしたちの動きを遅くしていた。
六弥駅にはない自動改札に切符を通しながら、前にいた子が「てかさぁ」とのんびりした声をあげる。
「花園撫子のニュース見た? やばない?」
あたしも含め、みんなの「やばいよねぇー」が合唱祭でもなかなかないくらいに綺麗にハモった。
「見た見た。てか、最近テレビつけたらあれしかやってないじゃん」
「二十個近く年上のオヤジと付き合うの、ウチ、絶対ムリなんだけど」
「さすがに花園撫子の旦那さんも離婚即決っしょ」
現時点では「数年前にブレイクした俳優N.K.」としか報道されていないが、そこまで情報を出されたらもうみんなわかりきっていて、花園撫子の不倫相手の正体は暗黙の了解となりつつあった。そして、花園撫子が旦那と離婚したことも、インターネット上を中心に非公式に情報が出回り始めている。
改札をくぐらせた切符をポケットに突っ込み、あたしたちはニューデイズの脇で足を止めた。誰からともなく立ち話が始まる。
「でもさぁ、考えると、ゆりこ、超かわいそくない?」
その言葉に思わず、心臓がはねた。「、そだね」と言葉が口元で引っかかる。
そう言うってことはみんなはきっと、ゆりこが今六弥に帰ってきていることを知らないんだろう。ゆりこは連絡していないんだろうか。でも、もしあたしがここでそれをばらしたら、どういう反応をするんだろう……。
「ゆりこ? ダレゆりこ?」
「ほら、二年までうちの中学にいたじゃん。女優になった子! 花園撫子の娘っしょ」
「あーそっちのゆりこね、了解。たしかし、親が不倫とか絶対自分の芸能活動にマイナスだわ」
「わかりみが深いー!」
何も考えずにノリで同意したあたしは、ふと視線をやった先、三番線のホームからエスカレーターに乗って運ばれてくる人影にそれを見つけて息が止まりそうになった。ていうか止まった。詰まった気管で息を吸おうとしてできなくて、でも吐くこともできなくて、死ぬかと思った。
赤ブチの野暮ったいメガネと、夏なのに顔の半分以上を覆う男物のマスクをしている。袖をまくった長袖のパーカーにジーパンというやたらとカジュアルなかっこうに、それから、芋臭いおかっぱ頭――。
ゆりこだ! ゆりこがいる!
六弥のほうからやってきてここで乗り換えということは、これからお仕事をしに東京へ行くんだろうか。
立ち止まって騒いでいるあたしたちは目立つのか、ゆりこがちらりとこちらを見やる。中学時代顔の広かったゆりこはたぶん、マッキーや優ちゃんを始めここにいるメンツ全員と友達のはずだ。やっぱりあたしたちだと識別したみたいで、メガネの奥、ゆりこのもともと大きな目が見開かれてさらに面積が広くなる。
「あっ、ゆ――」
声をかけようとしたその瞬間には、ゆりこはすでにこちらに背を向けて駆け出していた。人ごみに紛れるようにして、東京行きの六番線ホームに消えていく。
もしかして、無視? っていうか逃げられた?
その間にも、下世話なゴシップは噂話と呼ぶにはうるさすぎる声量で話され続けている。
「なに? 夏那、なんつった?」
一人が、会話の合間に問いかけてきた。
罪悪感で心臓がバクバクいっている。あたしたちがこうして話している内容が、ゆりこには聞こえたのだろうか。だからゆりこは逃げたんだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。
当たり障りのない返しをしようと口を開いたはいいが、なかなかみんなの会話に飛び込めない。
なんだか小学校の頃の大縄跳びを思い出してしまう。タイミングをはかって縄の中に入って出て行くその競技は、本来なら仲間たちとの絆を深める目的で行われるのに、立ち止まったりつっかえたりすると白い目で見られるのだ。けれど、いつも自分の番がまわってくるのに怯えていたくせに、夏那ちゃんは下手だからと仲間から外されるのだけは怖かった。
せーので入るんだよ、せーので。
いっせーの、せ。
「いや、なんも。幻聴じゃない?」
声が震えた。
気がした。
ゆりこが帰ってきているなんて、今、あそこにいたなんて、とうてい言えっこない。
みんなはあたしの小さな異常に気付かなかったみたいで、あたしに問いかけてきたその子は「マジ? ついに聞こえるようになっちゃったかー」と自分の失敗を茶化す。しっかりしてよと彼女の二の腕を叩こうとして、自分のてのひらがひどく汗ばんでいることに気づいた。
カテゴライズしようのない気持ちが心の中にある。みんなが花園撫子の話題に飽きて別の話をし始めても、それは消えずにしこりのように残っていた。
あたしは結局、ゆりこのことをみんなに話さなかった。